羽生結弦氏が右足関節靭帯損傷によりNHK杯欠場となるも、次会える機会にさらなるチカラを注げるよう元気に回復を待ちますの巻。
遠くで頑張る人からも「光」は受け取れる!
いやー……残念な報せが飛び込んできました。今月のNHK杯に出場を予定していた羽生結弦氏が右足靭帯損傷の怪我により、大会を欠場すると発表されたのです。この先どうなるかは不透明ですが、大阪で開催されるグランプリファイナルへの出場も厳しくなってきました。今季は上手くすれば3試合、日本に居ながら羽生氏の試合を見られるのではないかと思っていましたが、「3」はないことが確実となりました。そんなウマい話は、ないのです。
↓まずは怪我をしっかり治してください!
フィギュアスケート 羽生結弦 右足のけがでNHK杯欠場 #nhk_news https://t.co/ho0nZYqXb0
- NHKニュース (@nhk_news) November 4, 2021
好事魔多しとはこのことでしょうか。春風吹くような上昇気流に乗って、少し僕自身も浮つくような気持ちの秋でした。NHK杯を前にこぼれる言葉の端々には、確かな自信と予感がありました。おそらく4回転アクセルへの道が見えたのだろう、そう受け止めていました。それは「どうすればできるのか」という段階ではなく「こうすればできる」が見えたのだろうと。なので、少し先に掲載される予定の記事などでも、「NHK杯でのいきなりの4回転アクセル成功もあるのではないか」と先走ってしまったほど。
その予感を追いかけるようにNHK杯の見どころ動画では「4回転半をしっかりNHK杯で決めたいという気持ちが一番大きい」という本人コメントが発表されました。4回転アクセルについて、できないときはできないと言ってきた人が、「しっかりNHK杯で決めたい」と時を指定して言い切った。これはもう予感が確信に変わったと思いました。推測でしかありませんが、羽生氏の言葉が誠実であることに全幅の信頼を寄せるなら、「おぬし、非公式に決めておるな?」と思いました。偶然決まるのではなく、「しっかり」やらねばと思うほどの手応えがあるのだと。
少し有頂天になりました。
これはもう地球が大騒ぎでしょうと。
だからこその「好事、魔多し」なわけですが。
しかし、これはもう致し方ないことだと思っています。フィギュアスケーターにとって避けては通れないものでありますが、羽生氏の右足首は常に故障の危機と隣り合わせです。捻挫はすでに癖になっているとも言いますし、平昌五輪前の大きな怪我も拍車をかけたでしょう。4回転アクセルを跳べば、その右足で何度も着氷することになります。練習中のジャンプでは、フワッとシュタッと降りることなどできるはずもなく、何度もひねり、何度もこらえ、大きな負荷をかけてきたはずです。
もちろん、跳ばなければ怪我はしないわけですが、それは「生きる」なのかな?と思います。自分がこの生命とこの肉体を使って何をしたいのか。それが「4回転アクセルを跳ぶことだ」と言うのなら、やるしかないでしょう。これまで以上の怪我の危険もあるかもしれませんが、過去の経験と知識を総動員して、より困難なチャレンジをできるだけ安全に遂行できるよう努めるしかないのです。
その結果、怪我をしたとしても、それはもう致し方ないことです。世界の誰より本人が望んでいる夢のため、しっかり怪我を治して、また頑張れるように祈るしかありません。そして、その挑戦をキラキラした目で待つしかありません。怪我と聞けばズキッと胸も痛みますし、目の前で見られる機会を逸したことに寂しさも覚えますが、これまで見た以上に喜ぶ顔を見られるとしたら、きっとその夢の瞬間でしょう。その瞬間を共に迎えたい、それがコチラが望む「夢」です。跳ぶ人、待つ人、気持ちは同じ方向を向いているはずです。
羽生結弦選手 「4回転半ジャンプ しっかり決めたい」 #nhk_news https://t.co/hd8PFgmR3b
- NHKニュース (@nhk_news) October 22, 2021
