息子が逮捕! 親はどこまで責任をとるべきか
■20歳以上の罪はあくまで本人の罪
未成年者が罪を犯した場合、親は監督責任を問われます。家庭裁判所に呼び出されて家庭内の事情を尋ねられたり、民事上の賠償義務を負ったりすることも珍しくありません。例えば、2008年に当時小学5年生の男の子が自転車で走行中に60代の女性に衝突し、女性が意識不明になった損害賠償訴訟で、神戸地裁は少年の母親に約9500万円という高額賠償を命じました。
一方、現在の法律では、20歳以上の成人が罪を犯しても、親には責任がない、というのが原則です。あくまで罪は本人にあって、親まで罰せられることはありません。
成人の子が罪を犯した場合に、親にまで責任が及ぶ例外的なケースが、公職選挙法における「連座制」です。候補者の家族、秘書などの関係者が、選挙運動中に買収などで公職選挙法を犯していた場合、候補者の当選は無効になり、同じ選挙区からの立候補が5年間禁止されることがあります。最近では、医療法人徳洲会グループの公職選挙法違反事件で連座制が注目されました。姉などの関係者に禁錮以上の刑が確定すれば、徳田毅衆院議員に連座制が適用される可能性があります。
同様に、親が選挙に立候補し、成人の子が公職選挙法に違反すれば、連座制で責任をとらされることもあるのです。これは、現在の法体系で唯一の例外といえるものです。
江戸時代までは、罪人の親族にも刑罰が及ぶ「縁座」、5人組や名主が連帯責任を負う「連座」がありました。中国では清の時代まで、権力闘争に敗れると「罪は九族に及ぶ」といわれて、一族皆殺しにされることがありました。この「族誅」は中国の属国だった朝鮮、ベトナムにも見られ、日本の縁座、連座はその流れを汲んでいると考えられます。
現在の日本でも、著名人の子が罪を犯せば、たとえ子が成人であろうと親が謝罪する姿がテレビで観られます。法的に責任はなくても、メディアを通して社会に向けてお詫びするのです。これは、血族を重視するアジアの文化的風土といえそうです。
私は歌舞伎が好きでよく観にいきますが、文楽や歌舞伎の物語には、近代法の観点からいえば不合理なことがたくさん出てきます。例えば、12月によく演じられる「仮名手本忠臣蔵」も、現代の感覚でいえば“逆恨みによる集団テロ”です。それでも感動の涙を流しながら観てしまうのは、日本人の文化や心情にマッチしているからです。
中世のヨーロッパにも連座に近い刑罰はありましたが、市民革命が起きたあとは、個人や人権の意識が強くなり、罪はあくまで本人が負うもの、家族に連帯責任はないと考えられるようになりました。
市民革命が起きていない日本では、西洋に見られるような「人権を獲得した」という意識は薄く、心情的には封建時代を引きずっているところがあります。法律上は罪にならなくても、“道義的に許されないこと”がたくさんあります。これは感情論であり、文化的な面が多分にあるので、一朝一夕になくなりません。
「振り込め詐欺」にもその心情は見られます。これだけ注意を呼びかけてもいまだに被害が後を絶たないのは、「わが子の不祥事は表沙汰にしたくない、できれば内々に済ませたい」という日本の親らしい心情を巧みに利用しているからです。だから、頭の片隅では「詐欺かもしれない」と疑いながらも、「万が一、本当だったら大変だ」と思って騙されてしまうのです。
日本の親にはそういう心情があるから、著名人の子が罪を犯せば、マスメディアは当然のように親の謝罪を求めます。そこでお詫びしなかったり、態度が悪かったりすると、たちまちバッシングの嵐です。逆に、潔く真摯な態度で謝罪すれば、「親として立派だ」と評価を高めることさえあります。法的に責任はないとしても、わが子が罪を犯せば、世間様に謝罪するのが親の務め、という意識は根強く残っているのです。
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1945年、神奈川県生まれ。検事を経て79年より弁護士に。得意分野は少年法、家事事件、犯罪被害者保護法など。第一東京弁護士会犯罪被害者に関する委員会委員長、同・文化研究会委員長などでも活躍。
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(弁護士 大澤孝征 伊田欣司=構成 時事通信フォト=写真)
