羽生結弦の感動秘話。男子がほとんどやらない“あの技”を入れたワケ
先のソチ五輪では、ショートプログラムで101.45という高得点を叩き出すも、翌日のフリースケーティングでは序盤で2度のジャンプに失敗。後に本人も「最後に手をついて立ち上がるまでに“金メダルなくなったな”って思ってた」と語っている通り、このミスにより金メダル獲得の夢は絶たれてもおかしくなかった。
すると同番組は羽生が見せたイナバウアーに着目した。番組内では「単体だと得点にならず、男子はほとんどやりません」と紹介されたイナバウアーだが、得点を少しでも上げたい選手たちが様々な構成を考える中、羽生はなぜこの技を取り入れたのか――。
そこには、トリノ五輪フィギュアスケート金メダリストで、イナバウアーを代名詞とする荒川静香さんとの絆があったという。幼少より仙台市にあるアイスリンク仙台で練習をしていた羽生は、同リンクが経営難で閉鎖となり、練習場を失った過去を持つばかりか、羽生の著書『蒼い炎』では「波に乗っていたのに、体力も技術も落ちて棒に振った数年間」と振り返っている通り、スランプに陥り悩み苦しんでいた時期でもあったとされる。
しかし、自身も同所で練習していた荒川さんは、金メダルを獲り最も注目される表彰式直後の記者会見で、仙台市のスケートリンクが置かれる厳しい現状を訴えたのだった。これにより、県と市が動き総額1億円の支援を取り付けると、翌年スケートリンクは再開、羽生は荒川さんが金メダルを獲ったことによって自身もスケートが続けられると喜んだという。
だが、2011年3月11日、東日本大震災の影響でリンクは再び閉鎖。羽生自身も数日の避難所生活を余儀なくされ、「自分はもうスケートできないんじゃないかって思った」とスケートを辞めることを考えたが、ここでも荒川さんが真っ先に名乗りをあげるかたちで4月9日にはチャリティー公演を開催。迷いを抱えていた羽生にとってもスケートを続けるモチベーションが生まれたという。羽生が見せたイナバウアーこそ、2度に渡って競技人生の窮地を救われた荒川さんに対する「感謝を込めたイナバウアー」と同番組は締めた。
