取材すればするほど、事情に「公共性」がまるで見出せない――

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公共性が見出せない

 麻布、高輪、広尾という高級住宅地に囲まれた白金1丁目地区で、大規模な再開発計画が進行している、という話を年初にデイリー新潮に書いて、大きな反響があった。人口が減少し続け、これからその勢いが加速するのが必至の状況下で、強引に再開発を進めれば、いずれ破綻して廃墟になるしかない、というのが記事の骨子だった。

【写真】“憧れの街”が変わる――開発が進む「白金」の風景

 実際、全国ではいま、計画が行き詰まる都市再開発事業が後を絶たない。都内も例外ではなく、中野サンプラザ再開発計画が白紙化して話題になったほか、新宿駅西南口の再開発なども中断している。理由は、建設資材や人件費が高騰し、工事期間も工事費も当初の予定どおりに収まらないことが確実になり、事業としての採算性が見通せなくなったからである。

取材すればするほど、事情に「公共性」がまるで見出せない――

 そんななかでも、白金1丁目地区に関しては事業者が強気のようだ。このところマンション価格が上昇し続けている東京都内でも、港区はとくに勝ち組だが、なかでも白金を中心とした一帯は人気が高い。それはまちがいない。この地区の地権者に聞くと、行政すなわち港区も、ことあるごとに「港区は違う」と強調するのだという。

 しかし、それは単に、いまのところは都市再開発事業を進めるのが可能な状況だ、ということにすぎず、将来まで見通しているとは思えない。それについては、追ってあらためて記すが、ここで考えてみたいことがある。

 都市再開発とは、採算性の話を除外すれば、あるエリアを再開発することに公共性があるからこそ行われるものだ。しかも、事業計画から認可、その後の管理に至るまで、地方自治体が大きく関わる以上、自治体の本義である「住民の生活向上や福祉の増進」に寄与しなければならない。ところが、白金1丁目地区の場合、取材すればするほど、事情に「公共性」がまるで見出せないのである。

なんの問題もない地域が再開発の対象に

 東京メトロ南北線の白金高輪駅周辺のこのエリアは、高さ142メートルと116メートルの2棟のタワーを中核とする「白金一丁目東地区」(2005年竣工)を皮切りに、長谷工コーポレーションの主導で再開発事業が進められている。156メートルと70メートルのタワーを擁する「白金一丁目東部北地区」の再開発も、2023年に竣工した。そしていま、その両者にはさまれた「白金一丁目東部中地区」でも、再開発に向けて協議が進められている。

 だが、「東部中地区」の住人の一人はこう語る。

「再開発とは老朽化した建物がたくさん建っていたりして、災害時に危険だとか、治安上問題がある地域を対象に、問題を解消するために行うもののはずです。その点では、白金1丁目など白金高輪駅周辺のエリアは、治安の面ではすばらしく安全ですし、放っておいても新しい建物が次から次へとできています。つまり、行政が介入しなくても、地域全体がちゃんと時代に応じて更新されているのです。それなのに、どうして再開発の対象にならなければいけないのでしょうか」

 都市再開発事業は基本的に、1969年に施行された都市再開発法に則って行われるが、たしかに、この法律が対象にしているのは、土地利用が著しく不適当である、老朽化した木造建築が密集している、という地域のはずだ。国土交通省のホームページにも、この法律にもとづく市街地再開発事業の目的について、次のように記されている。

〈市街地内の老朽木造建築物が密集している地区等において、細分化された敷地の統合、不燃化された共同建築物の建築、公園、広場、街路等の公共施設の整備等を行うことにより、都市における土地の合理的かつ健全な高度利用と都市機能の更新を図る〉

 しかし、白金1丁目を歩いても、こうした点で問題があるエリアだとは、まったく思えない。それなのに、なぜ再開発の対象になるのか。それはディベロッパーやゼネコンなどの業者と地方自治体が、それぞれの利益のために手を組んでいるからだ。

 民間の開発業者にとっては、再開発事業は短期的に利益を上げる格好の機会で、自治体にとっても短期的には税収増につながる。つまり、現況よりも建物を高層化し、土地あたりの世帯数を増やせば、固定資産税や住民税が一時的には増収になる。目先をみればそうかもしれない。だが、これから人口が減り続けることを考えれば、仮に再開発地域の人口が増えたとしても、その分、ほかの地域で人口減少の速度が増すだけである。

