WBCだけじゃなくサッカーW杯も有料配信になる…高額化する「国民的スポーツ」の放映権を税金で払うのはアリか

■大学教授「地上波でのWBC放送の可能性はまだある」
2026年開催のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本国内における独占放映権を、アメリカの動画配信大手ネットフリックスが取得した――。
8月25日の発表は、多くの野球ファンや関係者に驚きをもって受け止められた。これまで無料放送が前提とされてきた“国民的イベント”が、突如として有料サブスクリプションの枠に組み込まれたからだ。
立教大学社会学部の砂川浩慶教授(メディア論)はこう指摘する。
「有料配信事業者が、注目度の高いスポーツイベントの放映権を獲得するのは時間の問題でした。今回の件で注目すべきは、日本で、しかも野球で有料配信が成り立つのかどうかという点でしょう」
「無料放送が当たり前」という常識を覆した今回の一件。スポーツは“ビジネス”なのかそれとも“公共のもの”なのか――その線引きが改めて問われている。

■ラグビーW杯日本大会の例
WBCの国内放映権が海外配信大手のネットフリックスに渡った理由から考察していこう。
背景にあるのは、前回大会の成功だ。実質的にWBCを主導するMLB(メジャーリーグベースボール)は今大会の放映権をできるだけ高く売りたいと考え、資金力のある企業に打診。そして、前回大会の5倍ともされる推定150億円規模の巨額契約に応じたのがネットフリックスだった――と見るのが自然だ。砂川教授は言う。
「加入者収入だけでの回収は現実的ではありません。ネットフリックスの月額料金は890円からなので、単純計算で数百万単位の新規加入が必要になりますが、最盛期のスカパーでさえ世帯普及率は10%に届きませんでした。ダイジェスト配信の権利(デイリーサマリー権やウィークエンドサマリー権など※)も収益源として活用することになるでしょうし、国内事業者とサブライセンス契約(再販契約)に至る可能性も十分にあります」(砂川氏、以下すべて同)
※平日だけ放映できる権利と土日放映できる権利などといったオプションのこと
2019年のラグビーW杯日本大会では、日本戦を日本テレビが無料放送し、それ以外のカードをBS、CSなどで視聴できる有料専門チャンネルJ SPORTS(ジェイ・スポーツ)でカバーするという形がとられたが、事業者にとっては有料と無料をどう組み合わせるかも重要な戦略なのだ。現在は「ネットフリックス独占」と伝えられているが、水面下で交渉が進んでいるとみられ、一部の試合が無料で視聴できるようになるなどの可能性はまだ残されている。
■日本のメディアにはそもそも無理だった
「短期的な採算性は乏しいでしょうが、150億円はネットフリックスの事業規模を考えれば先行投資として割り切れる金額です。むしろ配信事業者間の競争が激化するなか、差別化を図る意味合いのほうが大きい。今回の試みでどんな成果が得られるかを見極め、その結果を踏まえて次の一手を打つ――そうした構えだと思います」と砂川教授は展望する。
かたや国内のメディア業界にとっては、本件はどのような意味を持つのだろうか。
WBC1次ラウンド東京プールの主管を担ってきた読売新聞社は、MLBとネットフリックスが頭越しに契約を結んだことで、文字通り“メンツをつぶされた”格好だ。その読売をはじめとする国内のメディア業界は、WBC放映権の“海外流出”を食い止められなかったのか。砂川教授は明瞭に言った。
「契約に関与できる立場でもないですし、そもそも無理だったと思います。大会自体は2週間弱しかなく、その短期間で広告収入によって150億円を回収するのは不可能です。広告主もテレビ出稿に消極的になっており、スポンサー頼みのモデルはすでに限界に来ている。もし可能性があるとすればNHKくらいでしょう。それもオリンピックのように積立金を活用する形でなければ成立しません」

