3月11日、ホワイトハウスの南側の芝生で記者団の質問に答えるトランプ大統領/Alex Brandon/AP

(CNN)米国の歴代の大統領たちは長年、戦時に当たって神の祝福を求めてきた。戦火の中へと向かう兵士たちのために。

しかし現在のトランプ政権は、自らの権威が神の承認を得たものだとする見解をほのめかし、イランとの戦争を信仰に根差した公正さで覆い隠そうとしている。こうした姿勢が、長きにわたる政治的伝統を一段と脅かしている。

ヘグセス国防長官は、聖書の言葉を用いてブリーフィングを行い、米軍兵士たちをほとんど霊的な戦士として位置づける。トランプ大統領はキリストのような姿に加工された自身のAI生成画像をソーシャルメディアに投稿した。またバンス副大統領は、ローマ教皇レオ14世の神学解釈を非難。「爆弾を投下する者に神の祝福はない」とする教皇の警告に異議を唱えた。

こうした言説を通じ、米国は「聖戦」のイメージへと近づいていく。これは過去の多くの大統領が懸念した事態であり、中東紛争の数々はこの概念のために泥沼化している。

イランはかねてアッラーの意志を実行していると主張。戦争における殉教を神による報いとして称賛している。一方イスラエルのネタニヤフ首相は、現行の戦争の一因をユダヤ教の祝日「プーリーム」に絡めて説明した。旧約聖書の「エステル記」によればこの日は、ペルシャ帝国による絶滅の陰謀からユダヤ人が救われたことを記念する。

トランプ政権において一段と宗教色が強まる状況は、共和党のイデオロギーの硬化と、より急進的なキリスト教福音派の信条の影響を反映したものだ。これはMAGA(米国を再び偉大に)運動の台頭と時期を同じくする現象で、自らの宗教的教義の強調を図る党幹部たちの姿勢を浮き彫りにする。そこでは他の信仰を持つ人々や無信仰者を不快にさせるリスクは二の次となる。

個人的な信仰に基づく部分もあるのかもしれないが、同時にそれは福音派を取り込みたい党幹部らによる権力闘争でもある。福音派は弱体化するトランプ氏の支持基盤にあって重要な支柱を形成する。ファーマン大学で政治学・国際関係学を研究するジム・ガス教授は 現状を「それほど驚くことではない」としつつ、「(しかし)彼らがそれを極めて露骨かつ宗派主義的な手法で行ったのは、間違いなく前例のないことだ」と指摘した。

多くの宗教的な米国人にとって、政治の中で精神性を語ること自体はほとんど問題にならない。しかし、信仰が常に党派的な信条と結びつくわけではない。信者の中には、戦争を正当化するために自分の宗教が悪用されているのではないかと懸念する人もいる。また憲法で定められた宗教と国家機関の分離が尊重されているのかといった疑問も浮上する。多くの人々に慰めを与える一方で、露骨な宗教的レトリックは他者を疎外する可能性がある。多くの信仰が実践されている軍隊において、これは特に深刻な問題となる。さらに米国人には、いかなる信仰も持たない権利もある。

トランプ氏の近年の前任者たちは、中東での戦争を宗教的な事業として提示することを避ける傾向にあった。彼らはジハード(聖戦)を説く敵対勢力に正当性を与えることを望まなかった。また戦争がキリスト教的な色合いを帯びれば、同盟関係にあるイスラム諸国との間で政治的な問題を引き起こしかねないことも認識していた。そうした色合いがテロ組織を刺激すれば、海外にいる米国人が標的になる恐れもある。結局のところ、オサマ・ビンラディン容疑者が米国に宣戦布告した理由の一つは、1990年から91年にかけての第1次湾岸戦争においてサウジアラビアに米軍、すなわち「十字軍」が駐留していたことだった。

