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明治時代から昭和にかけて、熊本で命を懸けてハンセン病患者の救済に尽くした3人の女性がいます。

【写真を見る】【日本人が背を向けた人達に寄り添う】ハンセン病患者の救済に尽力した英国人3女史の姿を描く紙芝居が完成 「子ども達に、次世代に、3人の生きざまを伝えたい」リデル、ノット、ライト顕彰会が制作 熊本

イギリス人の宣教師のハンナ・リデル(1855~1932年)、グレイス・ノット(1863~1947年)、エダ・ライト(1870~1950年)の3人です。

史実に基づいて、この3人の苦悩や喜び、患者たちを慈しむ姿を描いた紙芝居が完成しました。

患者の痛みを和らげるために…

6月6日、熊本市で紙芝居がお披露目されました。
「ここはイギリスの港です。イギリス人宣教師ハンナ・リデルとグレイス・ノットが、キリスト教を伝えるため、日本に向けて出発しようとしています」

紙芝居を読む「リデル、ライト記念館」のスタッフの柔らかな声に、集まった市民ら約30人は、じっくりと耳を傾けました。

リデルは、熊本の寺の石段で初めてハンセン病患者と出会い、衝撃を受けます。
当時はまだ不治の病だったハンセン病の患者たちの苦しみを、少しでも和らげたいと考え、現在の熊本市中央区黒髪にハンセン病療養所「回春病院」を開きました。

1895(明治28)年のことです。

大隈重信や渋沢栄一に「救済」を訴え

これは、公的な療養所が造られる15年ほど前の出来事であり、日本におけるハンセン病患者救済の先駆的な活動でした。

紙芝居では、リデルが病院の運営費を集めるために奔走し、ノットがリデルを支えます。リデルは初代院長として元総理大臣の大隈重信や財界人の渋沢栄一に面会し、ハンセン病患者の救済の必要性について強く訴えました。

回春病院は、警察から「英国のスパイ」などと疑われ、1941(昭和16年)に閉鎖に追い込まれてしまいます。太平洋戦争開戦の10か月前のことでした。

リデルから受け継いだ大切な療養所を力づくで閉ざされ、患者を奪われた2代目院長のライトは、泣き崩れました。

「よその国で、自分にはできるだろうか」

紙芝居を見た来場者は――

「感動しました。日本人が背を向けた人たちに対して、あれだけのことができるなんて。よその国で、自分はできるだろうか、私たちは今、何をしたらいいの…? そう思いながら見ました」

「絵もきれいで、子ども達にも分かりやすいのでは。ハンセン病について、学校や家庭で学んでほしい」

菊池恵楓園へ寄贈

2年間かけて紙芝居を作った「リデル、ノット、ライト顕彰会」(熊本市)の小笠原嘉祐会長が、6月12日に熊本県合志市の菊池恵楓園を訪れ、入所者自治会の太田明会長に紙芝居を手渡しました。

小笠原会長は、紙芝居の内容を紹介し、「ぜひ活用してください」と語りかけました。

太田会長は笑顔で応えました。「リデルは、日本のハンセン病事業の功労者です。3人の功績はこれからずっと伝えていかねばなりません。熊本のハンセン病の歴史に触れることができる紙芝居であり、ぜひ活用していきたい」

顕彰会は、紙芝居を10セット作成していて、希望する小中学校などへ貸し出すということです。