パリッコ 西荻窪「笹串」の「野菜とえびまいたけ天ぷら」
ザ・大衆酒場なカウンターの上に広がる洋食店的風景。それをつまみに飲む、2杯目のチューハイ……。4年前偶然初めて入ったそのお店での体験は、酒場人生のなかでもトップクラスの感動的なものだった。先日、空席のあるタイミングで、やっと2度目の訪問が叶った。
「笹串」で初めて飲んだのは、2022年の末だった。
夜の西荻窪で飲むとなると、たいていは南口駅前の酒場密集地帯か、もしくは西荻を代表するグループ店「戎(えびす)」のなかでもいちばんお気に入りの北口店か、ということになる。けれどもその日はなんとなく気まぐれに、戎北口店のさらに先を徘徊してみていた。あまり足を伸ばしたことのなかったエリアだけど、ちらほらと良さそうな店があるのはさすが中央線沿線。
からりと戸を開けてみると、数席のカウンター内に厨房、その対面に小上がりのテーブル席がふたつと、古き良き街の大衆酒場の風情。ご主人と女将さんのふたりで営業されているらしい。かなり年季は入っているようで、壁は大量のポスターや写真でほぼ埋っている。さまざまなグッズもあちこちにディスプレイされ、雑然とはしているが、きちんと清潔感もあるから居心地がいい。
目の前の黒板メニューを見て驚いた。鮮魚を中心とした魚料理、肉料理、季節の野菜を使ったものに、とんかつなどの揚げものに、ハンバーグなどの洋食にと、店の規模に見合わないくらい充実したメニューが、2段に分かれてびっしりと記されていたのだ。極めつきは、ひとつだけ赤文字で書かれた1500円の最高級品「ベニズワイガニ」。一体どんな店なんだ、ここ……。
ひとまず生ビールとお通しのポテトサラダを女将さんに出してもらうと、きゅうり、玉ねぎ、にんじんがたっぷり、かつ魚肉ソーセージの輪切りが入るのが珍しく、とてもうまい。つまみは悩みに悩み、「牛すじビーフシチュー」をお願いしてみる。すると、それまでカウンター席に座って新聞を読んでいたご主人が「はいよ〜」と、鼻歌交じりに厨房へ。
やがて出てきたビーフシチューが衝撃的だった。洋風の大皿に、大きめにカットされたすじ肉がごろごろと入り、区分けして盛られたじゃがいも、にんじん、ブロッコリーにもただならぬ存在感がある。仕上げに生クリームまでかけられている。値段がたった500円だったので軽いものを想像していたが、いくらなんでも本格的すぎる。食べてみると見た目どおりの絶品で、完全に洋食の名店の味だ。がぜんライスが欲しくなってしまい、メニューにないけど、おにぎりがあるならばもしや? と、お願いしてみると、女将さんが快く出してくださった。
ザ・大衆酒場なカウンターの上に広がる洋食店的風景。それをつまみに飲む、2杯目のチューハイ。僕の酒場人生のなかでもトップクラスの感動体験だった。
帰りぎわ、「とても美味しかったです。失礼ですが、洋食のシェフのご経験もあったりするんですか?」と聞いてみると、「いや〜、どうだったかな」とはぐらかす大将。すかさず横から「そうだったのよ」と、女将さん。この店の魅力に陥落した瞬間だった。

ところが、それから程なくして、生粋の西荻っ子で『西荻さんぽ』『西荻ごはん』などの著書を持つ目黒雅也さんとお話をしたときのこと。僕が笹串の話題を出すと、「とても残念なんですが、笹串は最近ご主人が亡くなってしまったらしくて。女将さんがお店を引き継いでくれるそうなんですが……」と、言葉を失う情報が。たった一度しか行けてなくて、これからたくさん通いたいと思っていた店だったのに。
以降は、西荻に行くたび、笹串の前を通ってみるようになった。すると嬉しかったのは、建物の外壁が改装されたタイミングで一部の窓がクリアになり、そこから大盛況の店内が見える。愛すべき笹串を盛り上げるため、きっと、以前にも増して常連さんたちが足しげく通うようになったのだろう。
先日、空席のあるタイミングで、やっと2度目の訪問が叶った。現在お店を切り盛りされているのは女将のみよさんで、火曜と金曜にはそのお姉さんであるよねこさんがお手伝いに来ている。よねこさんはそれまで飲食業の経験などなかったが、妹さんのことを気にかけ、わざわざ自宅のある東京の東側から手伝いに通うようになったのだそう。今ではお客さんと話をするのも、その顔を思い浮かべながら仕込みの手伝いをするのも、生きがいのひとつなんだと教えてくれた。
壁にかけられたご主人の写真を見てやはり切ない気持ちになってしまったが、それを吹き飛ばす勢いなのがおふたりのパワフルさ。以前のみよさんは当然ご主人を立てている様子もあったが、女ふたりになればモードも変わる。終始マシンガントークが炸裂し、カウンターの常連さんたちとのかけあいはまるで家族か友達のよう。笑いの絶えないその空間に、言いようのない救いのようなものを感じた。
お通しの、よく味の染みた鶏とごぼうの煮物をつまみに、まずは「生ビール」(税込490円)をごくり。目の前の黒板メニューを見上げると、やはりずいぶんメニュー数は減っている。それでも「めばち鮪刺」(600円)をお願いすれば、とろりと上質な赤身がやってくる間違いのなさは、ご主人の時代から変わらない。
この日のいち押しは、ひとつだけ赤文字で書かれていた「野菜とえびまいたけ天ぷら」(650円)。もちろん頼んでみる。ジュワーっと目の前で揚げてもらい、それをすぐにカウンターに提供してくれるのだから、もはや専門店と変わらない。しかも内容が、海老2、まいたけ1、アスパラ3、れんこん2、ピーマン1と大変豪華だ。軽めの衣のなかに食材の生命力と熱気が閉じ込められていて、おかわりしたレモンスライス入りの「チューハイ」(450円)とたまらなく合う。
この日他にカウンターにいたのは、女性客が3人と男性客がひとり。全員顔見知りのようで、しかもなかのひとりの若い女性は、たまに来るのではなくて「たまに来ない日がある」ほどの常連さんだそうだ。僕はさすがにそこまで頻繁には通えないけれど、またちょくちょく、カウンターのすみっこに加えてもらえたら嬉しいなと思った。

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次回第48回は2026年6月4日(木)17時公開予定です。
Credit:
文・イラスト=パリッコ