2001年9月11日の米同時多発テロの後、当時のジョージ・W・ブッシュ大統領は一度「テロとの戦争」を「十字軍」と呼んだことがあった。その後、ブッシュ氏は「我々の戦争は宗教に対するものでも、イスラム教に対するものでもない」と弁明した。

対照的にヘグセス氏は、政治的に正しい言葉遣いが米国の「戦士たち」の足を引っ張るものだと信じている。自身、十字軍に関連する宗教的シンボルである「エルサレム十字」を胸にタトゥーとして刻んでもいる。

トランプ氏の聖戦士としてのヘグセス氏

ヘグセス氏は、そうした新たな宗教的色合いを最も明確に体現する人物だ。米国はこの色合いに基づいて今回の戦争を位置づけている。

国防総省はCNNやその他のメディアへの声明の中で、ヘグセス氏が頻繁に口にするキリスト教的言辞について、ジョージ・ワシントンがバレーフォージで捧げた祈りや、第2次世界大戦中のフランクリン・ルーズベルトによる兵士たちへの聖書の配布と何ら変わらないと主張している。

ヘグセス氏に対する批判は、本人の信仰の誠実さを疑うものではない。そうではなく、公職者として職務を遂行する上で、これほど顕著に信仰を利用するのが果たして妥当なのかどうかという問題が焦点となっている。ヘグセス氏は、米国の戦争が神の承認を得ていることをしばしばほのめかしている。例えばイースター(復活祭)の期間中に行われたイランでの米軍パイロット救出を、同氏はキリストの復活に例えた。

信仰や宗教とはその性質上、絶対的なものだ。しかし戦争の終結に必要な外交とは、暫定的かつ柔軟なものでなくてはならない。それでこそ敵対する国々は互いに異なる結果を要求することが可能になる。中東の領土や資源を巡る戦争の多くが調停者の努力を阻むのは、そこに宗教的な側面が存在するからだ。

ヘグセス氏は信仰の利用の仕方でも批判を浴びているが、そこには報道の自由といった真の民主主義社会における保障を弱体化しかねないとの懸念がある。例えば16日、同氏はあるエピソードを引用し、戦争にまつわる米国のプロパガンダを批判するジャーナリストたちを聖書の時代のパリサイ人になぞらえた。 同氏によればパリサイ人は、イエスの「善良さ」を疑った「当時の自称エリート」だ。

軍事作戦を聖書的用語で説明した軍の指導者はヘグセス氏が初めてではない。ドワイト・D・アイゼンハワー将軍は、ノルマンディー上陸作戦の命令書の中で、連合軍による欧州侵攻を「偉大なる十字軍」と呼び、「この偉大かつ高貴な事業に全能の神の祝福があらんことを」と祈った。

しかしそれ以降の世代を経て、米国は宗教的に多様化し、世俗的にさえなってきた。「この国は以前とは大きく様変わりしていると思う。今回のケースでこの種の宗教的な言い回しを公職者が使うのを見るのは、ある意味非常に時代錯誤的だ」とガス氏は述べた。

宗教指導者の中には、党派的な政治家が神聖な動機を装う姿について懸念を示す向きもある。

聖公会ワシントン教区のマリアン・ブッデ主教は15日、CNNの取材に対し、「大統領とその政権を神の意志、さらには神の姿と明確に結びつけている点で、事態はさらに憂慮すべきものとなっている」と語った。

宗教的に正当化されているという感覚は、実際に戦う者たちやその指導者たちにとって慰めとなるかもしれない。しかし戦時中は多くの当事者が、自分たちの側にこそ神がついていると考える。エイブラハム・リンカーン大統領は第2回就任演説の中で、北軍と南軍の兵士たちについて「同じ聖書を読み、同じ神に祈り、互いに相手に対して神の助けを求めている」と指摘した。