本人コメントを読むと、ここまでの道のりへの自信と、まだ衰えることのない意欲と、心配をかけまいとする心遣いとが感じられて、こんなときではありますが前向きな気持ちになります。
まず、「たった一度の転倒で、怪我をしてしまい、とても悔しく思っています」の一節には、野放図に転倒を重ねていたわけではないんだよという、成功への確かな手応えが垣間見えます。たとえば一日に100回も200回も転倒していれば「そりゃいつか怪我しますわな」という話ですが、その危険は十分に抑制されていたのでしょう。
跳ぶこと自体も上手くなり、危険を回避する術も磨いて、しっかり練習できていた。だからこそ、「たった一度」とあえて言いたくなるような悔しさにもつながるはずです。無茶を重ねたのではなく、しっかりとリスクをコントロールできていたからこそ、たった一度の転倒でプランが崩れてしまったことへの大きな悔しさが生まれるのです。「できるはずだったから悔しい」のだろうと思います。
それでも「ここまで、最善の方法を探し、考えながら練習してこられたと思っています」という過程への自信と、「今回の怪我からも、また何かを得られるよう、考えて、できることに全力で取り組みます」という改善への意欲が羽生氏の言葉からはあふれています。怪我はありましたが、これまでの道のりに後悔も手抜かりもなかったし、これから先の道を目指す意欲もあるのです。
「次に怪我をしたら」を想像するとき、悪いほうの可能性としては「もう滑れない」あるいは「もう滑らない」というものも思い浮かべてきました。それは現実的にゼロとは言えない話ですし、夢を目指す以上覚悟をしておかなければならないことでした。「ずっと元気でいて欲しいから、夢を諦めて」とは言えないのです。
スポーツ選手の家族は得てしてこういう気持ちなのかもしれません。だから、ボクシング選手の家族が「殴られる仕事なんて止めて」とは言えない代わりに「ちゃんと帰ってきて」と約束させるような気持ちで、もっと悪い可能性はちゃんと回避して帰ってきてくれたことを安堵しようと思うのです。「お帰りなさい」と。
復帰への道筋はすでにコメント内に具体的に書かれていますし、そこは平昌で「経験済み」という自負もあるでしょう。日頃の応援への感謝と、「皆さまの応援の力をいただきながら、さらに進化できるように、頑張ります」という言葉は、まだこの夢はつづくのだという何よりの宣言です。応援して欲しいと言ってくれている。待ってろよ、と。
「自信はあります」
「意欲もあります」
「乞うご期待」
3行にまとめればこういう話なのですから、返事は「はい!」でいいのです。見ている側が思い悩んでも仕方ないですし、心乱れれば余計な心配をさせてしまうでしょう。元気に楽しく暮らしながら、散歩の目的地に怪我平癒にご利益があると評判の神社を加えるくらいの、穏やかな気を届けていきたいもの。
この2年近いコロナ禍で学んだのは、ギリギリまで尽力し、尽力及ばないときは気持ちよく諦め、次の機会にさらなるチカラを注ぐ、というストップ&ゴーでした。1本の矢が折れても、次の矢を即座につがえるような立ち直りの早さでした。残念ではありますが、気持ちを切り替えて次の機会に備えたいと思います。
遠くで誰かが頑張っている。痛みに耐えて頑張っている。そうやって想像することもまた、自分のなかの「光」となるものです。頑張っている人に負けないように、できることを一つずつ頑張って、頑張った同士で次の機会を迎えたいもの。「3」がなくなり「1」になったとしたら、そのときは「3倍」のチカラを注いで挽回できるような自分でありたいものですね!
↓そう、たとえば3倍のチカラで荷物をカバンに押し込める人のように!
カバンが小さい!荷物が多い!
ならば従来の3倍のチカラで押し込めばいい!
(※大きいカバンを買うのではなく)
全日本で会う!4Aを記録するために次の公式戦へ進む!それを待ちます!
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