地権者のエゴが利用されている

 では、再開発の対象になった住民一人ひとりにとってはどうだろうか。

 あるエリアが都市再開発事業の対象になるためには、都市再開発法の規定により、地権者の3分の2以上が同意する必要がある。「3分の2以上」というハードルは案外高い。改憲も衆参両議院で総議員数の3分の2以上の賛成が必要だから簡単ではないのであって、そのハードルを超えなければ国民投票に進めない。

 ところが、現実には、日本中で数多くの再開発事業が進められてきたし、いまなお進められようとしている。「3分の2以上」というハードルが超えられたからだが、なぜ多くの賛成が得られるのか。それは、自分の「持ち出し」は最小限で済むので、得だと考える地権者が多いからである。

 都市再開発法による開発スキームは、建物を高層化して「保留床」と呼ばれる新しい床を生み出し、それを売却して建設費に充てるというものだ。このため、地権者は追加の費用負担がほとんどないまま、新築されたビル内の「権利床」に入居できる。したがって、自己負担でビルなどを建て替えるのにくらべて得だ、と考える地権者が多い。

 たしかに、再開発の対象が〈老朽木造建築物が密集している地区等において、細分化された敷地の統合、不燃化された共同建築物の建築、公園、広場、街路等の公共施設の整備等を行う〉という必要がある地域であるなら、地権者が追加の費用負担もなく新しいビルに入居できて、結果的に得をしても、非難されるいわれはない。

 だが、白金1丁目地区のように、そもそも治安上の問題や災害時の危険性に関して、問題がないエリアの場合、地権者のエゴが民間の開発業者に利用されている、というのが実態である。前出の「白金1丁目東部中地区」の住人が語る。

「再開発を推進したがっている地権者からは『古い戸建てを新しいマンションにして相続を有利にしたいから』『売りにくく住みにくい変形した土地をこの機に売り抜きたい』『ボロボロの工場をタダで新しい設備にできるのだからラッキーだ』。そういった声ばかりが聞こえてきます。自分自身の経済的利益のために、このままの状態で住み続けたい人が犠牲になったら、たまったものではありません」

顧みられない住民のささやかな願い

 ほかの住民に話を聞くと、たとえば次のような声が聞こえてきた。

「90歳近い母親と2人で暮らしていますが、住み慣れた自宅で最後の時をすごしたいと望んでいますし、そもそも高齢で引っ越しに耐えられません」(60代男性)

「自宅で飲食店を経営していますが、この年齢で引っ越しなど考えられないし、いったん店を閉めて、再開発ビルで再開できるころには、私自身が衰えて、もう店なんかできないでしょう」(80代前半の男性)

 2048年ごろまでに日本の総人口が1億人を切る、と国土交通省は推計している。しかも、各種の予測以上に急速に少子化が進んでいる以上、1億人の大台はもっと早い時期に割り込むだろう。そんな時代に必要なのは住宅建設ではなく、空き家対策とか、都市やインフラのコンパクト化であるはずだ。現在、港区がいくら勝ち組でも、それは続かない。仮に続いたとしても、再開発地区が栄えた分、ほかの地域がスラム化するだけだ。

 それでも、〈老朽木造建築物が密集している地区等において、細分化された敷地の統合、不燃化された共同建築物の建築、公園、広場、街路等の公共施設の整備等を行う〉という必要が本当にあるなら、まだ再開発の大義名分は立つ。

 しかし、民間業者の利益と、彼らに乗せられた地権者のエゴのために、再開発の必要がない地域が開発され、住み慣れた家に住みたいという、人としての当たり前にして最低限の願いが踏みにじられるとしたらどうだろうか。

「白金1丁目東部中地区」で、再開発を望む地権者たちの井戸端会議では、「どっちの人はどれだけ利益を得るとか、こっちの坪単価はいくらだとか、そんな話ばかり」だという。それが実態であるなら、港区は、「住民の生活向上や福祉の増進」に利するように、業者や賛成派を導かなければいけないはずなのに、一緒になって再開発の推進に前のめりになっているのだから情けなさすぎる。

 こうした再開発には、人口減少社会における持続可能性がまるでない。それなのに強引に進めようとする民間の業者と、人を犠牲にしても自分の利益を優先する地権者、彼らを調整するどころか、むしろつけ上がらせる自治体は、日本人の精神の劣化の象徴でもあるといえよう。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部