ピンク・フロイドのリック・ライトによる12の代表作
ピンク・フロイドの30年以上に渡るバンドの歴史を通じ、フルタイムのメンバーはわずか5人しか存在しない。その内3人はバンドの舵取り役として、それぞれがユニークなフレーバーを出した。シド・バレットは、怖いものなしのブルージーなスペース・ロック時代に君臨し、その後ロジャー・ウォーターズが、プログレッシブで内省的なコンセプト・アルバム時代を率いた。最後はデヴィッド・ギルモアが、アトモスフェリックなテクスチャに時折インストゥルメンタルを織り交ぜた。バレット、ウォーターズ、ギルモアがスポットライトを浴びる中、他の2人のメンバーであるドラマーのニック・メイスンとキーボード・プレイヤーのリチャード・ライトは、バンド内でもメディアからも過小評価されがちな存在だった。
1. 『パウ・R・トック・H(原題:Pow R. Toc H.)』(1967年)
1967年、ピンク・フロイドはデビュー・アルバム『夜明けの口笛吹き(原題:The Piper at the Gates of Dawn)』のレコーディングのため、アビー・ロード・スタジオに籠もっていた。すぐ隣では、ザ・ビートルズがアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のレコーディングを行っていた。「僕らにとって彼らは神のような存在だった」とメイスンはファブ・フォーについて語った。フロイドのメンバーは、ビートルズが『ラヴリー・リタ』をレコーディングする様子を見学している。コントロール・ルームのバレットと仲間たちは皆一様に実験的な楽曲制作の衝動に駆られ、ファースト・アルバムに収められたインストゥルメンタル2作品の最初の1曲『パウ・R・トック・H』に反映されている。同曲には、当時はまだ珍しかったビートボックスやユニークなヴォイス・エフェクトが使われている。しかしメインとなるメロディは、ライトによるピアノのインプロヴァイゼーションで、その後のよりテンションの高い幻想的なオルガンへと続く。
2. 『絵の具箱(原題:Paint Box)』(1967年)
『絵の具箱』は、バンド仲間から”寡黙で引っ込み思案”と言われる男の、音楽的なパーソナリティを垣間見ることのできるレアな楽曲だ。もともとバレット作のシングル『Apples and Oranges』のB面としてリリースされた同曲は、後にコンピレーション・アルバム『ピンク・フロイドの道(原題:Relics)』に収められた。憂鬱でサイケな出来事を歌った曲で、ライトが居心地の悪い酔っ払った夜を思い返しながら「でも俺がいるべき場所は、はるか遠くだった」と歌っている。
3. 『シーソー(原題:See-Saw)』(1968年)
ライトが単独で楽曲の製作者としてクレジットされているのは、ピンク・フロイドの全217曲中わずか10曲しかない。バンド初期のライトは、メイスンが”正にバレット流の哀愁を帯びた曲”と呼ぶ雰囲気の楽曲を好んだ。バンドのセカンド・アルバムで、バレットが参加した最後のアルバム『神秘(原題:A Saucerful of Secrets)』には、その代表的な2曲が収録されている。『シーソー』は、子ども時代の歪んだ至福の時を描いた幻想的なバラードで、ライトがリード・ヴォーカルを務め、ピアノ、ファルフィッサ・オルガン、サキソフォン、メロトロンも弾いた。また、ギルモアとプロデューサーのノーマン・スミスが物憂げなバッキング・ヴォーカルを加えている。
4. 『シシファス組曲(原題:Sysyphus (Parts 1-4))』(1969年)
1960年代後半、順調に活動を続けていたピンク・フロイドは、アルバム『モア(原題:More)』のリリースから5か月も経たず、次のアルバム『ウマグマ(原題:Ummagumma)』を発表した。1969年に入って2枚目のリリースとなる同アルバムは2枚組で、ユニークな発想を基に構成されている。1枚目はライヴ・アルバムで、2枚目には”リアルな音楽”を作りたかったライトの提案により、各メンバーにLP片面の半分ずつを割り当て、4人それぞれのソロ作品を収めた。メンバーひとりひとりが担当した各楽曲は、他のメンバーのサポートなしに仕上げられている。『ウマグマ』のオープニングは『天の支配(原題:Astronomy Domine)』で、2年前にリリースされたデビュー・アルバムの1曲目を飾っている。デビュー・アルバムではバレットがリード・ヴォーカルを務め、ライトが高音のコーラスを担当した。ライヴではライトが主旋律を歌い、ギルモアがコーラスを付けている。『ウマグマ』の各ソロ曲を聴くと、それぞれのメンバーがバンドのエネルギーとサウンドにどのように貢献しているかがわかる。ライトの『シシファス組曲』は、4曲で構成された組曲で、ライト自身は後に”大げさだった”と表現している。オーケストラによる不気味な感じの序曲から、まるでドビュッシーの歌曲のような美しい印象派風のピアノ曲へと続く。作品は最終的に、シュトックハウゼン風の大混乱へと突入するのだが、嵐の前の静けさで、ライトは憂鬱さとノスタルジーを融合する巧みな技を披露した。
