実は、ヤクルトOB戦に呼ばれなかったあの名将の嘆き「私を誰だと…」

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 それはまさにヤクルトファンにとって「夢の夜」だったと断言できるでしょう。

 2019年7月11日、神宮球場で開催された「Swallows DREAM GAME」。球団創設50周年を記念したOB同士による一戦は、たいへんな熱狂をもたらしました。

フィールド・オブ・ドリームス


 午後から雨が降り出し、一時は開催も危ぶまれましたが、プレーボールとともに雨も上がっていきました。ヤクルトファンでおなじみ、さだまさしさんによる国歌独唱、同じくファンクラブ名誉会員の出川哲郎さんによる爆笑始球式とイベントも盛り上がる中で、かつて神宮の杜を熱くした名選手による夢の競演は、まさに映画「フィールド・オブ・ドリームス」を思わせるよう。ゲームセットの瞬間まで、ツバメ党の熱気は神宮の夜空に渦巻いていました。

 この夜のハイライトは4回裏の先頭でした。「バッター・野村」がコールされたのです。野村克也さんは「GOLDEN 90’s」の指揮官としてベンチ入りしましたが、足腰の衰えは隠せず、クラブハウスと球場間の移動はカートを利用し、球場内では車いすを利用していました。

 しかし、強打者の血が騒いだのでしょう。84歳は古田敦也さんや真中満さんらに支えられて打席に立つと、松岡健一さんのスローボールをフルスイング。その光景にスタジアムのボルテージは最高潮に達しました。

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一言モノ申す…

 「素晴らしいイベントだったね」「ヤクルトファンで良かった」など、誰もが幸せな気持ちで満たされた「7・11」の夜でしたが、これに一言、モノ申さずにはいられない男がいました。

 1974年から79年まで、ヤクルトの守備コーチ、ヘッドコーチ、監督を歴任。1978年には初のリーグ優勝、日本一に導いた名将・広岡達朗さんその人です。

 「週刊ベースボール」のコラムの文末に書いたこの一節は、衝撃的でした。

 「私には招待状すら来なかった。OB戦の開催の是非がどうこうではなく、筋道が通っていない。チームが最下位に沈むのも当然だ。私を誰だと思っているんですか?」

 厳格な指導で知られた広岡さんだけに、なかなかキビしい一言です。しかし、これを読んだツバメ党からは「こういうことを書く人だから、招待状が来なかったのではないでしょうか」との意見もSNS上では散見されるなど、「広岡さんを呼ばなかったことは是か非か」の議論もまた、盛り上がりを見せています。

 一つだけ言えることは、広岡さんもノムさんも、まだまだ健在だと言うこと。

 毒舌こそ元気の証しです。来年は「広岡VS野村」が両ベンチに別れてのOB戦が行われたら、さらなる熱狂は必至と言えそうです。

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]