アルクオーツスプリントで惜しくも2着に敗れた鮫島駿とルガル(中央)=撮影・平松さとし

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 断念か、挑戦か−。緊迫する中東情勢下でドバイに遠征した日本馬とその陣営。国会内でも議論され賛否両論があった。

 前年は日本馬25頭が参戦したドバイWCデーだが、今年は6頭が参戦。アルクオーツスプリントのルガルは僅差2着に敗れ、手にしたかに思えた鞍上の初G1制覇も夢と消えた。レース後のコメントをLINEで送ってくれた鮫島克駿騎手(29)=栗東・フリー。最後に添えられていた言葉に目頭が熱くなった。

 「色んな方が心配してくれましたが、目の前のチャンスを僕はつかみたかったです」

 関係者の判断はどれも間違いではない−。こう断言したい。

 出国前の心境や現地の様子はどうだったのか。帰国後、詳しく聞かせてもらった。「心配してくださる方が多かったですね。ただ、遠征が難しい状況でしか得られない経験もあるかなと思いました。高野先生から『危険な状況でスタッフは行かせられない』と聞き、やめるのも勇気だし、行くのも勇気だな、と。オーシャンSで負けて乗れるか分からなかったけど、レース翌週に杉山(晴)先生から『オーナーを説得する』と言ってもらいました。先生が馬持ちで行くと聞いて、自分が行かないという選択肢はなかった」。自分でつかんだチャンス。迷いはなかった。

 ドバイでは平穏な日々を送ることができたという。「6日目までは携帯(電話)の警報が一度も鳴らないぐらい。怖いとか何もなかったし、どの店も営業していて普通の生活でした」と説明する。関係者で食事会も開かれたそうで、「こういう情勢だからこそ日本のチームで勝てたらいいねと話をしていました」と鮫島駿。チームジャパンとして一丸となった。

 結果、日本馬はUAEダービー(ワンダーディーン)の1勝に終わったが、「高柳大厩舎は昨年、一番勝たせてもらった厩舎。サウジで1週間調教に乗って『距離は絶対に延びた方がいい』と伝えました。今回も追い切りに乗って勝利に携われたので、それが良かった」と自分のことのようにうれしそうだった。

 ルガルで挑んだアルクオーツスプリント。いったん先頭に立つも、差し返され「最後は早くゴールがきてくれ!って。本当に長かった」と振り返る。ゴール後、天を仰ぐと特別な感情が沸いたという。「馬、調教師、オーナー、スタッフ、ドバイレーシングが尽力してくれた遠征。無事に開催できて良かったな、と思いました。レースが終わった時は、そのホッとした感じと悔しい気持ちで…。競馬場はお祭りみたいな雰囲気で、隣の国で戦争していることを忘れるような瞬間でした」。

 トウカイマシェリでのサウジ遠征に続き今回のドバイと、続けて海を渡った。実は、鮫島駿にも海外を意識した時期があった。骨折して入院生活を送った19年だ。退院後、生で観戦した凱旋門賞を27歳のブドーが制し、当時22歳だった鮫島駿は刺激を受けた。「とてつもない世界だな、と実感した。帰国してすぐ英会話の勉強を始めました。翌年、海外に行きたいと思ったらコロナと重なって熱が消えちゃって、タイミングを失った」と苦笑いする。

 まだ29歳。“あの時”のブドーと2歳しか変わらない。「難しさがあるなかでも日本馬が勝つ。こういう状況で勝てたら自分もよりスキルアップできるだろうと感じます。今年は刺激があって、充実していますね。またトライしていろんな国に行きたい」。批判もあっただろう。それでも、この海外遠征が彼にとって大きな転機となることを願いたい。(デイリースポーツ・井上達也)