会社を退職して、出家するシニアが増えている。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は「人生を重ねた60代以降の人に『老後出家』という手段が広がり、そうした僧侶とベテランの僧侶が混じり合うことは、仏教界にとってもよいことだろう」という――。
開眼寺(長野県千曲市)の住職・柴田文啓さん。(撮影=鵜飼秀徳)

■一流企業の役員を65歳で辞めて出家した理由

仏教の臨済宗妙心寺派に「第二の人生プロジェクト」なるものが立ち上がったのは6年前のことだ。

このプロジェクトは市井のシニアに対し広く門戸をひらき、出家を支援していく仕組みである。出家とは、一般的には在家の人間が僧侶になるべく、仏門に入ることをいう。驚くべきは、この5年間で実際にそのプロジェクトに参画し出家した人が67人もいたということだ。そのほとんどが以前は普通の会社員だった人で、定年後に出家したのだという。うち22人がすでに僧籍を得て寺に入り、6人が住職に就任したという。

60歳を超えて出家する。なぜ、そのような選択をしたのか。「老後出家」にはどんな魅力があるのだろうか。

長野県千曲市にある開眼寺住職の柴田文啓さん(84)も以前、老後出家したひとりだ。大学卒業後、工業計器大手の横河電機(東京都武蔵野市)に就職。同社の産業用コンピューターを手掛けるなど、技術畑を歩み、42歳の時、同社の医療事業の立ち上げに参画。米ゼネラル・エレクトリック(GE)との合弁会社設立に携わり、その後、ヨコガワ・アメリカ社社長にまで上り詰めた。そこで知り合った「経営の神様」ことジャック・ウェルチ氏とは、いまでも懇意の間柄という。

■「寺の収入は足りなくても、年金が入る」

そんな柴田さんが出家したのが、横河電機役員を退いた後の65歳の時。柴田さんは、若い時から坐禅会に通うなどして、仏教に大きな魅力を感じていたという。

前述のプロジェクトはまだなかったが、自ら志願して滋賀県の臨済宗寺院で1年3カ月の間、雲水として修行に励み、正式に禅僧になった。柴田さんはいわゆる在家出身者。寺の生まれであれば、そのまま自坊を継ぐことができるが、柴田さんには入るべき寺がなかった。そこで、宗門の紹介を受け、2001年に住職として入ったのが縁もゆかりもない長野県千曲市の里山にあった開眼寺であった。柴田さんが寺に入った時、開眼寺は住職がいない状態で、檀家はわずか1軒のみであったという。

柴田さんは振り返る。

「第二の人生として、僧侶として生きることは理想的だと思いました。寺の収入は足りなくても、長年企業勤めをしていれば年金が入る。ぜいたくをしなければ寺という恵まれた環境の中で、人生の再設計ができます。そして多くの悩みを持った人を受け入れる。私のようなリタイア組は社会を経験していますから、世襲型僧侶とは違った視点で人々にたいする寄り添いができると考えました」(柴田さん)

■退職金などを元手に元企業人の出家者が実践したこと

柴田さんが再建した開眼寺の坐禅堂。(撮影=鵜飼秀徳)

柴田さんは、企業人時代に培った発想力、行動力で開眼寺を再生していく。退職金などを元手に、あばらや同然であった開眼寺をリフォーム。坐禅堂や、宿泊設備を整えた。

そして、柴田さんが目をつけたのが、寺を企業研修の場として開放し、働く人に寄り添うことだった。そこでは企業に入社した新人や、管理職が開眼寺に集い、座禅で自分と向き合い、「働く意味」などを問い直す。これまで柴田さんが在籍した横河電機や、総合商社の双日、地元長野の企業、公立学校に赴任した教師の研修など大勢が柴田さんの元で研修を行った。

