「アハハ。五反田でデートなんて、人に言えない」。笑顔で語る港区女子の、心変わりとは
東京では、初デートの街を五反田にすると女の子から冷めた目で見られることもある。
だが、『おにやんま』のうどんに感動したことをきっかけに、五反田という街のディープさにすっかり虜になり、“五反田ラバー”の布教活動に勤しむようになった男がいる。
雑誌編集者・健太(29歳)だ。彼女の加代が五反田に引っ越してきたことを喜んでいた時、五反田会のメンバー・章吾は、食事会で知り合った港区女子・若菜を五反田に誘った。

美人を口説くときに、一番やってはいけないこと
すべては章吾の計算通りだった。
あの日、健太と加代に相談して、その後も一人でじっくり考えた若菜とのデートコース。
五反田を馬鹿にする港区女子・若菜に、一番効果的なプランだ。
まずは『築地銀だこ ハイボール横丁』へ連れて行き、若菜をどん引きさせる。予想通り、彼女は入店するとまずは戸惑い、次第に無口になりあからさまに不機嫌になっていった。
「もう、私帰る」と今にも言いそうな勢いだった。だが、そこはなんとか章吾のトーク力で持ちこたえた。
4個入りのたこ焼きひとつと、ハイボールを1杯ずつ頼んだが、若菜はあまり箸が進んでいなかった。だが、もちろんこれも想定内。
美人を口説く時に一番やってはいない愚行が、相手を褒めることだ。
美人な女性は「お綺麗ですね」という言葉を聞き飽きている。そんなものは背が高い人に「背が高いですね」と言っているのと同じだ。
それはただの事実を言っているだけで、何の面白みもなければ記憶にも残らない。
だからむしろディスれ。ダメ出ししろ。チヤホヤするな。
これが、章吾の考えた作戦だった。
この作戦、吉とでるのかそれとも……?
既婚の先輩女性からたまに聞くフレーズがある。
「うちの旦那ね、第一印象は最悪だったのよ」
これも良い例だと章吾は考える。第一印象で一気にハードルが下がったお陰で、知れば知るほど相手の良いところばかりが際立つのだ。好きになるのも当然と言えよう。
章吾が五反田で、若菜を連れて行きたい店は他にある。だが最初からそこに連れて行っても意味がない。せいぜい「五反田にもこんなお店あるんだね」と言われる程度だ。だが、一旦ハードルを下げることで、普通の喜びが、2倍、3倍に感じられるはずだ。
章吾は、目の前で渋々ハイボールを飲んでいる若菜を見て、声を掛けた。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
若菜はグラスから目を上げると、章吾を半分睨むようにして見た。
―次はどこに連れて行かれるの……。
諦めと怒りが混ざったような瞳だ。だが、章吾は気にすることなく笑顔で続けた。
「せっかくだから、目黒川のとっておきのスポットに寄って行こう」
連れて行ったのは『ふれあいK字橋』という、目黒川に架かる橋の上だ。五反田ヒルズの横にあり、JRと東急大井町線の線路に挟まれた場所にある。
人があまり通らず、見通しの良い眺めが楽しめる。ここは章吾が、五反田の中でも特に気に入っている場所。

この眺めに若菜も機嫌を良くしたようで、輝くような笑顔がこぼれた。
―すべて、計画通り。
若菜の笑顔を見て、章吾はもう一度確かな手ごたえを感じ、ついに今日のデートの真の目的地へと彼女を案内することにしたのだった。
連れて行ったのは『すし 岩澤』。章吾が初めて訪れた時、店主のこだわりに感動した店だ。
白酢と2種の赤酢、計3種を使い分けているシャリに、並々ならぬこだわりを感じる。握りと肴が交互に出されるスタイルも気に入っている。
ここへ若菜を連れてくるのが、今日の目的だった。
おそらく若菜にも港区おじさんのような男がおり、肥えた舌を持っているはずだ。だが、そんな彼女を唸らせられるくらい上手い鮨屋が、五反田にもあるのだ。
店の前に着き、若菜に「ここだよ」と言った瞬間、彼女がとんでもないことを言い放った。
「ここ、五反田っていうか不動前だね」
「……。」
章吾は、思いもしなかった一言にしどろもどろに答えた。
「え、いや……。まあ、最寄り駅は確かに不動前だけど、住所は五反田だから」
―五反田のことよく知らないクセに、どうしてそんなことは知ってるんだよ。
つい、心の中で悪態をついてしまったが、急いで気持ちを切り替え店内へと足を踏み入れた。
完璧なデート。だが次第に形成逆転か……?

「美味しい〜」
『すし 岩澤』で満足そうな笑顔を浮かべて、若菜は言った。どうやら、この店の鮨に十分満足しているようで、彼女の笑顔を見て章吾はほっと安心した。
「章吾くんって、どうしてそんなに五反田が好きなの?」
突然若菜から聞かれた。これは、彼女が五反田に興味を持ってくれた証拠だと張り切る。
「きっとね、若菜ちゃんも、若菜ちゃん以外の多くの人も、五反田を誤解してるんだよね」
まるで難解な事でも言うかのように、章吾は眉間を寄せて話し始めた。
「桜田通りを10分程歩けば、そこはもう港区の白金エリア。山手線沿いに10分歩けば、目黒区。池田山っていう、超高級住宅街もある。それが五反田だよ」
ドヤ顔で言ったが、若菜の反応は悪い。「それが何?」とでも言いたそうに、笑わず、頷かず、生気のない瞳で見つめられて、章吾は焦って聞いてみた。
「じゃあ、逆にどうして五反田じゃダメなの?」
「どうしてって、五反田でデートなんて人に言えないじゃない?」
そう言う彼女は、さっきとはうって変わってとびきりの笑顔だった。目黒川で見た、キラキラ輝くような笑顔で言われてしまった。
本来なら、彼女をディスるはずだったこのデート。いつの間にやら形勢逆転され、気付けばすっかり若菜のペースだ。
こうして、若菜とのデートは苦い思い出となった。
完全に失敗のデート。傷心の五反田ラバーが行きついた先は・・・
しばらくの間、章吾は塞ぎこんだ。
健太と加代から食事に誘われても、「今日はやめとく」や「行けたら行く」と言って結局行かないことが続いた。
代わりに、一人で行きやすい店ばかり行くようになった。
カウンターに手を洗うための蛇口がある、高架下の立ち食い寿司『都々井』。うどんであれば『おにやんま』、そばであれば『そば処 ことぶき』、居酒屋は『呑ん気』と一人でサクッと食べられる店に行くことが多くなった。

中でも特に、足繁く通っているのが『ひとり焼肉ニッチ!』 だ。小さな仕切りのついたカウンターで、何も気にせず焼肉を楽しめるこの店のスタイルが、今の章吾にちょうど良かった。
奇しくもこの店は、『すし 岩澤』の目と鼻の先。あの日の苦い思い出を噛みしめ、感傷に浸るにもちょうどいいのかもしれない。
今日も章吾が、いつもと同じ席に座って焼肉をつまみに瓶ビールを飲んでいると、カウンターに置いていたスマホが震えた。
見ると、若菜からのLINEだ。そこには、章吾が驚く言葉が書いてあった。
「また五反田に行きたいな❤️」
画面を見た瞬間、章吾はむせてしまった。「ゲホッ、ゴホッ」という大きな咳ばらいが、一人客ばかりの店内で、大きく響いた。
▶Next:2月11日配信
五反田を馬鹿にしていた若菜に、心境の変化が……?!

