【山本 金太】「仙台で伝説の女アウトロー」が告白…狂うことも許されぬ「保護房の思い出」と、犬を飼って「シャブ断ち」できた理由

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筆者が文通を続けている女性受刑者Aは、殺人未遂で東北の某刑務所に服役している。彼女から定期的に届く手紙を、四度の受刑歴がある庄司舞子さんに読み解いてもらった。

前編記事『「畠山鈴香は穏やかな顔になっていた」…元受刑者が明かす「女性刑務所の現実」と、「約7円の時給」で働く現役受刑者の告白』より続く。

犬を飼ったことで「シャブ断ち」に成功

TikTokで刑務所ネタの動画を投稿し「再犯しないような発信」をし続ける庄司舞子(48歳)さん。アカウント名「変態一門卍ピッコロ」には9000人近いフォロワーがおり、宮城県仙台市のアウトロー達の間では知らない者はいないという。

庄司さんはハタチから30代にかけての10年間のうち9年間を覚せい剤取締法違反で受刑し、刑務所で過ごした。

「覚せい剤は自分だけではやめられなかった。四度目の収監でずっと気にかけてくれてた父が亡くなり、初めて自分の意思で民間施設ダルクに入所。1年ほどでダルクからも脱落したけど……。いまは人生で初めて体力仕事の解体業を始めたり、犬も飼ったりしながら8年間“シャブ断ち”できている状態です。自分だけではとても辞められませんでした」

そもそもなぜ覚せい剤に手を出してしまったのか。覚せい剤使用者の中には親兄弟が使用していることから自分も……というケースもあるようだが、庄司さんの場合は違った。

「父はJR職員で母は専業主婦で、家庭環境はむしろ良かったです。でも幼少期からなにかとお金をくれたり夜遊びなども自由にできたことから中学の頃にはヤンキーというかギャルになってました。シンナーを買うためにブルセラ(下着などを売ること)をシノギにしてクラブで遊んで。覚せい剤をはじめて使ったのは18歳の時です。ヤクザに『もっといいのあるよ』って」

庄司さんの生育環境は悪くはなかったが、自ら反社組織の構成員と出会うような場所に行き、薬物依存に陥った。10代から20代の間は「ヤク中でずっとスーパーサイヤ人状態でした。だから今は人間に更生中なんです」と言う。

自殺することも許されない「保護房」

「高校卒業後は風俗で働きながら『エナジー入れよう』と覚せい剤を打ち、ホストにハマってホストや売人などいろんな人とキメセクしてました。当時、注射器を回し打ちしてことからC型肝炎も何度も再発しています」

20代からの10年間のほとんどを刑務所で過ごしていた庄司さんだが、刑務所の保護房での体験は今も忘れられないくらい衝撃的だったようだ。

「私はAさんと違って工場の作業はマジメにやらなかったことから刑務官からすぐに『はい、調査!』と言われ、独居房に移され取調べを受けて、反抗しまくるものだから保護房へ移されました。保護房は壁も床も全部クッションでできてる3畳ほどの空間で、入る前に舎房衣を脱がされワンピースのようなものに着替えさせられノーパンになります。このワンピースは破って自殺などできないように縫い目がついたものです」

なぜノーパンなのかというと「パニック状態で垂れ流ししてしまう人もいるから」のだという。

「トイレは3畳の中にありますが、勝手に流せません。1日3回、食事の時に刑務官が来るまで流してもらえないんです。時計もないし作業もないし本を読んだり手紙を書くこともできない。2〜3日目くらいまでは時間の感覚がなんとなくありますが、それ以上になるとわけがわからなくなるんです。『出せー!』って泣き喚いて、正気を保つためにGLAYの『ずっと2人で…』を大声で歌ってました」

なんといっても屈辱的だったのは食事の時だったそうだ。

夫は覚せい剤で服役中だけど

「単独房や共同房ではご飯やオカズなどが盛られる皿が別々で配られるんですが、保護房では犬飯みたいにひとつの皿にゴチャ混ぜで出されるんです。壁も床もクッション製だから頭をぶつけようがなにしようが死ぬこともできない。普通の人だったら気が狂っちゃうと思います」

庄司さんがはじめて保護房を経験したのは、ハタチの時に初めて収監された栃木刑務所でのことだった。そのような気が狂う経験をしながらも、庄司さんはその後、何度も覚せい剤取締法違反で逮捕され22歳、30歳、38歳の時にそれぞれ約2年ずつの受刑生活を送っているのだ。ひとりでは辞められなかった覚せい剤を、どのように辞めることができたのか。

「40歳で四度目の出所をした時、民間施設のダルクに入ったんです。でも脱落して仙台に逃げ帰って。そこで覚せい剤打とうとしたんですよ。でも腕に血管が出てこなくて3時間も格闘して。それでグッタリ疲れて『お前はもう打ち止めだ!』と神様に言われたような気がしたし、これっきりやめようと。それで犬を飼い始めました。ペットを飼うことで『私が覚せい剤でパクられて刑務所に行ったらこの子を面倒見る人がいなくなる』ということに気づいたんです。守るものができると、人間変わります」

庄司さんには今、守るものがたくさんある。

「夫がやっぱり覚せい剤で青森刑務所に収監されていまして。彼の心を支えるために手紙のやり取りを続けないといけないし、それ以外にも妹分が福島刑務支所にいるから、妹分への手紙も送らないといけない。それに解体業の仕事は疲れるけど楽しくて、その現場の若い子からも『姉さん、やっちゃダメだよ』と毎日言われる。彼らとの約束も守らないと」

「守るものがあれば人は再び罪を犯すことはない」。そう強く庄司さんは言う。4月13日に届いたAからの手紙には仕送りなどをしてくれている母親へのこのようなことも書かれていた。

《ただでさえ迷惑をかけているのに、仕送りまでしてもらっていて、それを返すアテもなくて…。どうしようってずっと思っているのに、将来のことは1つも決まってなくて不安だ。親不孝なことばかりしているから、何か親孝行をしたい。どんなことをしたらいいのだろう…?》

Aの出所後の生活で再び犯罪に加担することがないよう願いばかりである。

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