ホワイトハウス対教皇

現政権はその方針に確信を持っており、ローマ・カトリック教徒が聖ペテロの後継者と信じる人物――すなわち教皇――に異議を唱えることさえ厭(いと)わない。

教皇の側も一歩も引かない。

「イエスは『平和をつくる者は幸いである』と説かれた。しかし、自らの軍事的、経済的、あるいは政治的利益のために宗教や神の御名(みな)そのものを操り、神聖なものを闇と汚物の中に引きずり込む者たちには、災いがある」と、ローマ教皇レオ14世は16日、カメルーン訪問中に語った。「戦争の達人たち」に対するこの非難は、アフリカもしくは世界中の数々の指導者に向けられていたのかもしれない。しかし、背景にホワイトハウスとの不和があることは明白だった。

米大統領とローマ教皇庁の対立は、聖書解釈を巡るものではない。トランプ氏は自分を批判する者に対して一切の妥協を許さない。それは相手が誰だろうと関係なく、16日には「教皇に対して反対する権利がある」と主張した。この1週間前、教皇はトランプ氏がイランに向けて発した警告に異議を唱えていた。それはもしイランの政権が戦争終結に向けた条件を受け入れなければ、文明全体が「滅亡する」かもしれないという内容だった。

これは世界で最も影響力のある米国人2人――双方とも膨大な数の支持者を抱える――の衝突に他ならない。教皇レオ14世(本名ロバート・プレボスト)はシカゴ生まれで、敬虔(けいけん)さと質素さを貫いた生活を送ってきた。一方、億万長者のニューヨーカーであるトランプ氏は、派手さを特徴とするブランドを築き上げ、自分が天国に行けるかどうかについて公に疑問を呈してきた。

「レオは教皇としてしっかりすべきだ。常識を働かせ、急進的な左派に迎合するのをやめ、政治家ではなく偉大な教皇であることに専念すべきだ」と、トランプ氏は最近ソーシャルメディアに投稿した。恐らくは、教皇が主要な政治的人物になる機会が多いことを忘れているのだろう。加えてこのような言動により、全米5000万人以上に上るカトリック教徒の間で共和党への支持が見込めなくなる事態を招くかもしれない。

米政権による教皇への攻撃は、欧州でも好意的に受け止められていない。「現在、米国には二人の指導者がいる。一人は『アメリカン・ドリーム』の真の英雄だが、それは教皇レオ、つまりプレヴォスト教皇だ。トランプ大統領ではない」。イタリアの元首相マッテオ・レンツィ氏はCNNインターナショナルの取材に答えてそう語った。

バンス氏はいつものように、トランプ氏を擁護する姿勢を明確にした。今週は「教皇が神学的な事柄について語る際には、細心の注意を払うことが極めて重要だ」と発言。教義を巡って教皇と対立することも辞さない構えを見せた。自身が表面的な政治闘争よりもイデオロギー的な対立を好む、極めて異色の政治家であることを改めて示した形だ。

しかしバンス氏を批判する人々は、比較的最近ローマ・カトリックに改宗したこの人物に傲慢(ごうまん)さと野心を見出している。カトリック教徒は概して、教皇の教義上の教えを誤りのないものと見なしているからだ。米カトリック司教協議会(USCCB)教義委員会のジェームズ・マッサ委員長は声明の中で次のように述べている。「教皇レオ14世が万人の教会の最高牧者として語る時、彼は単に神学上の見解を述べているのではない。福音を説き、キリストの代理者としての職務を遂行しているのだ」

イランでの戦争において、政権が最高権威の承認を得たと示唆することは、まさに深淵に踏み込む行為だ。道徳的確信に基づいて戦争を遂行すれば、戦略的な方向性を見失う可能性がある。神の使命感は意思決定を曖昧(あいまい)にし、戦場での過ちを免罪する力をもたらしかねない。まさにこうした理由から、多くの政権は宗教を戦争に持ち込む行為を思いとどまってきたのだ。

本稿はCNNのスティーブン・コリンソン記者による分析記事です。