開幕戦の相手は静岡学園。4-3-3のセンターフォワードとして出場した彼は、ずっと憧れていたグリーンのユニホームに対し、持ち前のスピードと突破力、そしてシュートセンスを爆発させた。静学相手に4人抜きのドリブルシュートでのゴールを含め、2ゴールの活躍を見せ、3-2で勝利を収めると、チームはそこから破竹の8連勝。藤本も第4節の浜松開誠館高戦、第7節の四日市中央工高戦でともに2ゴールを叩き出すなど好調を維持。まさに堰を切ったかのようにブレイクを迎えたエースは、すぐに強豪大学の目に留まった。

「レギュラーを取れたと思ったら、4連勝した直後にいきなり鹿屋体育大から声をかけてもらったんです。僕は福岡出身なので鹿屋の強さはずっと知っていたし、『行けたらいいな』と思っていた大学の1つでした。それで練習に参加したら『来てほしい』と言われたので、すぐに決めました」

 右の遠野大弥(現・アビスパ福岡)と真ん中の藤本で形成される藤枝明誠の3トップの破壊力の凄まじさはさらに増し、選手権予選では1次トーナメントから勝ち上がると、準決勝で静岡学園、決勝で浜松開誠館を下して7年ぶり2回目の選手権出場を手にした。選手権では初戦敗退となったが、藤本は静岡で大きく成長して九州に戻ってきた。
 
 鹿屋体育大では1年時から出番を得た。2年になるとエースストライカーとして前期リーグ戦で得点王に輝くなど一気に頭角を現わしたが、夏に人生で初となる大怪我に見舞われた。総理大臣杯2回戦の早稲田大戦で右膝の半月板を損傷。それでも後半アディショナルタイムに値千金の同点弾、延長戦では決勝弾を叩き込んで勝利に貢献したが、大会後に離脱を強いられることになった。

 リハビリを含め、復帰までかかった時間は8か月。ここまでの長期離脱は初めてだったが、この間の取り組みが奏功し、復帰後はさらなる進化を遂げることになった。

「リハビリ中は自分の身体をより自由に思いのまま動かせるように、コーディネーション系のトレーニングを集中してやりました」。その結果、復帰後はより自分の意図する身体操作ができるようになり、ドリブルのキレも増した。同時に復帰後、チームのフォーメーションが4-4-2から3-4-2-1に変わり、藤本は2トップの一角から2シャドーの一角にポジションチェンジしたことも大きかった。

「1列下がったことで、新しい自分が見つかりました。FWも全然問題なくやれていたのですが、最前線だと『間で前向きにボールを受ける』ことがあまりないんです。僕は足もとでボールを受けてどうにかするタイプなので、間で受けるとプレーの選択肢が一気に広がるんです。細かいタッチで素早く前を向いて、ドリブルなのかパスなのか、リターンを受けにいくのか判断しやすくなる。これに気づいたことで、よりいい状態でボールを受けるために、常に周りを見ないといけないし、FWの動きを生かすためのポジショニングなどを考えるようになりました」

 FWで足もとにボールを受けるシチュエーションはどうしても後ろ向きだったり、DFに寄せられている状況が多い。そうなるとトラップをしてから前を向かねばならなかったり、ドリブルで剥がさないといけないシチュエーションが多くなる。だが、シャドーをやることで相手のディフェンスラインと中盤の間で前向きにボールを受けることができる。視野を確保した状態でボールを受ければ、彼ほどの一瞬のスピードと技術を持った選手であれば、選択肢がいくらでも湧いてくる。

「分かりやすく言うと、『後出しジャンケン』ができるようになったんです。相手が近づいてきたらシンプルに叩いてまたもらい直せばいいし、相手が来なかったらドリブルで運んで、アクションをさせてその裏を取る。もちろんそれまでも駆け引きはしていたし、相手を見てやってはいたのですが、FWの時は対峙する相手しか見ていなかった。シャドーになって対峙する相手だけではなく、その背後やそばにいる2人目、3人目の選手がどう動いて、何を警戒しているのかが見えるようになったんです。そうなるとプレーの選択肢の幅も判断力も磨かれて行くのが分かるし、どんどん自分の引き出しが増えて行く感覚になるんです。特にFWにはポストも裏抜けもできる根本凌(湘南ベルマーレ内定)がいるので、彼の特徴を生かすプレーを考えるようになりましたし、そうすることで逆に自分の得意とする『点を取るプレー』が出しやすくなったんです。周りの特性を活かすことで、自分の特性が生きるという経験が自分の中で物凄く大きな発見でした。大学2年まで『味方の上がりを待つ』なんて考え方は一切ありませんでしたから(笑)」