14歳のとき、大阪・釜ヶ崎でホームレスの人への炊き出しに初めて参加した川口加奈さん。「ホームレスになるのは自業自得」と思っていたものの、炊き出しでの出会いが彼女の人生を大きく変えました。19歳、ホームレス支援事業で起業するも仲間は去り、社会からは「怠け者の支援」と罵倒されることも。それでも彼女が「HUBchari」という独自の仕組みを作り、7500人以上の再出発を支えるに至った、15年間の泥臭い葛藤と逆転の歩みを追います。

【写真】髪型以外変わらない?14歳のホームレス支援の炊き出しに参加した川口さん ほか(5枚目/全13枚)

「怠けているんじゃないの?」と思っていたけれど

── 19歳のときにホームレス問題に取り組む認定NPO法人Homedoor(ホームドア)を立ち上げた川口さん。法人を立ち上げる行動力もすごいのですが、なぜホームレスの問題に?

川口さん:中学時代に炊き出しのボランティアをしたのがきっかけです。まだ14、15歳で知見がなかったため、参加前は「ホームレス状態になるのは自己責任じゃないの?」「働きたくなくて、怠けているのでは?」と考えていたんです。

当事者や支援者の方々に対しても「なぜホームレス状態になるんですか?勉強して、頑張ったらホームレス状態にならなかったんじゃないですか?」といった感じで、いま思うととても失礼な直球の質問をしてしまいました。

そこでわかったのが、「自己責任」「自業自得」とは決して言い切れない現実でした。家庭環境が良くなかった人、障害や病気を抱える人、派遣切りにあった人、怪我をして日雇い労働を続けられなくなった人など…。ホームレス状態に至るまでには、それぞれにさまざまな事情や背景があると感じました。実態を知るにつれて、これは大きな社会課題だと実感しました。

── そこからホームレス問題の研究が進む大学に進学。大学在学中に社会起業を果たしたのですね。

川口さん:自ら望んで社会起業したわけではありません。むしろ受け身でした。同級生の友人3人で任意団体を立ち上げたのですが、「14歳からホームレス問題に関わっている私の経歴を前面に押し出したほうがいい」ということで、私が代表を務めることになりました。中学・高校ではボランティア部に所属。高校2年のときに部長を務め、賞金目当てで応募したアワードでは米国ボランティア親善大使に選ばれ、国際会議に参加したのがあったからでしょう。

高校3年生のときの描いた「夢の施設」の間取り図。それがのちに現実に

私はもともと大学卒業後、一般企業で働くことを思い描いていました。ホームレス問題はビジネスの経験を積んだ50代頃からライフワーク的に再び取り組めたら、くらいに考えていたんです。だから、団体の活動がスタートしてもどこか積極的にはなれず、心が揺れ動いていました。でも、その間に同級生たちが団体から離脱して、ひとり取り残されてしまったんです。

「ホームレス支援」が敬遠される現実

── しかし、川口さんはひとりになっても活動をやめませんでした。そこから、ホームレス問題を「仕事」にしようと決断したのはどういった経緯からでしょうか。

川口さん:団体のビジョンは「ホームレス状態を生み出さない日本」にすることでした。路上から脱出しようと思ったら「誰もが何度でも、やり直せる社会」を作りたい。そのためには住まいや仕事を提供する支援が欠かせません。

まず取り組んだのは仕事を提供する仕組み作りでした。シェアサイクルビジネスとして「HUBchari(ハブチャリ)」を考案。ホームレスの人たちの多くが自転車修理を得意としており、その技術を活かす発想から行き着いた事業です。大阪の街で実証実験を行い、一定の評価を得て手応えを感じました。私がひとり取り残されたのはそんなときでした。

ホームレス問題の解決を期待して応援してくださる人たちを裏切るわけにはいきません。また、解決するチャンスになるかもしれないHUBchariの事業を、自らの手でつぶすわけにはいかない。そして何より、「働きたいんや」というおっちゃん(川口さんが口にするホームレスの人の愛称)の言葉が耳に残り、ひとりでもやり抜く覚悟をようやく決めました。

HUBchariの創業初期。実証実験からスタートした

── HUBchariはその後、就労支援事業の柱になりました。その後も、再出発に向けた個室型の短期滞在施設「アンドセンター」を設立するなど、支援活動を順調に拡大させていきます。

川口さん:そうした支援活動を継続するには個人・法人のサポーター(寄付会員)の協力が必要になります。営業や広報などして寄付を求めるのですが、簡単にはいきません。ホームレス問題に対する偏見の根深さを感じる場面もありました。

たとえば、ある中小企業の社長が財団を立ち上げ、私たちのようなソーシャルビジネスを支援したいということで、紹介されたことがありました。最初はなごやかな雰囲気だったのですが、私たちが「ホームレス支援に取り組んでいる」と言った瞬間から突然、表情が険しくなったんです。

「なぜ、そんな怠けている奴らを支援しているんだ、信じられない」と、すごい剣幕でまくしたてられて。その人自身は、困窮家庭で育ち、苦労しながらも、一代で会社を築き上げた自負を持っておられたんです。彼らを認めるということは、逆境に負けず頑張ってきた自分の誇りを揺るがすことにつながる気がしたのだと思います。

また、テレビ局のドキュメンタリー番組の取材を受けていたときも似たようなできごとがありました。撮影は順調だったのですが、突如ストップがかかり、放送もされませんでした。「ホームレス問題を番組で取り扱ってほしくない」という番組スポンサーからのクレームがあったようです。こうした経験は一度や二度ではありません。

何の取り柄もなかった私がみつけた天職

── そんな思いをしながらも前を向き、進んできました。ホームレス支援の活動を20年以上やり続けてこられた原動力は何でしょうか。

川口さん:もともと私は何の取り柄もないんです。学生時代も学級委員や生徒会を務めたわけではなく、特別に使命感が強いタイプでもありません。でも、Homedoorを立ち上げて以降、解決すべき喫緊の課題が次々と出てきて。仕事や住まいの各種サポート、夜回り活動など、目の前のタスクをひたすらこなした結果、今に至るという感じです。その状況は今も続いています。

── 川口さんたちの支援を受けて、再出発できた方も少なくないと思います。やりがいを感じる部分は大きいのでは。

川口さん:ホームレス状態にあった人が、私たちの支援によって社会復帰し、別人のように元気になる姿を目にするのは素直に嬉しいです。ただHomedoorはあくまで相談者にとってはひとつの選択肢。家を借りたり、仕事に就いたりすることを押しつけたりはしません。

「もう一度やり直したい」と来られた相談者に対して、こちらができる選択肢を提示して、前向きに考えられるようになったときに「あそこに行けば、なんとかなる」という場所を提供しているんです。ホームレス問題を知っただけで終わりにしたくなかった──。その強い思いを原動力として、知ったからこそやるべきことに挑み、必死に取り組んできました。今後もホームレス支援のあり方を模索しながら、挑戦を続けていきます。

取材・文:百瀬康司 写真:Homedoor