学生の窓口編集部

写真拡大

任天堂株式会社の岩田聡社長が、7月11日、胆管腫瘍のため亡くなった。享年55歳。

今の学生の皆さんにしてみれば、単純に、「有名なゲーム機/ゲームソフトメーカーの社長?」という以上の感想は抱けないかもしれない。あるいは、ある程度この業界に興味があって調べている人なら、社長として携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」や家庭用ゲーム機「Wii」の開発を率いたことも知っているかもしれない。

そんなヒット商品開発を指揮しただけではない。岩田氏こそ、「家庭用ゲーム機」というジャンルの創生期から、そのソフトウェア開発に関わり、テレビ/パソコンゲームの隆盛と、それが日本が世界に誇る産業に育っていく、前線を切り開いてきたパイオニアの一人であり、天才プログラマとしてもその名を轟かせた人物なのだ。

もともと、岩田氏は任天堂の生え抜きではない。

東京工業大学工学部在学中、百貨店のマイコンコーナーに入り浸っているうち、その店員が立ち上げたマイコンのハード、ソフトを開発するベンチャー企業、株式会社HAL研究所(通称HAL研)に、アルバイトながら創立メンバーとして加わる。これまた、日本のゲーム開発史には欠かせない伝説の企業である。ちなみにHALとは、コンピュータ業界の巨人、IBMを一文字ずつずらしたもので、「IBMの上を行く」気概を示したものとか。

大学卒業後はそのままHAL研の正社員に。日本の工科系大学の最高峰から得体の知れない小企業に入ったことで、しばらくは父親に口も利いてもらえなかったという。

しかしこのHAL研が、折から登場した任天堂の「ファミリーコンピュータ」のソフトウェア開発に積極的に関わり、「ピンボール」「ゴルフ」「バルーンファイト(アーケード版からの移植)」などのヒット作を生み出す。そのプログラミングを担当したのが、岩田氏だった。その後、HAL研の社長に就任。現在でもヒットシリーズとして名高い「星のカービィ」「大乱闘スマッシュブラザーズ」などの誕生に関わった。

そして2000年、任天堂の山内溥社長(当時)に請われ、任天堂に入社。経営企画室長を経て、2002年に代表取締役社長に就任。当時42歳という若さもさることながら、もともと山内家の同族経営会社だった任天堂で、わずか入社2年目で大抜擢されたことも、岩田氏のスゴさを物語っている。

任天堂を社長として率いるようになってからも、前記のように、ヒット商品の誕生を主導。また、社長自身がゲーム機やソフトウェアの開発者にインタビューする企画、「社長が訊く」は、任天堂ウェブサイトの密かな名物コーナーでもあった。このように、経営者としても個性あふれる人物だった。

偉大な先達の早すぎる逝去に合掌。