5. 『サマー68(原題:Summer 68)』(1970年)
アルバム『原子心母(原題:Atom Heart Mother)』のアナログ盤B面に収録された、ライトの最も野心的で成功したソロ作品。A面は23分に渡るアルバム・タイトル曲が占め、B面は前作『ウマグマ』と同様のやり方でウォーターズ、ギルモア、ライトの各メンバーがそれぞれ中心となって楽曲を製作した。ライトによるバロック調の曲は、メロディの上にブラス・セクションとピアノで装飾が加えられている。アップビートな曲調ながら、歌詞はツアー続きの生活を反映した物憂げなムードだった。「友人たちは太陽の下で寝そべっている。僕もそこにいれたらいいのに。明日はまた別の街。そして君のような別の女の子に出会うのさ」
6. 『エコーズ(原題:Echoes)』(1971年)
アルバム『おせっかい(原題:Meddle)』に対するローリングストーン誌のレヴューでジャン=シャルル・コスタは『エコーズ』について、「過去のアルバムのテーマやメロディ・ラインを新たな音楽的フレームワークで再現し、アルバムのB面全体を占領するピンク・フロイドによる23分間の華麗なショー」と称賛している。叙事詩的な同作品の冒頭から3分間続く潜水艦のようなピング音は、ライトとギルモアがヴォーカル・パートのハーモニーを合わせている時に、ライトの弾くピアノをレスリー・スピーカーに通して得られたサウンドだった。『エコーズ』は、バンドの有名な1972年の映画『ライブ・アット・ポンペイ』のオープニングとエンディングを飾った。それから45年後の2016年、ギルモアは再びローマ時代の円形闘技場でライヴを行った。「ここで『エコーズ』をプレイできれば素晴らしいだろうが、リック抜きでやる気はない。リックと僕とのプレイには、何か特別なものがあったんだ」とギルモアは、ローリングストーン誌に語っている。2011年、『エコーズ』はローリングストーン誌の読者が選ぶピンク・フロイドの楽曲ランキングの第5位に入った。
7. 『虚空のスキャット(原題:The Great Gig in the Sky)』(1973年)
アルバム『狂気(原題:The Dark Side of the Moon)』においてライトは、『タイム(原題:Time)』で共同リード・ヴォーカルを務め、『アス・アンド・ゼム(原題:Us and Them)』を作曲した。しかし、この伝説のコンセプト・アルバムにおけるライトの重要な仕事は、エモーショナルなインタールード『虚空のスキャット』だろう。同曲はライトによる作品で、2005年までは彼が単独でクレジットされていた。後に同曲の共同制作者としてクレジットされるようになったクレア・トリーによる、歌詞のないソウルフルな高音の歌声は、曲に欠かせない要素となっている。ライトは後に、「僕がスタジオでコードをいくつか弾いていたら、たぶんデイヴかロジャーが”ふーん、いい感じじゃん。アルバムで使えそうだ”と言ったんだ。」と謙遜した。ウォーターズは同曲に対してもう少し感情を込めて語る。「素晴らしいコード進行だ。僕の個人的な意見では、『虚空のスキャット』と『アス・アンド・ゼム』のピアノ・パートはリックの最高傑作だ。どちらもとても美しい」
8. 『アス・アンド・ゼム(原題:Us and Them)』(1973年)
ピンク・フロイドは結成当初、『The Committee』(1968年)、『モア』(1969年)のほか、アルバム『雲の影(原題:Obscured By Clouds)』となった映画『ラ・ヴァレ(原題:La Vallée)』(1972年)など、サウンドトラックを得意としていた。さらに、『砂丘(原題:Zabriskie Point)』(1969年)をはじめイタリアの映画監督ミケランジェロ・アントニオーニの作品にも何曲か提供している。ライト作の『The Violent Sequence』もその中の1曲だったが、アントニオーニ監督は採用を見送った。ウォーターズによれば、アントニオーニは「美しい曲だが寂しすぎる。教会を思い起こさせる」と述べたという。同曲はアルバム『狂気』の製作が始まるまで棚上げされていたが、ウォーターズが歌詞を付け、『アス・アンド・ゼム』として仕上げられた。ライトは、エモーショナルで熱くパンチの効いたバック・コーラスを聴かせている。
9. 『シープ(原題:Sheep)』(1977年)
