「アスリートは常に強く」は間違っている りくりゅう金メダルに見た、弱さを“さらけ出す”大切さ
鈴木明子氏×小塩靖崇氏「スポーツと心のコンディション」対談・第1回
2月に開催されたミラノ・コルティナ五輪のフィギュアスケートでは、記憶に残る数々の名シーンが生まれた。日本中が固唾を呑んで見守った氷上の華麗な戦いを、THE ANSWERならではの視点で振り返るスペシャル対談。プロフィギュアスケーターで五輪の中継解説を務めた鈴木明子氏と、東大スポーツ先端科学連携研究機構特任講師でスポーツ界のメンタルヘルスに詳しい小塩靖崇氏が、選手たちの“心の中”に迫る。
“りくりゅう”こと三浦璃来、木原龍一組(木下グループ)は、五輪ペアのショートプログラム(SP)でのミスにより5位と出遅れたものの、フリーでは見事な演技を見せ、大逆転で金メダルを獲得した。この事例をもとに、スポーツにおける「メンタルの立て直し」について、スケーターと研究者、それぞれの視点から考察した。(取材・文=長島 恭子)
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――今回は「スポーツと心のコンディション」をテーマに、2月のミラノ・コルティナ五輪のフィギュアスケート競技についてお話を伺います。まずはペアで金メダルを獲得した“りくりゅう”こと三浦璃来・木原龍一組についてです。2人のパートナーシップの在り方は、今大会で最も話題となりました。
鈴木明子(以下、鈴木)「私はミラノオリンピックの現地で、彼らの演技を客席から観ていました。SPでは本来、彼らが一番得意としていたリフトでバランスを崩してしまい、5位でスタート。まさかのミスに、演技終了直後の木原選手は客席から見ても分かるほど、『この世の終わり』といった表情でした」
小塩靖崇(以下、小塩)「その様子は、日本でテレビを観ている私たちにも痛いほど伝わってきました。でも翌日は一転して、フリーの演技で世界歴代最高得点をたたき出して優勝しました。これは本当に素晴らしい復活劇でしたね」
鈴木「はい。シングル競技はSPとフリーの間に、中1日の休息・練習日があるんですね。でも、ペア競技はSPの翌日にすぐフリーが行われる。そのため、いかにして気持ちを切り替えるかが非常に重要です。ところが、木原選手は失敗のショックからフリー当日の夕方の練習になっても、うまく切り替えることができなかった」
小塩「SP後から当日の夕方の練習まで、ずっと涙が止まらない状態だったと優勝後のインタビューで話していましたね」
鈴木「はい。悔しさで夜もあまり眠れなかったようです。彼の気持ちが切り替わったのは、本番前。璃来ちゃんが木原選手のスーツケースに仕込んでおいた、ジップロックに書かれたメッセージを読んだ時です。『今までやってきたことを信じて。私たちならできる!!』というメッセージを読み、『勝ちに行く』という気持ちを持って6分間練習に入ったと言っています。最後は璃来ちゃんの言葉が木原選手を救いました」
小塩「私もそのエピソードをテレビで知り、とても印象に残りました。木原選手の歩みを拝見すると、厳しい状況の中でもフィギュアスケーターとして競技人生を貫いてこられた方です。そうした経験の積み重ねのなかで、ご自身の感覚や信じるものを大切にしてこられたのではないかと思います。一般に、極度の緊張や落ち込みのなかでは、周囲の声かけを受け取ること自体が難しくなる場合があります。そのなかで三浦選手のメッセージが届いたのは、特別なことだったのではないでしょうか。普段から築いてきた信頼関係があったからこそ、相手の状態に気づき、どんな言葉なら届くかを自然に分かっていたのかもしれません」
鈴木「おっしゃるとおり、木原選手は意外と頑固ですし、こだわりも強い。誰の意見も素直に聞くタイプかと聞かれたら、決してそうではありません。本当に信頼しているパートナーだからこそ、極限状態のなかでも璃来ちゃんの『私たちならできる』という言葉が素直に入ってきたのだと思います」
「自分の弱さを認めること」がいかに大事かを証明した
小塩「一方で、木原選手は五輪という世界中が注目する舞台でも、落ち込む姿を無理に取り繕わずに見せていたことが印象的でした。そこには、自分を貫く強さと同時に、感情を率直に出せる素直さも感じられます。その両方を持ち合わせている点が、とても印象に残りました」
