かつてクマに襲われたことがあるハンターの田村茂氏

写真拡大

 クマによる人身被害・死亡事故がともに過去最多を記録した昨年度に続き、今春も各地でクマの目撃情報が出始めている。全国有数のツキノワグマの生息地に73歳の老ハンターを訪ねると、個体数や餌不足の実態について語った。ノンフィクションライターの中村計氏がレポートする。(文中敬称略)【前後編の前編】

【写真】猟銃を構える田村茂氏。狩猟は「唯一の道楽だ」と語る

「撮っていいぞ」

 意を決し、写真を撮ってもいいかと尋ねると「マスク、取ったほうがいいかな?」と返された。

 こちらが「よろしいですか?」と言い終える前にハンターの田村茂はマスクに手をかけていた。

 田村がかつてクマに襲われたことがあり、片方の目が義眼であるなど顔に大怪我を負っていることは事前に知っていた。また、本人はそのことをほとんど気にしていないようだということも共通の知人から聞いていた。

 なので、田村の前で、たじろぐような態度は見せまいと決めていたが、実際に損傷具合を目の当たりにし、やや躊躇しているように映ったのかもしれない。田村はこちらの覚悟を促すように語調を強めた。

「撮っていいぞ」

 その言葉には、田村が容姿にハンディキャップを負ってからというもの、どのような腹構えで人生を歩んできたかが表われていた。

人里の餌がある場所に集中

 雪の下に眠る町――。新幹線の停車駅である北上駅からディーゼル車に揺られること約45分、岩手県の最西端、秋田県との県境に位置する人口約4500人の西和賀町は、冬になると、そんな様相を見せる。ここが田村の生まれ故郷だ。

 青森県から福島県まで南北およそ500キロメートルにわたって走る奥羽山脈の懐に抱かれた西和賀町を含む町々には、ほぼ例外なく3つの共通点がある。

 1つは豪雪地帯であるということ。もう1つは交通が不便であるなどの理由により高齢化地域であるということ。中でも高齢化率50パーセントを超える西和賀町は、岩手県内ではもっとも高齢化が進んでいる自治体だ。そして、3つ目。それはツキノワグマの超高密度エリアであることだ。

 昨年度、国内のクマの事故による死者数は統計がスタートした2006年以降、最多となる13人に達した。都道府県別に見るとトップは岩手県の5人で、それに秋田県の4人が続く。死亡事故のうち約7割がこの2県に集中しているのは、決して偶然ではない。

 昨年、東北地方で起きた事故のうち、真っ先に思い出される衝撃的な事案がいくつかある。人家に侵入したクマに襲われ81歳の高齢女性が死亡した事故(北上市和賀町)、露天風呂の清掃中に従業員の中年男性がクマに殺され山中に引きずられていった事故(同上)、民家の周辺で男女4人がクマの襲撃を受け1人が亡くなった事故(秋田県東成瀬村)の3件だ。これらが起きた現場は、いずれも西和賀町の隣町だ。

 こうした事故を見聞きすると、周辺の山々には、ツキノワグマがうようよとしている様子をイメージしてしまうかもしれないが、その想像は事実と著しく乖離している。

 昨秋、世間では、メディアが連日のようにクマの出没を伝え、恐怖を必要以上に煽る「クマの狂想曲」とでも呼ぶべき現象が起きた。その渦中、田村は10回以上、山に入ったが、一度もクマを見かけなかったという。

「ぜんぜん見つけられなかった。いないのさ。山ん中には。ぜんぜん」

 ところが里の栗や柿の木の周りに何頭ものクマが群れていた。

「異常だな。ここ2〜3年は。クマは縄張り意識が強いから、普通、山ん中に適度に散らばってるものなんだ。そもそもクマは臆病ものだから、人里になんて降りてこない。ただ、腹が減ってたら別よ。食べるものがないから、里の餌がある場所に集中してしまう。ここ2〜3年で急にクマが増えたっていう人もいるけど、我々はそうは思ってない。奥山にはいないんだから。断わっておきますけど、西和賀では、ですよ。他の地域はわかりません」

(後編につづく)

【プロフィール】
中村計(なかむら・けい)/1973年生まれ、千葉県出身。ノンフィクションライター。著書に『甲子園が割れた日』『勝ち過ぎた監督』『笑い神 M-1、その純情と狂気』など。スポーツからお笑いまで幅広い取材・執筆を行なう。近著に『さよなら、天才 大谷翔平世代の今』。

撮影/二神慎之介

※週刊ポスト2026年5月1日号