ピンク・フロイドの歴史の中で、この時代はウォーターズの支配力が増し、アルバム『ファイナル・カット(原題:The Final Cut)』(1983年)を最後にバンドを去るまで、アルバム製作ごとにウォーターズのソロ作品の色が濃くなっていった。アルバム『アニマルズ(原題:Animals)』では1曲を除き全て彼のみのクレジットだったが、他のメンバーも依然として自分の存在感を示していた。『シープ』はヒツジの鳴き声から始まり、フェンダー・ローズを弾くライトの90秒間のソロが続く。スーパートランプ風の即興演奏は、アルバムで聴けるライトの名演奏のひとつで、変化を遂げるバンドにおけるライトの最後の絶頂期だった。ライトのバンドへの貢献度は徐々に低下し、『アニマルズ』では初めて彼のクレジットが見られなかった。その後、バンド内の緊張感が高まっていく。
10. 『Against the Odds』(1978年)
1977年のイン・ザ・フレッシュ・ツアー(In the Flesh Tour)中、バンド内の緊張関係は高まっていった。ウォーターズは、各コンサート会場へひとりで移動し、ショーが終わるとすぐに立ち去るようになっていた。著作権料は曲ごとに支払われることになっていたため、これがさらに対立を深める原因となった。ツアー後にライトは脱退を示唆し、ソロ・デビュー・アルバム『Wet Dream』(1978年)の製作に入った。「ソロ・アルバムに取り組むことは、次のフロイドの活動へのクリエイティブなエネルギーを取り戻す助けとなった」と、当時ライトは語っている。アルバム中で最も感動的な曲は、元妻のジュリエットと共同制作した『Against the Odds』だった。彼女はジュリエット・ゲイル名義でシンガーとしての活動経験があり、後にピンク・フロイドとなるバンドのひとつでも歌っていたことがある。ライトはジュリエットと1964年に結婚している。『Against the Odds』はアダルト・コンテンポラリーのトーチ・ソングで、苦しい男女関係を歌っている。「わからない。どうして続けなければならないのか。今夜はもう喧嘩したくない」とライトは嘆く。1982年に2人は離婚している。
11. 『ウェアリング・ジ・インサイド・アウト(原題:Wearing the Inside Out)』(1994年)
アルバム『ザ・ウォール(原題:The Wall)』へ向けたセッション中、ライトはコカイン中毒に苦しんでいたという。さらにウォーターズはライトとのアルバム製作を拒み、ライトはグループを追われた。「ウォーターズは素晴らしいアイディアを持っている人間だと思う。でも一緒に仕事をするにはとても難しい人間なんだ」と1987年にライトは、ローリングストーン誌に語っている。1985年にライトがバンドを離れた後、ピンク・フロイドの名義の使用を巡る激しい法廷闘争が起こった。その後ライトはバンドへ復帰し、2枚のアルバム製作に参加することとなる。復帰2枚目のアルバムは『対/TSUI(原題:The Division Bell)』(1994年)で、ライトはアルバム『狂気』に収録された『タイム』以来となるリード・ヴォーカルを務めた。ライト作曲、アンソニー・ムーア作詞の『ウェアリング・ジ・インサイド・アウト』は、ギルモアとライトがデュエットし、後からじわじわと良さが伝わってくる楽曲だ。バック・コーラスによる合唱と息づかいの聴こえるサックス・ソロが楽曲をまとめている。ライト本人が書いた歌詞ではないが、彼の口から出る言葉は説得力がある。冒頭の一節は、まるで彼の身の上話を聞いているようだ。「朝から晩まで人目を避けて過ごす。ただ生きようとしているのかどうかもわからず。どうにか生き延びている。つまり、もう限界を超えているんだ」
12. 『オータム68(原題:Autumn 68)』(2014年)
ライトによると、ピンク・フロイドのアルバム『対/TSUI』製作時にレコーディングされた、未収録の5〜6時間分の素材があったという。ギルモアとメイスンは、亡きライトに捧げたピンク・フロイドとしてのファイナル・アルバム『永遠/TOWA(原題:The Endless River)』の製作へ向けたインスピレーションを得るために、20年前のテープを掘り起こした。「このアルバムを作ることが、ライトの多大な功績を評価し、彼のプレイがピンク・フロイド・サウンドの中心にあったことを認識するよい手段だと思ったんだ」と、メイスンは当時語っている。「『対/TSUI』のセッションを聞き返すと、彼がどんなに素晴らしいプレイヤーだったのかをあらためて感じる」という。ライトの遺作となった『オータム68』は、曲のタイトル通り1968年にロイヤル・アルバート・ホールの伝説のオルガンでレコーディングしたものだった。彼を送る曲としてふさわしい。華麗で心地よいインストゥルメンタル・サウンドスケープで、ライトの才能が、長い時間を共にしたメンバーへいかに多くのインスピレーションを与えたかがわかる。