「檀家を多く抱えた寺なら、檀家の目を気にしてしまい、こういうチャレンジはできなかったでしょう」

さらに柴田さんは「自分に続け」とシニアの出家者を増やすべく、宗門に働きかけていく。それが、6年前の「第二の人生プロジェクト」立ち上げにつながったのである。

■日本の寺は世襲による継承が当たり前だが……

古代インド仏教に詳しい花園大学の佐々木閑教授は、「出家」について、こう解説する。

「本来、出家とは世俗では手に入れることのできない特別なものを求めて、自分の家族など一切を捨てて世俗を離れることです。お釈迦さまの時代における出家の動機はさまざま。お釈迦様のように『この世は一切皆苦だ』と認識した上で『その苦しみから逃れたい』『生きがいを求めたい』という志を持って出家するケースもあれば、出家そのものに憧れを抱き、『出家ってカッコいいね』とファッション感覚で出家する者も多く存在しました。出家の時点では年齢や資質は問われませんでした。殺人者だって、お釈迦さまや仏教サンガ(出家修行者の組織)は受け入れました。日本のお寺の子弟の“出家”の形態とは、まるで違います」

文化庁『宗教年鑑 平成29年度版』によれば、「出家し、僧侶の資格を得た者」(仏教系宗教団体に所属する教師資格取得者の総数)がおよそ34万人いる。しかし、このほとんどがお釈迦さまのように人生の苦を知り、そこから解き放たれたいと願って遁世(とんせい)したわけではないだろう。お釈迦さまの時代の出家と、現代日本における出家の形態はまるで異なっているのだ。

日本の寺は世襲による継承が当たり前になっている。寺に生まれた子弟は宗門大学などに入学し、一定期間の修行をこなすことで僧侶の資格を得て、寺を世襲していくのが通例である。かくいう私は浄土宗の家に生まれたものの宗門大学に進まなかったため、3期にわたって浄土宗の定める僧侶養成講座に通い、22歳の時に浄土宗僧侶としての戒を授かる「加行(けぎょう)」を満じて、資格を得た。

ただ、そうした世襲とは別に、先に紹介した柴田さんのように会社を早期退職もしくは定年後に「第二の人生」として仏門に入る人々も増えているのだ。その多くは、年齢を重ねてから、別の価値観を求めて世俗を離れたいと願う人なのである。

■日本の会社員は社会保障が充実しているので、老後の出家が可能

花園大学の佐々木教授は言う。

古代インド仏教に詳しい花園大学の佐々木閑教授。(撮影=鵜飼秀徳)

「現代社会で本式に出家することは、とても難しいことです。しかし、社会人として定年まで全うし、人生を駆け抜けると、出家したのと同じ状態になる。つまり、シニアは地位や収入を、すでにある程度手に入れてしまっているので、その後の人生において我欲を求める必要があまりない。そのうえ、日本のサラリーマンは社会保障が充実しているので、老後の出家が十分可能です。そういう意味では、人生の後半戦、第二の人生として出家し、仏門に入るというのは、理にかなっているといえます」

しかし、日本の仏教教団の多くは、釈迦の時代のように「誰でも出家できる」(借金を抱える者や、病気の者は例外的に出家できなかったが)わけではない。

先に佐々木教授が述べたように、そもそも古代インドでは、出家者には広く門戸が開かれていた。年齢制限もなく、また、修行メニューもその人の体力や能力にあわせて、できる範囲で行えばよかった。

ところが、日本の仏教の修行内容は、老若男女を問わず一律であるのが通例。道場では「高齢で膝が悪いから、坐禅や正座の時間を短くしてあげよう」などという配慮は一切ない。厳しい規律を守りながら、仏教学を学び、作法などを体得していかねばならない。修行中は束縛そのものであり、精神的にまいって、途中で断念する修行僧も少なくない。

■5年間で「柴田さんに続け」と、出家した人が67人も出た

そこに登場したのが臨済宗妙心寺派の「第二の人生プロジェクト」で、リタイア組(60歳以上)の参加者を想定し、ハードルを下げた修行メニューを用意した。体調を損なわないよう休憩も多めに設定し、家族との面会もできる。携帯電話やパソコンも部屋にいる時に限って許可をするという。