鈴木「SPであのような結果を残してしまうと、『年上の自分が強くなきゃいけない』と考えてしまう方のほうが多いと思います。でも木原選手は自分の感情を素直に出せる。ただ、それは小塩さんの言うように、彼の資質だけでなく、璃来ちゃんに対して普段から自分をさらけ出しているからこそだという気がします。だから落ち込む姿も躊躇せずに見せられたのかな、と」
小塩「そうですね。失敗をすぐに認めて、あれだけ落ち込んでいることが周囲にも伝わるほど、感情が表に出ていたということは、結果的には大きな意味があったかもしれません。というのも、つらさを無理に隠してしまうと、周囲は『大丈夫そうだ』と受け取り、必要な支えのタイミングをつかみにくくなることがあるからです。逆に、しんどさが見えることで、パートナーも『今は支える必要がある』と気づきやすくなる。そう考えると、木原選手が弱さを見せられたこと自体が、三浦選手の支えを受け取る一つのきっかけになったのではないかと思います」
鈴木「私も素直であることはアスリートに重要だと思います。特にアスリートの場合、メディアの前では強く見せなきゃいけないとか、『見せたい自分』があるものです。だけど、ミスをすれば人間として落ち込むのは当然です。『アスリートは常に強くなければならない』という固定観念は、間違っていると思います。それに、あれだけ素直に感情を出している姿を見て、周囲の人も心を動かされた。
今回の出来事は、自分の弱さやできなかったことを認めて前に進むことが、成長のプロセスにおいてどれだけ大事かを証明していたと思います。SPの失敗から、フリーであれだけのパーフェクトな演技をして世界新記録と金メダルを獲ったことは、失敗からのリカバリーにとどまらず、『進化』へとつなげた理想的な姿です」
小塩「今、三浦選手は24歳ですよね。脳のなかでも、感情を落ち着かせたり、状況を少し引いた視点で捉えたりする働きに関わる前頭前野は、思春期から若年成人期の12〜25歳頃にかけて発達していくとされています。もちろん、そうしたことは年齢だけで一律に決まるわけではありませんが、三浦選手は経験を重ねるなかで、自分の気持ちだけでなく、パートナーの状態も見ながら支えられる力が、より自然に発揮できるようになっていたのかもしれません」
鈴木「それは大変興味深いお話です。そういえば璃来ちゃんも試合後のインタビューで、『以前の私だとここまで強くなれなかった』と言っていましたが、実は経験値の積み重ねだけでなく、脳の成熟も関係しているのかもしれないんですね」
小塩「そうですね。同じ6年半一緒に過ごしていたとしても、もしもっと若い時期だったら、ここまで落ち着いて同じように支えることは簡単でなかったかもしれません。相手がどんな状況にあって、どんな言葉なら届きやすいのかを見極める力は、やはり経験とともに少しずつ育っていくものだと思います。そうした成長の積み重ねが、今回の逆転劇の場面で自然に表れたのかもしれません」
相手の特徴を個性として受け止められる関係性
鈴木「あと2人の関係性で面白いなと思ったインタビューがあるんです。今回、璃来ちゃんは五輪中に忘れ物がすごく多かったそうなんです。それに対して木原選手が『璃来ちゃんに忘れ物が多い時は、競技に集中している時だから、いい状態だ』って言うんですよ」
小塩「それはとても興味深いですね。木原選手は、ご自身のルーティンや準備を大切にしている印象がありますので、一見すると三浦選手とは正反対にも見えます。でも、だからこそ相手の特徴を『自分と違うから困ること』としてではなく、『その人の状態を知る手がかり』として受け止めているのかもしれませんね」
鈴木「そうなんです。彼は普段は冷静でいろいろときちんと決めているタイプ。普通なら自分がきちんとしていると、相手のうっかりにも『こんな大事な時に忘れ物するなよ!』と、イライラしたり怒ったりすると思うんです。でも、璃来ちゃんのことを分かっているから、『忘れ物が多い=璃来ちゃんの調子がいいぞ』と思える。短所を短所として取らず、その人の個性として受け止めている。これこそが2人の良さだなあと思いました」
小塩「『これってこうとも言えるよね』と少し視点を変えて捉えてみること、いわゆるリフレーミングの姿勢は、スポーツを続けるうえでも大切なのだと思います。というのも、人の弱みや短所と見えるものが、場面や関係性が変わることで、別の意味を持つことがあるからです。欠点をただ直す対象にするのではなく、その人らしさの一部として理解しようとすることは、支え合う関係の土台にもなるように感じます。りくりゅうのお二人の関係にも、そうした姿勢が表れているかもしれません。ちなみに普段のりくりゅうは、昔から木原さんが三浦さんを引っ張っていく関係だという記事を読みましたが……」
