住んでいる街によって、人生は変わり、また人も大きく変わる。

2020年、東京の街は大きく変貌した。

店は閉まり、代わりにフードデリバリーの自転車を頻繁に見かけるようになった。また時差通勤やテレワークが導入され、ラッシュ時の人は減った。

では、東京に住む女の人生は、どう変わったのだろうか? エリア別に、その実態に迫る。

今回は港区麻布十番に住む、彩未(27)の話。




生活に困窮し始めた麻布十番女子・彩未(27歳)


「う、嘘でしょ…」

アプリで自分の銀行口座状況をチェックした途端、思わずスマホを落としそうになった。

預金残高が、いつのまにか62万円にまで減っていたのだ。

「なんで…?この前まで300万以上はあったはずなのに…」

何かの間違いかと思いもう一度チェックしてみるが、何度見ても変わらない。

麻布十番にあるこの部屋の家賃が20万。生活費10万。加えて洋服や美容代などの自己投資費が20万ほど。ざっと計算して、毎月少なくとも50万は必要だ。

WEBデザイナーをしている私の年収は560万で、実際の手取りは約36万。

不足分は毎回貯金から捻出していたが、このままいくと、私はあと約半年で全財産が尽き果てる。そう思った途端、全身の血の気が引いていった。

「……なんでこんなに貯金がないの?」

半年前まで、この部屋の家賃は別れた彼氏(という名のスポンサー)が支払ってくれていた。契約も、もちろん彼の名義だ。

麻布十番という街が好きだったし、別れてもまた別の、元カレのような男性がすぐに現れると思っていたので、この家に住みついていた。

だが気づいたときには、引越し費用もままならぬ状況だ。

残されたのは、30平米で20万もする部屋。そして部屋のスペースを圧迫している洋服や靴、ブランド物のバッグだけだった。


貯金残高62万でどうやって暮らすのか…困ったオンナがとった行動とは


生きているだけで流れていくお金


「彩未、引っ越さなくて本当に平気なのか?」

別れ際、元カレの悠馬からそう言われたときに、引っ越しだけは頑なに拒否した。

「うん、この家が好きだから。しばらくは自分でも払えそうだし」
「そうか。彩未なら、すぐにいい人が見つかるよ」

麻布十番民は地元愛が強い。一度住んだらほぼ麻布十番で用事が住んでしまうと気づく。いい意味で閉塞感がある街だ。

だから自粛期間中、麻布十番の商店街の人通りは逆に増えていた。スーパーなどの買い出しや近所の散歩に出かける人たちが多くいたからだ。

私もこの街が好きで引越しもせずに半年間暮らしていたが、近頃出会いは減り、悠馬のようにポンッと家賃を支払ってくれる男性は未だに見つかっていない。

「ヤバイ…どうしよう…」

焦りながら自分の生活を思い返してみるが、そこまで贅沢をした記憶はない。でも先日引き落とされていたカードの明細書を見て、腰が抜けそうになった。

普段はできないと思って始めたダウンタイムが必要な美容医療に15万、Uber Eatsなど無意識の出費が約5万。オンライン系のレッスンが月額1万。ヘアサロン2万、ネイル1万。どこへも出かけないのに、先日展示会でオーダーした洋服の支払いのツケが約10万…。

しまいには、セールになっていた靴を15万で購入している。

そして一番怖いのは、それほどお金を使っている自覚がなかったことだ。

悠馬と交際した結果、私の金銭感覚はバカになっていた。




-翌日-

頭を抱えながら商店街のスタバに入ろうとすると、急に声をかけられた。

「あれ、彩未?」
「ゆかり!偶然だね」

ゆかりは1年前までよく遊んでいたが、そういえば自粛期間に入ってから連絡すら取っていなかった気がする。

「彩未、そういえば、別れたんだって?」 

悠馬が私と別れた理由は、なんとくわかっていた。既婚者である悠馬は、コロナ以前のように飲んだ帰りにうちに寄る…なんてことができなくなった。

遅くまで開いている店もないし、言い訳ができないので家を抜け出しにくくなり、会う時間が減っていた。そうなると、彼からすると私はただの金食い虫でしかない。

「でも悠馬さんの会社、結構厳しいみたいだからよかったじゃない。よければ今度ホムパでもしようよ、知り合いにも声かけておくから。彩未みたいな子はちょうどいいから、メンズたちも喜ぶし」 

- ちょうど、いい…。

「彩未は安心できるから、誘うんだよ♡って、その靴可愛いね」

- 安心できる?

