25年1月のOB会総会で厳しい現状を語った桑田OB会長(PL学園のグラウンド/産経新聞社提供)

写真拡大

 多くの高校野球ファンにとって、春夏の甲子園の季節となれば思い出されるのが在りし日のPL学園(大阪)硬式野球部だろう。春夏あわせて7度の全国制覇に加え、巨大な人文字と荘厳な吹奏楽で絶大な人気を誇った同校が2016年に活動を休止してから、間もなく10年になろうとしている。

【写真】PL教団の象徴・大平和祈念塔(パーフェクトリバティータワー)

 2026年に入って2月も下旬に差し掛かった頃、PL学園とその母体であるパーフェクトリバティー教団(以下、PL教団)の取材を続けてきた私のもとに、関係者から一本の連絡が入った。

「どうやら4代教祖が決まったようです」

 2020年12月5日にPL教団の3代教祖である御木貴日止氏が63歳で亡くなって以降、5年あまりの間、不在となっていた教祖がとうとう誕生したというのだ。成り手となったのはそれまで教主代行という立場にあった3代教祖の妻、美智代氏とのことだが、教団ホームページを確認してもそれらしき情報はない。

教団は「4代教祖誕生は事実であります」

 さっそく教団の渉外課に連絡を入れると、美智代氏が4代教祖になったことを認めた。

「2月22日付けで4代教祖が誕生されたのは事実であります」

 PL教団の教勢拡大に尽力した2代教祖・御木徳近氏が死去した1983年に貴日止氏は25歳で3代教祖となり、同年に美智代氏と結婚した。だが、当初は教祖一族の反対に遭い、美智代氏が表舞台に顔を出さないことを条件に結婚が認められ、三男二女に恵まれた。しかし、2007年に貴日止氏が脳の疾患で倒れると、美智代氏が教団神事にも顔を出すようになり、その後は教務総長という立場で教団内の実権を握るようになっていく。

 かつて教団の布教を担った元教師は話す。

「信者の高齢化が進み、信者数が減少するなか、美智代さんは教団運営のスリム化をはかるために200以上あった教会の統廃合を進めてきました。そうしたなかで、美智代さんのもとで2代さん(徳近氏)が作ったものはどんどんなくなっていった。その代表的なものが、PL学園の硬式野球部です」

 PL学園の野球部では2013年2月に上級生の下級生に対する暴行事件が発覚し、以降は野球経験のない校長が監督を務めることに。2014年には新入部員の募集を停止し、野球部は2016年7月をもって事実上の廃部となった。もちろん、不祥事を繰り返してきた野球部の体質にも問題はあるが、OBらを野球部から遠ざけ、廃部への道を推し進めたのも美智代氏というのが大方の見方であった。

「誰にアプローチしたらいいのかわからない」

 桑田真澄と清原和博のKKコンビが5季連続で甲子園に出場し、立浪和義らが春夏連覇を達成した1980年代に絶大な人気を誇った野球部の復活を願う声はいまだに大きい。だが、野球部の復活の前に、生徒数が激減して学校が存続の窮地に立たされていることも筆者は報じてきた。

 2025年度の在校生は高校が3学年あわせて39人。中学は同35人だ。そして今年度の高校受験者数は国公立コースが20人の外部募集に対して併願者がたったの2人だけで競争倍率は0.10倍という目も当てられない数字に。92人募集の理文選修コースにいたっては専願も併願もゼロ。ひとりもいないのだ。もちろん、PL学園中学からの内部進学者はいるはずだが、それも数名だろう。

 野球部のOB会長を務める桑田真澄氏(現・オイシックスCBO)は一昨年の1月に開かれた懇親会において、野球部復活の道については「すべては4代教祖が誕生してから(動き出す)」と話し、復活に向けて希望を捨てていないことを明かした。だが、今年の懇親会ではややトーンダウンし、「生徒数の推移を見ると、学校の存続の危機にある。野球部のOB会としても、いったい誰にアプローチをしたらいいのかわからない状況です。(野球部復活の)決断を待つしかない」と声を落とした

 待望の4代目は誕生した。だが、野球部復活の光明は見出せない。

■取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター)