「5人の子と必死に逃げた」母はスーパーマンか。施設出身の映画監督、加害した父の背景知り解けた「呪い」
「母みたいなことは、とうてい真似できない」。 父親の暴力から5人の子どもを連れて逃れ、児童養護施設を経て、母子家庭として自分たちを育て上げた母親。映像作家・絵本作家の西坂來人さんは、その背中を深い尊敬とともに見つめてきました。 一方で、なぜ父親は暴力を止められなかったのか。その背景を探ったとき、西坂さんは父と祖母との間にあった長年の確執、そして世代を超えて受け継がれてしまった「負の連鎖」の正体に気づきます。家族を襲った悲劇の裏側を知ることで、ようやく解けた「呪い」とは。
【写真】「必ず迎えに行くから」施設で暮らす息子へ宛てた母の手紙に涙が止まらない(全19枚)
夫の暴力から逃げ1年で離婚、子ども5人を引き取った母
── 西坂さんは、もともとご両親と5人きょうだい、祖父母の9人家族だったそうですね。しかし、父親による家庭内暴力で、おばあさんの命が何度も危険にさらされ、警察沙汰に。しばらくして、お母さんもお子さんたち5人を連れて家を出て、婦人相談所(現在の女性相談支援センター)に駆け込まれます。その後、西坂さんとごきょうだいは一時的にお母さんと離れ、児童養護施設で1年半ほど生活をされたとお聞きしました。
西坂さん:そうです。小学5年生から小学校卒業までの1年半ほどを、4人のきょうだいと一緒に福島県相馬市の施設で過ごしました。母は僕らを施設に預けた後、裁判を起こして父と離婚。行政の支援を受けながら自立に向け必死に働いていました。でも2、3か月に一度は僕たちに会いに来てくれた。たぶん、施設の中で面会の頻度はいちばん多かったと思います。
父に僕らへの接近禁止命令が出るかどうかのタイミングだったこともあり、「早く一緒に住みたい」 という母の思いは強く、わずか1年半で生活の土台を整え、僕たちを迎えに来てくれました。まわりからは「ここまで早く生活を立て直せるなんて」と驚かれたそうです。そんな母を、ずっと尊敬しています。
── 退所された日のことを覚えていますか?
西坂さん:職員さんからは母が迎えに来ることは直前に知らされたんです。「うそでしょ?」って夢のようでした。それから6畳2間のアパートで家族6人の生活が始まりました。初めて家に入ったときは「ここで新しい生活が始まるんだ」ってワクワクしたのを覚えています。
「お兄ちゃんは怒ってばっかり」長男としての重圧
── 念願の共同生活。しかし、仕事で不在がちな母親に代わり、長男である西坂さんが家事やきょうだいの世話を一手に引き受けることになったのですね。
西坂さん:はい。朝から晩まで働く母に代わり、長男の僕を中心に子どもたちで家事をこなしました。でも、毎日やることに追われ、手伝わない弟たちにイライラし、毎日怒っていましたね。当時は「施設出身」であることを恥ずかしいと感じたり、10代のころは家の都合で本当に色々なことがあったから。そうした怒りもきょうだいにぶつけてしまった気がして。当時のことはきょうだいにいまだに謝っています。
ただ、そのせいで「うちのお兄ちゃんは、よく怒ります」って作文に書かれたことがあります。あれは地味にショックでした(笑)。
「大好きだった祖母」が、父にとっては「憎むべき親」だった
── 一家離散の原因を作ったお父さんがなぜ暴力的になったのか、西坂さんはご自身でブログに「祖母の抑圧的な育て方が影響しているかもしれないと悟った」と綴っていらっしゃいます。
西坂さん:僕が大好きだった祖母は、父にとっては憎むべき親だったんだと思います。「長男だから家を継げ」「大学なんか行く必要ない」と言われ、将来を選択できなかったことを父はずっと恨んでいたようです。そのうえ、田舎の風習で長男だけは待遇をよくするという兄弟間で理不尽な格差をつける教育をしていました。
同じように、日本独特の家族の関係性が強いられる社会のせいで、苦しんできた人はたくさんいるはずです。特に女性は、家を守る役割を与えられたことで家に閉じ込められる生活を強いられるパターンも多かっただろうし、昔ながらの嫁姑問題が起因している場合もあると思います。もっと時代をさかのぼると、戦争の帰還兵の方などのPTSD(心的外傷後ストレス障害)も、暴力などの背景にあるんじゃないかと思っています。
ネグレクトも含め虐待には必ず背景があって、実は誰にとっても身近な問題だということに気づく必要があります。僕自身、自分の子どものころからの苦しみに今になって気づいたことをきっかけに発見したので。
「母はスーパーマンだったけれど、真似しなくていい」
── ご自身が虐待を受けた方や親子の支援活動に関わるなかで、あらためて気づいたことはありますか?
西坂さん:しみじみ思うのは、「僕の母は、スーパーマンだったんだ」ということ。持ち前のコミュニケーション能力を生かしてまわりの人を味方につけ、僕たちを守ってくれました。でも、今の親子支援の現場を見ていて思うのは、誰もが母のようになれるわけではないし、真似をする必要もないということです。むしろ、「お母さんは自分を犠牲にして僕たちを守ったんじゃないか」という申し訳なさも大人になってから感じるようになりました。
──「個人の頑張り」に依存しすぎる社会への危惧ですね。
西坂さん:そうです。母のような強い人ばかりじゃない。全部を自分のせいにせず、社会の仕組みに頼っていいはずなんです。「自己責任論」でお母さんたちが自分を追い詰めてしまう前に、もっと頼れる社会資源がたくさんある世の中になってほしい。母を尊敬しているからこそ、「お母さん、ひとりで頑張りすぎなくていいんだよ」と言える社会を作っていきたいと思っています。
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憎むべき暴力的な父親もまた、抑圧的な子育ての被害者だった。母は自分たちきょうだいを救ったスーパーマンだけど、それは母自身の人生を犠牲にして成り立ったものかもしれない。物事の裏側にある「背景」を知ることで、これまでの景色が180度変わり、自分の中の正しさが揺らぐことがあります。あなたにも、誰かの背景を知ることで、心がフッと軽くなった経験はありませんか?
取材・文:高梨真紀 写真:西坂來人

