レディー・ガガが信じた「悪女」の別の顔。『ハウス・オブ・グッチ』に重ねた女性たちへの思い
■ニューヨークの街に現れたメデューサ像が象徴したもの
「悪女」は、古今東西、さまざまな物語に登場してきた。しかし、近年のトレンドは、そうした「悪女」像の再解釈かもしれない。
2020年のニューヨークには「ペルセウスの頭を持つメデューサ」像が出現した。16世紀イタリアの芸術家ベンヴェヌート・チェッリーニによる「メデューサの頭を持つペルセウス」を反転させた作品だ。
「悪」とされてきた存在を再検証し、それらを「悪」とみなした当時の社会のバイアスを炙り出す……こうしたアプローチは、ここ5年以上、米大衆文化のトレンドになっている。特に活発なのは、人種問題の提起、そして、フェミニズム的視点だろう。
たとえば、Amazon Prime Video配信のドキュメンタリー『ロレーナ事件 〜世界が注目した裁判の行方〜』は「夫の局部を切断した妻」としてセンセーショナルに注目されたヒスパニック系移民女性の事件を追いながら、1990年代当時の米社会の家庭内暴力の扱いや人種差別的報道を浮き彫りにしていく。
実話をベースとする映画『ハウス・オブ・グッチ』においてレディー・ガガが演じる主人公パトリツィアのイメージは、近代史における「悪女」の代表のようなものだ。1990年代イタリアで起こったラグジュアリーブランド創業一族、グッチ家当主暗殺事件において、被害者の妻であった彼女は「金目当てで男に近づいた悪女」として喧伝されていったのだから。それを2020年代に映画化するなら、フェミニズム的な再解釈を行なう余地がある……はずなのだが、ここには一つ、大きな問題がある。
パトリツィアは、夫であった被害者マウリツィオ・グッチの殺害を計画した張本人なのだ。概要としては、1970年代に裕福な出身ではないパトリツィアがマウリツィオと結婚。しかし1980年代には別居に至ったのち、マウリツィオが離婚を切り出したことで、パトリツィアは殺し屋を雇って1995年に彼を暗殺した。つまり、彼女は夫を殺している。冤罪でもない限り、一般倫理において「悪い」ことは確定しているのだ。では、この映画は、パトリツィアをどう描いたのか?
■メロドラマ調で描かれるグッチ一族のスキャンダル。レディー・ガガは「女性と生存の物語」を見出した
リドリー・スコット監督作『ハウス・オブ・グッチ』は、賛否両論を巻き起こした。関係者が存命の殺人事件を扱いながら、滑稽なところもあるメロドラマ調だったのだ。
パトリツィアとアダム・ドライバー演じるマウリツィオの出会いから暗殺までを描くなかでは、グッチ家の男たちの骨肉の争いも描かれている。ベテラン俳優が揃うファッション帝国版『ゴッドファーザー』といった趣もあるが、ジャレッド・レトが「純朴な愚鈍」かのように演じるパオロ・グッチ(グッチ創業者グッチオ・グッチの孫の一人で、マウリツィオの従兄弟)を筆頭に、コメディーのような雰囲気も醸している。こうした作風、その内容は、実際のグッチ一族の末裔の怒りを買い、抗議の声明を出されるまでに至った。
