「絶対にやってくれ」 「遊戯シリーズ」村川透監督が「松田優作」に出演を迫った有無を言わせない口説き文句
夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さんが俳優、歌手、タレント、芸人ら、第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第69回は映画監督の村川透さん。御年89にして、最新作を撮り終えた村川さんが、かつてタッグを組んだ名優・松田優作さんとの秘話を語ります。
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「絶対にやってくれ」
ハードボイルドの金字塔といえば、松田優作主演の一連の映画であり、代表作は遊戯シリーズや大藪春彦原作「蘇える金狼」「野獣死すべし」であることに異論はない、という読者は多いはずだ。

メガホンを取ったのは村川透監督(89)。「野獣死すべし」の公開は1980年。もう半世紀近くも前になるが、日本映画界にとっては画期的な作品だった。
村川は59年に日活に入り、助監督を13年。長い下積み生活を送り、師匠の舛田利雄始め、西河克己や森永健次郎といった、日活の名だたる監督の元で監督業を学んだ。本人が語る、下積み時代である。
「助監督はチーフから5番目までいて、それぞれの役割がある。衣装や小道具などが担当の助監督は撮影で使う帽子とかステッキを探すわけだけど、作品の時代と違っていたものを選ぶと殴られてね。でも、それが本当に勉強になった。楽しかったしね。そういう下働きをいい加減にやるヤツは、映画を作る人間としてはダメだと体で覚えることができた。やっぱり人間は、いろいろやって恥をかかないと成長しないものです。いい加減な監督もいるんだよ。誰とは言わないけど、主役の女優にマンツーマンの演技指導をするといって、後は助監督任せにして。その監督は史上最低の人(観客)が入らない映画を作ったけどね」
監督デビューは「白い指の戯れ」(72年)。松田優作との接点はドラマ「大都会 闘いの日々」(76年、日本テレビ系)の第4話「協力者」だった。脚本は初回を始め、同作を数多く手がけた倉本聰。
この時、優作はゲスト出演だった。だが、村川にはピンときた。「あいつ(優作)にこの役をやらせないと、俺には先がないというインスピレーションがあった」と語る。
「『絶対にやってくれ』と言ったんだよ。有無を言わさない感じで。オレのただならぬ雰囲気が優作にもわかったんだろうね。この回の最後に目が潰れるカットがあるんだけど、優作は最初、何の意味かわからなかったと思う。でも、それが全体の中でどんな意味を持つのか納得してやってくれた。それがあったから、優作に『次もやるか』と訊いたら、『やる』と言ってくれたんだと思う」
村川が松田に「絶対にやってくれ」と口説いたのが「遊戯シリーズ」だった。優作演じる、殺し屋の鳴海昌平が活躍する第一弾は「最も危険な遊戯」(78年)。シリーズは「殺人遊戯」(同)「処刑遊戯」(79年)の全3作。ここからさらに、「蘇える金狼」(同)、金字塔といえる「野獣死すべし」と続き、ハードボイルドの一群を形成する。
今あらためて観ても感心するが、なぜ、あれほど研ぎ澄まされた鋭敏で過激な表現、そして演技が可能だったのか――。
もちろん、鍛え上げられた優作の類まれな身体能力のなせる業、そしてキレのある動きがなければ実現しなかっただろう。だが、その優作を使いこなしたのは、村川の手腕というしかない。
「テレビドラマばかりやっていた優作を、『オレはこの男と心中する、生涯を共にするつもりだから、オレでやらせてくれ』と関係者にお願いしたんです。それが叶ったわけだけど、オレのように優作を獲得しようとした人がいなかったのもあるかな。その証拠に他の人はやっても、せいぜい1本か2本だからね。優作にも『オレはずっとお前とやる。やってくれるか』と言ったら、優作は『わかった』と……」
その際、優作と交わした、ある約束があったという。
「オレがずっとやると口説いたことで、優作の命運も決まったってことです。映画は全世界を相手にする。君にとっても、それはオレにとっても同じ。いつか必ず世界に行くようにしてあげるから。いつまでも曇天じゃないよ。いつか晴れる日がやって来る。もし、そんな日が来たらどんなことがあってもやるべきだ。そして後にその通りになったわけだよ。ドーンと『ブラック・レイン』(89年、リドリー・スコット監督)の話が来るわけです」
何も言わないで芝居で見せてくれた
1973年にドラマ「太陽にほえろ」(日本テレビ系)でデビュー、「ジーパン刑事」で人気者となるが、76年にはロケ先で傷害事件を起こし、謹慎生活も経験するなど、この当時はまさに波乱万丈の役者人生を歩んでいた優作。
「(優作は)すごい役者だけど、困難もいっぱいある中で、必死にやることで成功した。大切なのは志です。優作は侍だった。侍の心、魂とともに、志があった。そして男だから何も言わないで芝居で見せてくれた。それしかないことを彼はわかっていて、自分で考えて、オレが考えているような芝居をやってくれた。オレも彼の演技をダメとはいわなかったし。ダメな時は相談してやっていたからね。こうやろうと。彼は飲み込みも早かった」
「遊戯シリーズ」では、殺し屋の優作が、自らを鍛え上げるトレーニングシーンも有名だった。腹筋、逆立ち、シャドーボクシング。そして姿見をいくつも立て、ホルスターからマグナムを取り出す早撃ちの特訓……。
「『最も危険な遊戯』のキレは素晴らしかった。普通じゃできない。思いついた芝居もストーリーにきちんとハマるようにやっていたし、同じ芝居でも彼は、どの角度から撮るのか、その際に自分はどう見えるのか……そうした細かいことを全て考えてやっていた。あっち向いたり、こっちを向いたり、ひっくり返ったり、いきなりポーンと飛び出したり。自分を本当の殺し屋だと思って演じていました」
優作とはドラマの「大都会 PARTII」(日本テレビ系、1977年)や「探偵物語」(同、79年)でもタッグを組んでいるが、優作は村川以外の監督との作品でも話題作に出演した。「家族ゲーム」(1983年、森田芳光監督)でも主役を演じ、ヨコハマ映画祭の主演男優賞を受賞。そして亡くなる直前に、米ハリウッド映画「ブラック・レイン」出演を果たした。
結婚してあげてもいい
監督夫人の喜代子さんに以前、こんな話を聞いたことがある。
喜代子さんは人間国宝の金工家・高橋敬典の娘で、監督は義理の息子になるが。
「プロポーズの時は『結婚してあげてもいい』と言われました。でも、惚れた弱みでね……。どんな時でも『はい』と言わないと怒るんです。それは結婚してからも変わりません」
おそらく優作を口説いた時もそんな感じだったのだろうか。サングラスを外した村川監督の目元は柔らかいが、誰に何を言われようと自説を曲げない。秘めた芯のようなものが伝わってくる。助監督時代の鍛錬をバックボーンにした信念が、松田優作も惚れ込んだ「村川マジック」の核心だろう。
来年で90歳。故郷の村山市(山形)で40数年ぶりに遊戯シリーズ「LAST DANCE 最後の遊戯」を撮り終え、編集作業を行っている。優作が演じた鳴海昌平と思われる男を宇崎竜童(80)、鳴海を追いかける元刑事の殺し屋を柄本佑(39)が演じている。脚本を担当したのは「処刑遊戯」の丸山昇一(78)。公開は26年度中の予定だ。
峯田淳/コラムニスト
デイリー新潮編集部
