「くだらないけんか」が最後の会話、後悔し続けた思い…15年前のクレーン事故で弟亡くした兄が見つけた目標
栃木県鹿沼市の国道で、クレーン車が集団登校中の小学生の列に突っ込み、児童6人がはねられて死亡した鹿沼クレーン事故から、18日で15年を迎えた。
中学2年の時に、弟の卓馬君(当時小学6年)を亡くした大森幹太さん(28)が読売新聞の取材に応じ、当時の状況を振り返った。(後藤あやめ)
「今朝、車が歩道に突っ込む事故がありました。けがをした人はいませんか」。2011年4月18日、朝のホームルームで担任がクラスに呼びかけた。自分も含め事故に遭遇した人はだれもいなかった。ただ、なぜか直感的に「卓馬が巻き込まれたかもしれない」と思い、心が落ち着かなかった。
「車が歩道に突っ込んだってどういうことだろう」 もやもやした気持ちを抱えたまま、2時間目の授業を受けるため音楽室に入った時、慌てた様子の担任に呼び出された。「荷物を全部持って来て」。同級生の親に連れられて、鹿沼署に向かった。何がおきたかは伝えられなかったが同級生の親は泣いていた。直感が現実になったことを悟った。
署に着くと、ほかの犠牲者の家族も集まっていた。警察官から「家族がそろったので、一家族ずつご遺体を確認してもらいます」と言われた。
霊安室で、卓馬君の遺体と向き合った。顔には傷があり、唇は裂けていた。両親は泣き崩れていたが、あまりに突然のことに理解が追いつかず、変わり果てた弟の姿を見ても涙は出なかった。
卓馬君とは前日、近くの水田で兄弟2人だけで野球の練習をしていた。遊びのような内容だったがささいなことでけんかになった。朝、登校時に一緒に家を出ると、「見てるんじゃねえよ」と言われ、「別に見てねえし」と言い返した。これが最後の会話となった。
冷たくなった卓馬君と一緒に帰宅した。だんだんと弟を失った悲しみがこみ上げてきた。前日のくだらないけんかを思い出し、「ごめんね」と何度も謝った。大好きだった野球のユニホームを着て和室に寝かされた卓馬君を前に「もう話せないんだな」と涙があふれた。
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慌ただしい葬儀が終わった2日後、学校に戻った。事故発生から1週間。所属していた野球部の顧問には「休んでいいんだよ」と言われていたが、忙しくしていないと、湧き上がる悲しみに耐えられなかった。
少年野球チームに所属していた卓馬君とは、自宅の庭で暗くなるまで2人で練習するのが日課だった。事故後も野球部の活動にはいつも通りに打ち込んだが、家でのひとりぼっちの練習はつらかった。
卓馬君と学校での出来事を話しながらキャッチボールしたことや、ヒットを打ったときに見せる卓馬君の得意げな顔などが次々と頭に浮かんだ。
「もっと優しくすればよかった」と後悔し続けた。授業中ノートにびっしりと「卓馬」と書いていたこともあった。無意識だった。
時間がたつにつれて、クレーン車を操縦していた男が、過去に人身事故を起こして執行猶予中だったことなどが次々と明らかになった。
「なんでそんな状況でクレーン車を操縦できる仕組みだったんだ。社会を正したい」。弟が亡くなった原因にもなった仕組みやルールを変えようと、政治家や弁護士を志した時期もあった。ただ、日々が過ぎていくにつれ、そうした思いは薄れていった。
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今、大森さんは二松学舎大大学院の博士課程で漢文研究に没頭している。
高校時代、漢文の授業で秦王(のちの始皇帝)の命を狙った燕の刺客・荊軻(けいか)を取り上げた文章に触れたのがきっかけだった。「大昔の人と対話しているような感覚がある」と語る。このまま漢文の研究者になるのが今の目標だ。博士号を取得した後は中国に渡り、さらに研究を深めることを夢見ている。
卓馬君の命日である18日には実家に帰り、仏壇に手を合わせ、「今年は博論で踏ん張りどころなんだ。駆け抜けられるように頑張るよ」と語りかけるつもりだ。「卓馬はなんて言うかな。博論なんて興味ないか」。冗談っぽくほほえんだ。
◆鹿沼クレーン事故=2011年4月18日、鹿沼市の国道で、てんかん発作を起こした男のクレーン車が登校中の小学生の列に突っ込み、6人が死亡した。運転していた男は持病を申告せずに運転免許を取得しており、宇都宮地裁は同年、男に自動車運転過失致死罪の上限となる懲役7年を言い渡し、確定した。事故を契機に、持病の虚偽申告に対する罰則が定められるなどの法改正が行われた。
