タレントの向井亜紀さん

写真拡大

『朝だ!生です旅サラダ』(ABCテレビ)を3年前に卒業し、先日は日本女子大学を卒業したことが話題になったタレントの向井亜紀さん(61)。熱く挑戦を続ける姿勢は、出産・子育てでも同じだった。向井さんは30代で壮絶な子宮頸がんの闘病を乗り越えた後、2003年に日本では法的に認められていなかった代理母出産に挑戦。双子の男の子を授かり、世間を論争の渦に巻き込んだ。

【写真】双子を特別養子縁組することを発表した向井さん・高田延彦さん夫婦。子どもたちとの家族写真なども

 向井さんは双子を実子として出生届を受理するよう求め最高裁まで争ったが、結果は不受理。そのため、向井さん・高田延彦さん夫婦は双子を特別養子縁組(普通養子縁組と異なり、特別養子縁組は戸籍上、実子と同じになる)して育ててきた。

 成人となった子どもたちは今、どうしているのか。向井さん夫婦の子育てはどんなものだったのか。向井さんに聞いた。

 * * *

 双子の兄・万里(ばんり)と弟・結太(ゆうた)は22歳になりました。1年前、アメリカの美術大学に留学し、今度2年生になります。2人は幼い頃から仲が良く、今も一緒に暮らしながら、油絵アーティストを目指してコツコツがんばっています。

 レスリングの道は2人ともまるで考えていなかったですね。高田はやらせたかったかもしれませんが、小学6年生まで高田道場でアマチュアレスリングを習っていたのに、中学に入った途端、2人して迷うことなくバドミントン部に入部しましたから(笑)。

 今もやりたいことを見つけて彼らなりに努力しているようですし、私たち夫婦も子離れできたかな、と感じているところです。

 2人は日本の公立中学に3年の1学期まで通い、それから4年間はハワイの現地高校へ。その後いったん日本に戻り、専門学校で絵を学んでいました。でも、先生方に「自由な発想で絵を描く2人は、海外で学ぶ道を選んでいいのでは」と言われ、改めてアメリカに留学したんです。万里は風景画、結太は人物画を描くことが多いのですが、才能があるかどうかは、……身内なので客観的にはなれませんね(笑)。すばらしい絵を描く人は世の中にたくさんいますから、万里も結太もまずは精一杯チャレンジしてほしい。2人には「親が支えてあげられるのは30歳まで」と伝えています。

 背格好や顔が親に似ているか? どうなんですかね。背は2人とも180センチ前後。高田が183センチ、私は171センチあるので、親譲りですね。顔は、万里は高田、結太は私に似ていて、性格は万里が私、結太は高田に似ているとマネジャーは言いますが……。万里は芯があって自分の価値観を柱に行動するところ、結太は周りを見渡しながら友だちみんなと仲良くするところは私に似ているのかな、と思います。

 私は39歳で親になったので、幼い2人が走り回るのについていけませんでした。人の何倍も食べる高田と育ちざかり男子2人のために張りきって料理をしましたね。

 幼稚園・小学校・中学校とPTAに積極参加したり、両親の介護・見送り・実家じまいが積み重なって、とにかくバタバタ大変だったんですけど、まずは闘病との両立が第一課題だったもので、細かいことはあまり覚えていないんですよね。

 反抗期といっても親に手を上げたり誰かを傷つけたりしたことはなく、せいぜい自分の部屋で壁をドン、ドン叩いていたくらいでしたし。今は照れているのか、話しかけても「ああ……」と無愛想な返事がかえってくるだけ。よくいるタイプの大学生じゃないかと思います。親として一番気をつけていたのは、2人を平等に扱う、ということでした。双子の親は、そういう人が多いみたいですね。

教室で「名前の由来」を発表したら…

 2人が代理母出産で産まれたことは、0歳児の頃から伝えていました。代理母になってくれたシンディの写真をリビングに飾って、「あなたたちを命がけで産んでくれた人よ」と。意味を理解することはできていなかったと思いますが、2人が幼稚園の年中のとき、友だちのママのお腹が大きくなって「この中に赤ちゃんが入っているのよ」と教えてもらったことがあったんです。後日、赤ちゃんが産まれてママのお腹がぺちゃんこになっているのを見たとき、2人から「僕たちもお母さんのお腹の中から産まれてきたの?」と、質問されました。

 そこで、「お母さんは病気になって、お腹にあなたたちを入れてあげられなかったの」と説明しました。すると、「そうか、お母さんのお腹、線路みたいだもんね」と、妙に納得していましたね。子ども達と一緒にお風呂に入ると、手術痕だらけの私のお腹は、電車の路線図みたいですから。そんなこんなの会話をしながら少しずつ理解を深めていった、という形です。

 わが家は、代理母出産したことを最初から公表していたので、子どもたちが周りから何か言われたり、いじめられたりしないか、私はずっと気がかりでした。役所の方々や弁護士、医師からも、「あなたの子どもたちは絶対にいじめられます。一体どうするおつもりですか」と問われてきましたし。

 なので、子どもたちには「誰かに何か言われたら、お母さんに教えて」「本当にない?」と繰り返し聞いていました。「もう、しつこいなあ」「1回もないよ」と言われて心底ホッとしつつも、今でもたまに聞いてしまいます。

 2人が小学校2年生のとき、自分の名前の由来を調べましょう、という授業があり、万里が「僕は、お母さんのお腹が病気で膨らまなくなったので、シンディという人に産んでもらって、その人の苗字がヴァンリードさんだったので、僕の名前は万里になりました」と発表したところ、みんなが拍手してくれたんだそうです。

 驚いた私が、「そのとき、先生はどんなお顔してた?」と聞いたら、「先生も拍手してたよ」ですって。ちなみに、結太は、「シンディ家族とぼくたち家族の絆が、太く結ばれるように、という意味です」と発表したとのこと。その話をある識者にお伝えしたら、「周りの大人が心配したのは、むしろ無礼なことでしたね」と言われました。子どもたちの周りのみなさんが優しく受け入れてくださったこと、本当に感謝しています。

 今は「いろんな人がいる」「いろんな親子、家族の形がある」ということが知られるようになり、以前よりずいぶん受け入れてもらえるようになったと感じています。私が公表した20年あまり前は激しい嵐が吹き荒れて、私は「人間サンドバック状態」。子どもに悪意を向けられたらどうしようと、心療内科にかかるほど追い詰められました。

 でも、米国ではもちろん、日本でも代理母出産をしている人はいたし、私たちの子を産んでくれたシンディは「これは私が決めたことよ。亜紀の子を産んで、亜紀が喜んでくれるのが楽しみなの。きっと幸せになれるわ」と、不安がる私に何度も伝えてくれていました。その温かい言葉が何よりの支えとなり、あの嵐を乗り越えることができたのだと思います。

 私の場合、両親が堂々と寄り添ってくれたことも大きかったです。私に対してだけでなく、両親にも罵詈雑言を投げつけてくる人がいましたが、父は「名前さえ名乗らない人間の言うことなど聞く必要はない」と言い切ってくれ、母も「あなたに覚悟があるならやり通しなさい」と動じませんでした。

「お腹を痛めて産んだ子だからかわいい」という表現がありますが、それができるなら私も本当にそうしたかった。命がけで子どもを産むすべての人に憧れ、尊敬しています。ただ、子どもはお腹を痛めていなくてもかわいいし、かけがえのない存在です。代理母出産で子どもをもち22年育ててきた今、自信をもってそう言えます。

取材・文/中野裕子(ジャーナリスト) 写真/山口比佐夫