「魂が欠如している」政権交代は奏功しなかったマドリーの現状にレジェンドが苦言「アルベロアはスター選手に対して寛容すぎた」【現地発】
しかし、結果は伴わなかった。指揮官は権威を失い、選手たちは疑惑の目を向けられ、サンティアゴ・ベルナベウのスタンドは苛立ちに包まれた。ワールドクラスのタレントを揃えながら、ロッカールームの求心力が低下し続ける中で、監督交代という劇薬は当初からその効力を失っていたのだ。
一方で、分析に値するのは、感情と政治の狭間に位置する彼のマネジメントだ。アルベロアはスター選手に対してあまりに寛容すぎた。それは彼らの自宅では歓迎される振る舞いだろうが、戦場であるピッチの上では仇となり得る。審判を非難し、主力を甘やかすことでクラブへの忠誠を示したが、その代償は大きかった。
馴れ合いから真の権威は生まれない。彼の語り口は、危機の最中にあってさえ弛緩しており、伝統に縋ることでエネルギーを得ようとするかのようだった。今のマドリーが必要としている「火」が欠けていたのだ。チームは、その伝説にはあるまじき欠陥を引きずっている。多くの試合で、マドリーの魂が欠如していた。
クラブには、ペレスという絶対的な権威がある。それは制度上の権力の象徴だ。構造的な意味で重要であり、確かな遺産となるだろう。誰が支配者かを知ることは、秩序の構築に寄与する。
だが、その影響力はロッカールームの扉に阻まれている。そこには今、カリスマで集団を牽引する存在がいない。近年の監督たちは、クラブ自身の手によって弱体化させられるという自滅的な力学の中で、孤立を深めてきた。エリートフットボールの世界では「認識」こそが決定打であり、選手たちは指揮官の強弱を瞬時に見抜いてしまう。
選手たちもまた、その空白を埋めることはできなかった。ヴィニシウスは外部との戦いに没頭し、そもそもリーダーの器ではない。カルバハルはピッチ上での存在感を失い、その影響力は減退した。
クルトワ、ミリトン、バルベルデ、ベリンガム、エムバペ...。いずれも偉大なスターではあるが、彼らは情緒的なリーダーというより、技術的なリーダーにとどまっている。かつてのセルヒオ・ラモスやラウール・ゴンサレスのように、周囲を従わせる圧倒的なオーラが欠けている。
平穏な時期であれば、こうした綻びは見過ごされる。だが、マドリーは今、あらゆる危機の母体である「結果の危機」の渦中にある。それは歪んだスカッドと、歴史以外に実体のない曖昧なアイデンティティによって加速している。中盤の支配力を取り戻すには、判断力のあるミッドフィールダーが不可欠だ。
そしてロッカールームの統治を取り戻すために、クラブはおそらく、ペレスが好む独裁的な指揮官に再び頼るだろう。嵐の中の避難所となるような人物だ。だが、その手のモデルは往々にして短命であり、クラブの歴史において持続的な成功を収めた例は少ない。
秩序を重んじ、確かな実績を持つ監督像への賭けは、シャビ・アロンソの解任によって既に潰えている。欧州中が羨む中で着任した彼は、記録的な速さでマドリーという怪物に食いつぶされた。「今日勝たなければならない」という文化的悪癖は、もはやこのクラブの不可避の律法なのだ。
