【世界初】冬眠中の体内で動く栄養素を可視化…人工冬眠マウスの体内で起きていた「衝撃の変化」
救急搬送中に受け入れ先が見つからない。大手術中に血流を止めている間にも臓器は傷んでいく。もし体を"省エネモード"に切り替え時間を稼ぐことができたら、助かる命は確実に増える。
そんな医療の壁を、生物が持つ"特殊能力"から乗り越えようとする研究がある。冬眠だ。冬眠中の動物は代謝を極限まで落とし、最小限のエネルギーで命を繋ぐ。この仕組みを人為的に再現し、医療に応用する──「人工冬眠」と呼ばれる分野である。
理化学研究所生命機能科学研究センター冬眠生物学研究チームの砂川玄志郎氏は、もともと小児科の救急医として重症の子どもたちに向き合う中で、「今をしのげれば助かる命がある」という思いから冬眠研究の世界に飛び込んだという。2026年1月16日、長崎大学との共同研究で、人工的に冬眠状態にしたマウスの体内で栄養素がどう動くかを世界で初めて観察したことを報告する論文が発表された。
人工冬眠は実現することができるのか。研究の最前線について話を聞いた(以下、「」内は砂川氏のコメント)。
冬眠研究の歴史を変えた「Q神経」の発見
厳しい冬の寒さもようやくやわらぎ、各地で春の便りが届き始めた。山や森では、長い眠りから目覚めた動物たちがそろそろ活動を再開する頃だ。
「冬眠」と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、秋のうちにたっぷり食べて丸々と太ったクマが、雪に閉ざされた穴の中でぐっすり眠っている姿ではないだろうか。寒さをしのぐために体を丸め、春が来るまでじっと耐える。そんなイメージかもしれない。
ところが、冬眠の本質は眠ることでもなければ、体を冷やすことでもない。砂川氏は次のように説明する。
「冬眠動物の体の中で最初に起きるのは、代謝の急激な低下です。『代謝が良いから体温が高い』『代謝が悪いからダイエットできない』などと言いますが、代謝とは栄養素を分解してエネルギーをつくったり、逆にエネルギーを使って体をつくったりする機能のことを指します。
冬眠中、代謝が落ちることで結果として体温が下がる。順番が逆なのです。冬眠中の動物は数日おきに一度体温を上げ、また下げていく。その波を何ヵ月も繰り返しながら、最小限のエネルギーで冬を越していきます」
冬眠研究は1900年代ごろから、少しずつその仕組みを解明しようと多くの研究者が取り組んできた。しかしその多くは冬眠する動物の生態学的な観察にとどまり、実験を行うような研究はなされてこなかった。
「メカニズムを調べるには、クスリを投与したり、温度条件を変えたりする必要があります。しかし、自然界の冬眠現象は年に一度しか起こらず、環境条件に左右されるため、いつ始まるかもわからない。研究しづらい対象だったのです」
そんななか、2020年にブレイクスルーが起きた。砂川氏と筑波大学の櫻井武教授らとの共同研究で、マウスの脳の視床下部にある特定の神経細胞群を人工的に刺激すると、本来冬眠しないはずのマウスの体温と代謝が数日間にわたり著しく低下し、冬眠によく似た状態に入ることが発見されたのだ。砂川氏らはこの神経細胞群を「Q神経(Quiescence-inducing neurons=休眠誘導神経)」、誘導された低代謝状態を「QIH」と名付け、成果は科学誌『Nature』に掲載された。さらに、冬眠も休眠もしないラットでもQ神経を刺激することで同じ現象を再現することができ、実験研究が大きく前に進むことになる。
グルコース消費から脂肪酸消費に切り替わる
そして今回、人工冬眠させたマウス(QIHマウス)を用いて、冬眠中の体の中を“覗く”ことに成功する。使われたのは、PET(陽電子放射断層撮影)と呼ばれる技術だ。
「たとえば、体の中を見る方法としてレントゲンやCTがありますが、これらでわかるのは骨や臓器の形や位置までで、栄養素がどこにあるかまでは見えません。
PETでは、見たい栄養素に放射線を出す"目印"を付けてからマウスの体内に入れます。すると、その栄養素がどの臓器に取り込まれ、どう運ばれていくかを、目印が出す放射線を頼りに追跡できるようになるんです」
今回の観察実験では、人工冬眠中のマウスの体内でグルコース、ビタミンB1、アミノ酸という3種の栄養素の動きを追った。
なかでも砂川氏が注目したのは、グルコース(ブドウ糖)の動きだったという。
「通常時と比べて、心臓が取り込むグルコース量はほぼ失われていました。測定していないので確かなことは言えませんが、これによって、心拍数は少なくなっていると予想されます。
この時、心臓は止まっているわけではないのでエネルギーは必要な状態にある。QIHマウスは、使用する栄養をグルコースから脂肪酸へ切り替えたんだと思います」
普段、動物の体はグルコースと脂肪酸という二種類の"燃料"をバランスよく使っている。この二つには明確な違いがあり、グルコースは取り込んですぐにエネルギーに変えられる。一方、脂肪酸はエネルギーに変換するのに手間がかかる。ただ、脂肪酸のほうが同じ重さあたりで得られるエネルギー量が段違いに多い。
「たとえば全力ダッシュする時など、急にエネルギーが必要な場面ではグルコースが圧倒的に使われます。逆に、そこまでエネルギーを必要としない時や飢餓に近い状態では脂肪酸が優勢になる。片方の使用量が減ると、もう片方が増える。体はそうやってバランスを調整しているんです。
なので今回、PETでグルコースの使用量が激減したのを見て、冬眠中の心臓は脂肪酸に頼っているのだろうと考えました。
これは正直、予想通りの結果でした。自然界の冬眠動物も同じ切り替えをすることはわかっていましたから。ただ、人工冬眠が本当に冬眠に近いのかどうか、これまでは根拠のない予想でしかなかったので、同じ現象が起きていると確認できたのは、大きな進展です」
そして、今回の実験では、もう一つ注目すべき発見があった。マウスの肺がん細胞を移植したマウスにQIHを誘導したところ、腫瘍の増殖を大きく抑えることができたのだ。
「冬眠状態になると、マウス自身の細胞の代謝が落ちるのはもちろんですが、外から移植したがん細胞までつられるように成長が遅くなるんです。まだ発表していないものも含めて、他の種類の腫瘍でも試していますが、やはり同じ傾向が見えてきています」
なぜ冬眠状態でがんの成長が遅くなるのか。そのメカニズムはまだ解明されていないという。
「全身の代謝が落ちることに引きずられて、がん細胞の増殖も鈍くなっているのか。それとも、冬眠という環境そのものが腫瘍にとって"居心地の悪い"ものなのか。そこは今、懸命に調べているところです」
冬眠でがんの進行を遅らせることができるなら、その間に治療の選択肢を探る時間を稼げるかもしれない。人工冬眠の可能性は、当初の救急医療への応用という枠を超え、がん治療という新たな領域にも広がり始めている。
後編『人間は冬眠能力を持っている?…「六甲山の遭難事例」と生理現象から見える医療の可能性』では、砂川氏の人工冬眠の可能性についての展望を語ってもらう。