そうして、この5年間で「柴田さんに続け」と、出家(得度)した人が67人も出てきたわけだ。

「私のように第二の人生において、寺に入ってもいいという人が増えていけば、無住の寺を再生することができます。また、その方にとっても充実した老後が送れるはずです。今の時代には広く人材を集めることが仏教界に求められています」(柴田さん)

実は柴田さんはこの春、自坊のある長野県千曲市を離れて京都に移住した。近い将来、「第二の人生プロジェクト」に応募して僧侶になった後継者に、正式に開眼寺住職の座を譲るという。開眼寺は柴田さんが私財を投じ、苦労して再生した寺だ。しかし、あっさりと寺を手放すという。

「開眼寺には愛着はありますが、自分の寺という認識はありません。寺は私の所有物ではないですから。ビジネスライクに考えれば、ひとつのつぶれかかったお寺を再生し、次の人にバトンを渡す。ただそれだけです。一般企業でも同じことでしょ」

■80代なら学費は80%引きで仏教を大学で心行くまで学べる

驚くことに柴田さんは妻の弘子さん(82)と共に、佐々木教授のいる花園大学文学部仏教学科にこの春、入学した。花園大学では、「100年の学びの奨学金制度」なるプロジェクトを2018年よりスタートさせた。50歳を超えた入学者には、年代分の割引(柴田さんの場合、80代なので学費80%引き)が適用できるという制度だ。柴田さんは同大学が始まって以来の、最高齢の新入生となった。

今春、花園大学文学部仏教学科に入学した柴田さん。(撮影=鵜飼秀徳)

「私の場合、残された人生はせいぜいあと5、6年でしょう。そこで、自分に与えられた人生とは一体、何だったのか。いま、この段階で学校に行くことは、人生を振り返るのにとてもいい方法なのではないかと考えました。人生の最晩年に哲学や宗教を学ぶ。実に理想的ですよ」

柴田さんや弘子さんは、孫ほど年が離れた学生と一緒に、授業を受け、ストレッチなどの体育の必須科目も受講しているという。

柴田さんは、「若い人たちと学べて、楽しくて仕方がない。これまで仏教を体系的に学んだことがなかった。2年生から受けられる佐々木先生の授業を受講するのが楽しみ」と話す。

■老後を仏教ととともに歩むのも人生も選択肢のひとつ

そんな柴田さんに対して、佐々木教授もエールを送る。

「つまり柴田さんの場合、人生で2度、出家されたということですね。最初は定年退職してお坊さんになられた。そして今度は、寺からも出家する、という、稀有なケースです(笑)。檀家のいない寺の住職だったとはいえ、寺の運営という世俗的なお仕事の面もあったでしょう。そうした部分も今回、ぜんぶお捨てになった。『もはや、しがみ付くものが何もなくなった』という状態でしょうね」

「柴田さんを見ていると、まさにお釈迦さまの時代の出家のあり方そのものだと感じます。本当に精神的な喜びだけを満たすために、学校に入学されたということであれば、これはお釈迦さまの出家となんら変わらないですから。こういう柴田さんのようなケースが今後、ますます増えていくといいですね」

私自身、自戒を込めていうが、寺に生まれたからといって僧侶としての資質が備わっているかといえば、それは別問題だ。若い頃に出家しても、我欲を捨て、執着から離れることはなかなか難しい。だから、時に世間から「生臭」などと批判も浴びる。僧侶の資質問題が、現代の仏教離れなどにも繋がっている側面は否めない。

そう考えれば、柴田さんのように人生を重ねたシニアに、「老後出家」という手段がもっと、ひらかれてもよいのではないか。在家出身僧侶と既存の僧侶が混じり合うことは、仏教界にとっても決して悪いことではないだろう。

僧侶とは、職業ではなく、生き方そのものであると思う。老後を仏教ととともに歩んでいく。そんな人生も選択肢のひとつに入れられてはいかがだろうか。

(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳 撮影=鵜飼秀徳)