葬儀の場で「火葬されてかわいそう」 改宗した友人が放った言葉に一同ドン引き

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弔いの場において、どのような作法で故人を送るかは、その家の宗教観や故人の意思が尊重されるべきだろう。投稿を寄せた東北地方の30代男性は、地元の友人の葬儀で遭遇した、あまりに配慮に欠ける同級生の振る舞いを振り返った。

「亡くなった友人は仏教徒なので葬式は仏教式だったのと、私も一応仏教徒なので数珠など一般的な葬儀の装いで行ったのですが…」

同行した友人の一人が、成人後にキリスト教に改宗していたことが波乱の始まりだった。(文:長田コウ)

「燃やされたら何も残らないじゃん」

その友人は、服装こそ一般的であったものの、手には数珠ではなくロザリオを携えていたという。それだけなら個人の信念といえるが、葬儀が進むにつれ、周囲が困惑する事態となった。

「読経や焼香等に参列者も参加しますが、キリスト教徒の友人は『キリスト教では他教の宗教行為を行うのは許されていない』と言ってそれらには参加しませんでした」

その友人はキリスト教の中でも極端なグループに所属していたのだろうか。男性は「観光で神社にお参りする外国人はどうなるのだろう」と疑問を抱きつつも、宗教の話はデリケートなため、その場は特に触れずにいたという。信仰は自由だが、焼香という弔いの作法を頑なに拒む姿は、周囲の目には違和感として映っただろう。それなら最初から参列しないほうが無難ではある。

本当に男性を驚愕させる出来事は、葬儀の後に起きた。久しぶりに顔を合わせた同級生たちで居酒屋に入り、亡くなった友人を偲んで献杯していた時のことだ。

「キリスト教の友人が『しかしあいつ(亡くなった友人)は死んだら火葬されてかわいそうだよな。キリスト教なら最後の審判で復活できるから土葬が普通なのに、燃やされたら何も残らないじゃん』と言いました」

その後も、「キリスト教だとこういう時はこうする」と持論を展開していった友人。男性は、当時をこう振り返っている。

「他教では何にしても考え方が違うので仕方ないかもしれませんが、少なくとも友人を悼む場でそのように違う宗教観の話をするのは違うのではないかと思い、その場にいた私含め友人達をドン引きさせました」

キリスト教の教えは本来、他者への慈しみを重んじるはずだ。だが、この友人の言動は教義以前に、人間関係における思いやりが欠けているのではないだろうか。

結局、この友人は「ファッション感覚で改宗したのではないか」とまで疑われる始末。男性はそれ以来、積極的に連絡を取るのをやめたという。

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