イラスト/岡田喜之

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日常が大きく変化するいま、「どこで誰と何をして生きていくか」という話題は、多くの人に共通するテーマに発展したように思います。

知らない街の景色を思い浮かべてみたり、そこに生きる人々の温度を感じたりすることは、これからの生き方を考える、ひとつのヒントになるのかもしれません。

この連載「あの人と街の記憶」では、さまざまな表現者が、思い入れのある街と、そこで出会った人との思い出やエピソードを私的に綴ります。第4回目は、音楽家の高城晶平さん。子を追いかける親の視点から見える街、一人の個人として見える街、子ども時代に見えた街の姿について。

■一人の個人として路上に佇むとき、街は本当の姿で私たちの前に現れるのかもしれない

私は二歳のわが子の背中を追っかけ回している。放っておくとどこまでもスタスタ歩いていってしまうミニ四駆みたいな男の子だ。彼の危なっかしい軌道に集中力を注いでいると、時々、私の視野はピンホールカメラのように四隅が暗く、狭くなる。そんなとき、私の胸の片隅にある拭い難い感覚が根を下ろすーー退屈だ。

日々成長していく子どもたちとの時間は、そのすべてが貴重でかけがえないものなのだと、たしかに思う。それでもなお、退屈を感じずにいられない私は、どこかおかしいのだろうか。子どもっていくら見ていても飽きないですよね、なんて言うパパ友の前では、考えることも憚られるようなこの疼き。

ところが、ひょんなことであっさりこの感覚から解放されることもある。例えばベビーカーの上で子どもが疲れて寝てしまえば、次の瞬間にはもう退屈の靄が晴れていたりする。すると、それまで見逃していた風景のディテールがだんだんはっきりと見えてくる。本屋の海外文学コーナーが、古着屋が、喫茶店が、レコード屋が、おもむろに目の前に現れる。たくさんの可能性を伴って、街が本当の姿を現す。子によってマスキングされていた感覚が、突如として戻ってくる。なんて言うと、子どもを邪魔者扱いしているようで気が引けるが、自分のコンディション次第で街の見え方が異なるのはたしかだ。

一方で、自分の子ども時代を思い出してみると、街の存在を覆い隠しているのはむしろ親のほうだったように思う。親につき従って歩いているとき、街は単なる背景に過ぎない。けれども、親と別行動をとるようになった途端、街はにわかに輝き始める。ついでに小遣いなんかもらった日には、どっと非日常が脳内に流れ込んできて、万能感で街のすべてが自分のものになったような気になってしまうだろう。

親であることや子であることから解き放たれて、一人の個人として路上に佇むとき、街は本当の姿で私たちの前に現れるのかもしれない。

■大阪・中百舌鳥のとんかつ屋で、突拍子もない考えが私の頭を巡り始めた

私の母方の祖母は大阪の中百舌鳥(なかもず)という地域のとある団地に一人で暮らしていた。小学校高学年くらいまでよく訪れたが、年老いた祖母の地味な暮らしに歩調を合わせるのは子どもにとって恐ろしく退屈なもので、いつ東京に帰るのかと親に伺ってよく咎められた。

団地では祖母と同じ階に住んでいた「ゆうくん」という男の子とよく遊んだが、最後に会った13歳くらいの頃には彼のヘアスタイルがエヴァの加持リョウジになっていて、どこか内向的で会話も弾まなくなっていた。町に関しては、まったくと言っていいほど何も記憶に残っていない。そんなわけで、7〜8年前だったろうか、仕事で大阪を訪れた際、ふと中百舌鳥に行ってみようという気になった。

初めて一人で降り立った中百舌鳥の町は、なんの変哲もないものの、子ども時代の印象とはだいぶ違っていた。当たり前だが、本屋があり、居酒屋があり、人がいる。それらがアクチュアルなものとして自分に語りかけてくる。前述の通り、街というのは、個人として向き合えばそれ相応に姿をさらしてくれるものなのだ。