■電通不在の影響
さらに、交渉力が大きく削がれた要因として「電通不在」を挙げる。長年、電通はスポーツビジネス、とりわけ放映権交渉の現場で大きな役割を担ってきた。スポンサー料が入る前に放映権料を立て替える“銀行”のような機能を果たし、日本のスポーツ放送を下支えしてきた存在だという。しかし、東京五輪をめぐる汚職事件の影響などで、表立った関与が難しくなっている。
「日本側が交渉のテーブルにすらつけなかった遠因だと思いますし、その影響は間違いなくある。来年のサッカーW杯の放送権にも余波が及ぶでしょう」
一方で、砂川教授はこうも続けた。
「同じテーブルに仮に並んでいたとしても、結局は勝てなかった。ある意味ホッとしている部分もあるのではないでしょうか。悔しいけれど、“お手並み拝見”という気持ちもあるはずです」
ネットフリックスが“実験”として挑む有料モデルが、果たしてどれほどの成果を残すのか――。日本の放送局は、その行方を固唾を呑んで見守っている。
■イギリスでは「W杯=地上波無料」が義務
さて、ここまでは「ビジネス」の視点から見てきたが、ここからは「公共性」の観点で考えてみたい。参考になるのが、イギリスのユニバーサルアクセス権だ。
同国では、国民的関心の高いスポーツイベントを「クラウンジュエル」として指定し、公共放送のBBCや、イギリス最大の民放局であるITVなど、地上波で誰もが無料で視聴できるよう義務づけている(その放映権料は、主にBBCが「受信許可料」として賄う)。サッカーのW杯や欧州選手権、テニスのウィンブルドンといった大会がその代表例だ。砂川教授はこう解説する。
「もともとは階級社会を背景にした制度で、特権階級だけが楽しむのではなく、国民全体で価値を共有するという発想から導入されました。ただ現在では、放送と配信の環境が大きく変化し、制度の意義も問い直されている。大きな問題は、どの競技を対象とするのかという点。サッカーやウィンブルドンといった“誰もが認める”大会は分かりやすいですが、アマチュアや地域スポーツをどう扱うかは常に議論になります」
「公共性」と「ビジネス性」をどう両立させるかという課題は普遍的だ。インドではクリケットW杯の放送の一部無料化が義務づけられ、オーストラリアでは国民的スポーツの放映権を保護する制度が存在する。日本でも今回のWBCを契機に、同様の議論が活発化していく可能性は高い。
仮に日本でもユニバーサルアクセス権のような仕組みを導入するとすれば、その担い手は誰か。
■ネットフリックスが今後の方向性を左右する
「現実的に考えればNHKしかありません。オリンピックや国民的イベントはもちろん、各種競技の全日本大会を中継してきた実績がある。その意味で、NHKが果たしてきた役割は、イギリスのユニバーサルアクセス権に近いものと言えます」

もっとも、制度化には課題も多い。スポーツを教育の一環と位置づけるのかという理念的な問題に加え、法的整備も不可欠だ。省庁間の所管争いや利権化のリスクもある。
さらに、NHKは24年度、受信料の収入減により449億円の赤字を出している。放映権の高騰も考えると、収入源のほとんどが受信料であるNHKは自費で賄いきれない。そうすれば自ずと補助金=税金の投入が必要となり、国民的な合意を前提とした議論が避けられないだろう。
「大事なのは透明性です。利権にからめとられないよう、開かれた議論を進めていく必要があります。ユニバーサルアクセス権に限らず、今回の一件はスポーツと放映権の未来について考える、いいきっかけになったと思います」
今後の方向性は、ネットフリックスの試みがどのような結果に終わるかに大きく左右されるだろう。盛り上がりに欠ければ再び地上波無料放送に戻る可能性もある。逆に大きな成功を収め、ネットフリックスが収益を上げれば放映権はさらに高騰し、有料化の流れが加速するかもしれない。そのときには、ユニバーサルアクセス権を含む公共化を求める声が同時に強まることになる。
スポーツのビジネス性と公共性をどう両立させるか。今回のWBCをめぐる騒動は、その難題を日本社会に突きつけた。ネットフリックスの挑戦が成否いずれに終わるにせよ、それは野球界だけでなく、日本のスポーツ全体の行方を占う試金石となるに違いない。
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砂川 浩慶(すなかわ・ひろよし)
立教大学社会学部教授
1963年沖縄県生まれ。86年早稲田大学教育学部卒業。同年より日本民間放送連盟職員。立教大学社会学部メディア社会学科助教授を経て2016年より現職。23年より立教大学社会学部長。専門はメディア政策・法制度、放送ジャーナリズム論。著書に『安倍官邸とテレビ』、編著に『放送法を読みとく』など。
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日比野 恭三(ひびの・きょうぞう)
ノンフィクションライター
1981年、宮崎県生まれ。東京大学中退後、広告代理店等での勤務を経て、2010年よりスポーツ総合誌『Sports Graphic Number』の編集者となり、同誌の編集および執筆に従事。16年にフリーとなり、野球やボクシングなどの競技、またスポーツビジネスを対象にライターとして活動中。近著に『ホークスメソッド 勝ち続けるチームのつくり方』(日経BP)。
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(立教大学社会学部教授 砂川 浩慶、ノンフィクションライター 日比野 恭三)