鈴木「そうですね。恐らく2人の年齢差(五輪当時、三浦選手24歳、木原選手33歳)の影響もありますが、いつもは木原選手が“お兄さん”としてリードする存在。ちょっとうっかりしがちな璃来ちゃんをサポートする、という感じです。
例えば、昨年の全日本選手権で璃来ちゃんが肩を脱臼した際、バックヤードで『また外れちゃったらどうしよう』と不安がる璃来ちゃんに、木原選手は『絶対に腕を僕が外さないようにサポートして滑るから、信じて大丈夫だよ』と声をかけていました。5歳から彼を知っている私としては、『なんて頼もしい男になったんだ!』と思いました(笑)」
小塩「では、今回のオリンピックでは、その立場が完全に逆転していたんですね」
鈴木「はい。あそこまで落ち込んでいる彼を支える璃来ちゃんの様子を見た時、覚悟が決まっている感じがして、なんとも頼もしく『フリーは大丈夫』と思わせてくれました」
小塩「ショート終了後からフリー当日のウォーミングアップまで『ずっと泣いていた』という木原さんが、『なんで泣いているのか(自分でも)分からない』と話していたことに対して、三浦さんは『赤ちゃんみたい』と表現しました。私は、そのやり取りにも、お二人の深いパートナーシップが表れているように感じました。自分でも整理しきれない感情を、そのまま相手の前に出せるというのは、決して当たり前のことではありません。弱さや混乱を見せても大丈夫だと思えること、そしてそれを受け止めてもらえる感覚が、普段からお二人の間に育まれていたのかもしれません」
鈴木「まさにお互いが支え合う『人』という字そのものの関係性ですよね。スポーツにおけるパートナーシップの理想の関係性とは、状況に応じて一方が弱くなったりダメになりかけたりした時に、もう一方が引っ張れることなのかなと、今回、りくりゅうを観ていて感じました。また、2人のコーチであるブルーノ・マルコットコーチも、ものすごく愛情深く、選手を温かく導ける人。3人の良いバランスも、今回の結果につながる要因だったと感じます」
小塩「弱さを見せることや、誰かに頼ることは、決して否定的なことではないと思います。りくりゅうのお二人のように、お互いの凸凹を認め合いながら、時には相手を頼り、時には自分でも踏ん張って支え合える関係性は、これからのスポーツ界でもますます大切になっていくのではないでしょうか。誰もが1人で完璧でいることはできないからこそ、それぞれの個性を補い合うことで、1人では生み出せない成果や感動につながっていくのだと思います」
■鈴木明子 / Akiko Suzuki
1985年3月28日生まれ。愛知県出身。6歳からスケートを始め、00年に15歳で初出場した全日本選手権で4位に入り、脚光を浴びる。東北福祉大入学後に摂食障害を患い、03-04年シーズンは休養。翌シーズンに復帰後は09年全日本選手権2位となり、24歳で初の表彰台。10年バンクーバー五輪8位入賞。以降、12年世界選手権3位、13年全日本選手権優勝などの実績を残し、14年ソチ五輪で2大会連続8位入賞。同年の世界選手権を最後に29歳で現役引退した。現在はプロフィギュアスケーターとして活躍する傍ら、全国で講演活動も行う。
■小塩靖崇 / Yasutaka Ojio
東京大学スポーツ先端科学連携研究機構(UTSSI)特任講師。三重大学医学部看護学科卒業後、病院での臨床経験を経て、東京大学大学院教育研究科にて博士号(教育学)を取得。2017年より国立精神・神経医療研究センターにて、若者のメンタルヘルス教育および研究に従事。健康教育学を専門とし、教育現場やスポーツの場におけるメンタルヘルス教育プログラムの開発、学校教員向けの教科書執筆などに携わっている。また、アスリートと協働で進めるメンタルヘルスプロジェクト『よわいはつよいプロジェクト』に研究の観点から関わっている。近著に『10代を支えるスポーツメンタルケアのはじめ方』(大和書房)、『PDPの教科書―アスリートを支える新しいカタチ』(大修館書店)。
(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)
長島 恭子
編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。人物インタビュー、ヘルスケア、ダイエット、トレーニングの分野を軸に、雑誌、書籍等で編集・執筆を行う。担当書籍に『すごい股関節』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)など。