「ありがとう!ゆかりの靴も可愛いね。新作?」

どうしてだろう。話しているうちに、どんどん虚しくなっていく。

ゆかりと1対1で会ったことはない。それどころか、食事会などの男性がいる場でしか会ったことがない。

ゆかりからすると、適度に若くて見栄えもよい、私のような害のない女子が必要なのだろう。ゆかりの狙っている男性に手も出さないし、口も堅い。

だから安心できる、使い勝手の良い女トモダチ。

でもそういう私も、ゆかり自身ではなく、彼女の周囲にいる男性を見ていた。

飲み会に呼ばれたらホイホイ顔を出していたし、誰かいい人がいそうだから、付き合っていた。東京でいい暮らしをさせてくれそうな男性を見つける、ツテ…。

「また連絡するね〜」

ハイブランドのショートブーツのヒールをカツカツと鳴らしながら、颯爽と去っていくゆかり。

その音が、虚しく響きわたる。

表面的なところだけしか繋がっていない、私とゆかり。それを表すかのような、乾いた音だった。


ブランドに身を固め、無理をしてあがいていた女が脱ぎ捨てたもの


もうコーヒーを飲む気にはなれず、そのまま商店街を歩きながらふと空を見上げた。

雲ひとつない快晴のはずなのに、見上げた空はいつもより狭く感じる。 一方通行の商店街は、高級外車とタクシー以外走っていない。

「私って、この街にふさわしいのかな …」

地元民が昔から愛する『スーパーナニワヤ』や『あべちゃん』など下町風情がありながらも、芸能人がすぐ隣で飲んでいる麻布十番。

『たきや』や『鮓ふじなが』など予約の取れない名店がある一方で、カジュアル使いができる店もたくさんある。

東京の憧れと親しみを凝縮したような街が好きだったけれど、 無理をして、麻布十番ブランドに固執している自分が急に虚しくなり、そして気がついた。

- 私は、ブランドで固めていたんだ。

外見のことだけではない。家も、人も、全部。

家賃を払ってもらっているときは、30平米で20万の部屋に対して何の思い入れもなく、もっと広い部屋に住みたいとすら思っていた。

だが実際に自分で家賃を支払い始めて、気がついた。

30平米で20万は、とんでもなく高い。自分で支払う家賃は1万円…いや、千円単位で辛さが違ってくる。

どんなに頑張って働いても、ほぼ家賃に消えていく。その分のお金で、買える物はいっぱいある。できる経験も、たくさんある。




「結局、私は何を手に入れたんだろう?」

この2年間の、麻布十番生活を振り返ってみる。

だが驚くほど、何も残っていないことに気がついた。

誰かが奢ってくれた高級なお酒。ゆかりのような上辺だけの女トモダチとの会話。

自粛前はほぼ毎晩飲みに行っていたはずなのに、思い出そうとしても思い出せない。シャンパンの泡のように、すべて綺麗に消えて無くなっていた。

ふと携帯を見ると、ゆかりから早速LINEが入っていた。

ー ゆかり:来週火曜、15時から空いてない?最近仲良しのおじさまとお茶するんだけど♡
ー 彩未:ごめん、その時間は仕事だから厳しいかも。
ー ゆかり:え〜。その人からタク代もらうから、仕事サボっちゃえば?そっちのほうが稼げるでしょw

「ははっ……。笑っちゃう」

突然道の真ん中で笑い始めた私を、通りすがりの人が不審な目で見ていた。

いまの状況をゆかりや悠馬のせいにするのは、間違っている。

表面的な繋がりを求めていたのは、私の方だ。

そこに友情や愛なんてなくて良かった。良い暮らしをさせてくれる、都合のいい人たちならば誰でもよかったのだ。

「あ〜バカバカしい」

大声で叫ぶと、急にスッキリした。代わりに『豆源』から 、焦がし醤油のいい香りがしてきた。

人情味が溢れながらも、ヒールを履くとすぐ石畳につまずく麻布十番という街。今の私には不釣り合いすぎる。

「よし。手放そう。一旦ぜんぶ、手放してみよう」

ゆかりとのLINEをそっと消す。

まだ、27歳。幸い仕事もある。

家にあるブランド物を売れば、多少生活費の足しにもなるし、引越し費用にもなる。それに、ゼロになったってまた立ち上がればいい。

なぜなら、自分がブランドになればいいから。物やアドレスの力を借りずに、自分がもっと上を目指せばいい。

「いつかまた、戻ってこよう」

外面ばかり気にして、ブランド物に身を固めて自分を守っていた、弱い自分からの卒業。

自分らしく、ありのままで過ごせる街を探して、私は引っ越す決意をしたのだ。

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