「その10年が人生を決める」とも言われる、20代。

大半は自分の理想や夢を追い、自分の欲に素直になって、その10年を駆け抜けていく。

しかし中には事情を抱え、20代でそれは叶わず、30代を迎える者もいる。

この物語の主人公・藤沢千尋は病に倒れた母のため、都会に憧れつつも地元の愛媛に残り20代を過ごす

しかし母が他界したことをきっかけに、30歳からもう一度、自分の人生と向き合うことに。

迷いつつも上京を決意し、就職活動を始めた千尋。彼女に訪れる出会いとは―?




「……じゃあ、契約社員と言っても、実質、社員と変わらない仕事をしていたわけだ。即戦力になりそうだね」

父の紹介で受けられることになった、総合法律事務所の就職面接。

大部屋に通された千尋の前には30代くらいの男性弁護士と、人事担当の中年男性・山田が座っている。男性弁護士はほとんど顔を上げず、履歴書に目を落としたまま時折うなずくだけだ。

だが人事担当の山田は終始穏やかな口調で、千尋の見栄えが良いとはいえない経歴も前向きに受け止めてくれているように見えた。

―よかった、紹介というだけあって、無事にここで決まりそう。

山田は「僕からの質問は以上です」と言いながら、恰幅のいい体を弁護士の方へ向ける。

「速水先生、他に何か質問はありますか?」

そこでようやく、弁護士がメガネを押し上げてから、まっすぐに千尋と目を合わせた。

鋭い眼差しと、端正な顔立ちが向けられ、ふいに緊張が走る。この人に問い詰められたら、勝てないだろうなと、そんな印象を抱いた。

防衛本能が働いた小動物みたいに、小さくなった千尋を見抜いたのか、彼はすぐにその鋭い眼差しを解いて、にこやかに話しだした。

「速水といいます、よろしくお願いします」

先ほどと真逆の表情と雰囲気をまとう。その変わり具合から、彼の手腕をより見せつけられたような気がした。

よろしくお願いします、と千尋が返すと、速水は優しい表情のまま、「最後にひとつだけ質問をさせてください」と、今までは前置きだと言わんばかりに静かに告げた。


敏腕弁護士の速水が、30歳で上京を目指す千尋に投げかけた問いかけ


「藤沢さんは、20代、自分のために時間を使えなかったのではないかと思うのですが、逆に30代で、何をしたいですか?上京の目的など、あれば」

「したいこと……」

千尋の真ん中を捉えるような質問に、思わずつぶやいてしまい、とっさに考えをめぐらせる。

―30代でしたいこと……。結婚?出産?SNSに上げられるような、華やかでキラキラした生活?

考えているうちに沈黙が長引いていき、焦るあまり、千尋はその瞬間、パッと浮かんだことをとりあえず話し始めた。

「……大学の卒業式のとき、先生が言っていたんです。人生とは閉じた扉を開いていくことだと……。私は、20代、ほとんど開けずに来てしまったような気がして、それを、開けてみたいです」

急に人生論を語りだしてしまった自分自身に戸惑いながら、速水の表情を覗くと、彼は笑いだすことも、納得することもなく、ただ視線を千尋から離さずにいた。

答えが抽象的すぎると言われているようで、千尋は考えがまとまらぬまま、さらに続ける。

「上京しようと思ったのは……、20代のころの、都会への憧れを未だに捨てきれなかったからかもしれません……。30歳からなんて、遅すぎるかもしれないですし、リスクもありますが、それでも心に引っかかって、後悔したまま終わりたくなかったんです」

「わかりました、ありがとうございます」




速水はその一言だけを口にすると、すっと身を引くように山田に主導権を戻した。

「では、合否に関わらず、3日以内に連絡しますね」

山田はやはり友好的な口調でそう告げた。



―だめだ、答えられなかった……。

エレベーターを待ちながら、答えた内容を振り返ると、どうしても速水の鋭い視線を一緒に思い出してしまう。

自信があって、失敗を知らなそうで、相手を追い込むのが得意そうな人。そう思うと、さっきの質問も揺さぶるためのものだったような気さえしてくる。

―目的ってそんなに大事なのかな……。やってみたい、その気持ちだけで動いていいのは20代までだなんて、誰も決めてないよね……?

六本木駅を目指し、エントランスを出ようとした千尋に、受付の女性が呼び止めるように駆け寄り、声をかけた。

「藤沢さん、待ってください、人事担当の山田がお呼びです。もう一度、上に戻っていただけますか?」

―えっ……、私、忘れ物でもしたかな……?

困惑する千尋に、受付の女性が笑顔を見せ、「これがうちのやり方なんです」とそっと言ったので、呼び戻された意味を理解した。

「えっ、ありがとうございます……!」

「私は何も」と笑う受付の女性から入館証を再び受け取り、千尋はオフィスへと急いだ。


就職戦線の次に待ち構えるのは婚活戦線!?千尋を動かすキーパーソンとは


初出勤の日、研修を終えてデスクまで案内されると、「お昼休憩どうぞ」と言って研修担当の女性は外出してしまった。一緒に食べる人もいないので、ひとまずコンビニにでも行こうかと財布を持ってフロアを出る。

エレベーターが来るのを待っていると、「藤沢さん」と名前を呼ばれた。なんとなく既視感を覚え振り返ると、あのときの受付の女性が立っている。

「これからお昼ですか?」

「あっ、はい、そうです」

横に並ぶと、彼女は思った以上に長身で、スレンダーな体形をしていた。見上げると、きれいに巻かれた艶のある髪と、切れ長な瞳が目に映る。あのときは採用のことで頭がいっぱいで、その美しさまで気づくことができなかった。

「吉田茉莉です、速水先生から聞いたんですけど、実は同い年で」

驚いて目を見開いた。確かにそのしなやかな雰囲気は彼女を大人っぽく見せていたが、それを考えても20代にしか見えなかったのだ。

「よかったらランチ、一緒に行きませんか?」

千尋は茉莉の誘いを受けて、一緒にエレベーターに乗り込んだ。



茉莉に連れられて六本木の『リオ・ブルーイング・コー・ビストロ・アンド・ガーデン』に入る。




彼女はすぐに、タメ口でいいから、と言った。

「面接のとき、速水先生、怖くなかった?」

「ちょっとだけ」

「ほんとにちょっと?」と聞く茉莉に、白状するように「だいぶ」と告げると、茉莉は笑って、裏事情を教えてくれた。

「紹介でも、けっこう落とすの、あの人。私、前の事務所も同じだったんだけど、当時からミステリアスなんだよね。プライベートが謎っていうか……。イケメンなのに」

食事中、ふいに茉莉が、「彼氏はいるの?」と聞いてきて、久々にそんなにストレートに突っ込まれたなと思った。

“30歳独身”というスペックにはどこか触れてはいけないことのように扱われていたし、自分自身でもそう思い込んでいたのだ。

「ううん。しばらくいなくて。地元では結婚している人ばかりだったから、結婚も、少し諦めかけてるところがある」

今度は茉莉が驚いたように目を見開く。彼女はその美しい顔をキープしようとはせず、コロコロと豊かに表情を変える。「そんなにびっくりする?」と千尋は笑って尋ねた。

「30歳から上京してきたって聞いて、もっと希望に満ち溢れた感じかと思ってたから……。想像より落ち着いていて、びっくりしたというか……」

茉莉に結婚相手に求める条件を聞いてみると、「いわゆるハイスぺかな」と取り繕うことのない答えが返ってきた。聞けば、29歳で彼氏と別れてから、恋人というより結婚相手を探しているらしい。

「藤沢さんの求める条件は?」

「えっ、なんだろう……。考えてもみなかった……」

「えーどうして?せっかく行動力があるのに、夢がなさすぎる……!もう30歳からはいいところ伸ばさないと勝ち目ないじゃない?」と茉莉は不思議そうに、その美しい顔を千尋に向けた。

ビルに戻ると、エレベーター前で、ちょうど出ていく速水と鉢合わせた。茉莉を見つけるなり知り合いにあったように手をあげ、それから千尋を見て軽く会釈する。

―なんであの人、私を採用したんだろう?

そんなことを考えていると、ふいに茉莉が「今度、婚活パーティー、一緒に行こうよ」と提案してきた。

「本気!?」

もちろん、と笑顔で言って受付へ戻っていく茉莉を見ながら、急に速水との面接で答えた言葉を思い出した。「扉を開いていきたい」、確かそんなことを口にした気がする。

―まだ可能性なんて、いっぱいある―。

“ここから、運命の人を探し当てたい”その思いが生まれるのを、千尋は確かに感じ取っていた。

▶Next:8月8日 木曜更新予定
茉莉に誘われ、初めての婚活パーティーへ。“運命の人”と出会うことはできるのか―?

▶明日8月2日(金)は、人気連載『家族ぐるみ』

〜夫の学生時代の友人2家族と、家族ぐるみの付き合いを開始した美希(36)。マンネリな日常からの脱却に喜んだのも束の間、いつしか関係はいびつに変化していき…。続きは、明日の連載をお楽しみに!