見えない敵が存在するのではないかと不安になる今こそ噛み締めたい、「圧倒的に勝つ」を有言実行してきた羽生結弦氏の心意気の巻。
「圧倒的に勝つ」の心意気!
羽生結弦氏が優勝したフィギュアスケートオータムクラシックでのこと。羽生氏がフリープログラム「Origin」で跳んだ4回転トゥループなど3つのジャンプに回転不足が指摘されたことで、いろいろな反応がわきおこっています。羽生氏本人としても、そこまで指摘されるような感触はないジャンプだったということもあって、判定に対する不服の声は一層高まろうかという気配さえも。
↓本人も「あれで刺さるの?」という反応ですが、「あまり深く考えてない」と泰然自若!
まぁ、結論としては「気にしてもしょうがない」だと思います!
回転不足だったのかどうだったのかという点については「わからない」としか言いようがありません。映像はいくつかありますが、最大3人の技術審判…テクニカル・パネルが見ていた映像がどんなものであるかはわかりませんし、技術審判が何をもって判定するかも素人目線ではわかりません。自分が見た映像から、自分なりの感覚で私見を述べるなら確かに厳しいとは思います。同時に、その「厳しさ」に刺される感じのものでもあると思います。
羽生氏のジャンプの美しさの一端として、誰にでも通じる理想形…滑る軌道に沿ってクリーンに離氷し、そこからキッチリと回転しきったうえで、余裕を持ってクリーンに着氷する「正当性」のようなものが挙げられるでしょう。「4回まわる」と言ったときに、空中で4回まわる正しさを備えたジャンプを羽生氏はしている。
それは必ずしも全選手に対して要求されているものではありません。判定としての線引きは、多少足りていなくても90度未満の不足であればOKですよということ。ルールの隙間を突くならば、「跳ぶ前にちょっと多めに回っておいてもいいですよね!」「キッチリ4回まわらなくても3+4分の3回転すればOKなんですよね!」という解釈も可能です。
今回の羽生氏のジャンプに関して言えば、ルールの範囲で「足りている」と認定することは十分に可能でしょう。大会によってはビデオを見返すこともなく緑ランプが点くようなジャンプです。一方で、「羽生結弦のジャンプ」として見たときに最高の1本とは言えないものだったとも思います。
羽生氏にしては珍しく着氷後に軌道に乗っていく様子が中継映像の角度では見受けられます。これも中継の画質では本当に氷に着いたタイミングが見づらかったり、ほかの選手に比して着氷後の動きが大きいというほどでもないので私見でしかないのですが、羽生氏にしては余裕がなかったのかなと思います。今季は回転不足の減点を緩和するかわりに判定自体は厳しくするという話も聞こえてきていますし、アピールのために「あえて狙う」とかはさすがにないにしても裁く側の意識も高まっていたのでしょう。今後もどこまで徹底されるかは不透明ですが、「そういう感じでいくのか」という学びではあったと思います。
↓ISUテクニカル・スペシャリストの岡崎さんも回転不足については「ふーん」くらいの反応で、むしろステップアウトのほうに文字数を割く状態!
刺されると「わかったのは収穫」というまとめ!
判定に正確さであったり、説明を求めたいという気持ちはいろいろなスポーツで出てくる話です。競技によっては「チャレンジ」という形で、異議申し立てをすることもあり、判定が訂正されることもあります。そういった仕組みを作っていくことはよいことだと思いますし、見る側もやる側も納得感が高まる仕組みだろうと思います。理想的には機械で判定できればよいですし、そうでなくてもより高精細な映像をみんなで共有し、納得できる仕組みはほしい。技術審判が見ている映像をスローで流し、離氷・着氷にラインでも引けばより納得感は増すでしょう。
とは言え、すぐにはできないこともあるわけで、「誰かの目」に依る部分が残るのは仕方ないこと。プロ野球でも毎日のように「今の投球はストライクだ」「いーやボールだ」という話が出ますし、映像を見返すと「クソボールやないけ…」と思う投球にストライクコールされたり、「またお前か…」というおなじみのクソ審判がおなじみのクソ判定をしていることもあります。この審判はとにかく外角に甘いとか、スイングに厳しいとかの傾向もあります。どれだけクソをクソと言い重ねても何故か是正されないことへの苛立ちは「ジャンパイア」(※巨人に勝たせるための偏向審判)などの蔑称も生み出しました。
オータムクラシックのレフェリー・技術審判の「アメリカ、アメリカ、メキシコ、カナダ」という顔ぶれや、演技審判7人のうち日本のジャッジ以外がおしなべて低いPCSを掲示しているあたりに、「北米による羽生氏潰しだな!」と勘繰る人も出るでしょうし、実際に過去にはそうした採点が明るみに出たのもフィギュアスケートの歴史の一部ではあります。そういう歴史を紐解いて、不安になる向きはあるでしょう。「ジャンパイア」かもしれない、と。
しかし、そうした歴史を持つフィギュアスケートにおいて、誰も難癖をつけることができない技術と美しさで歴史を作ってきたのが羽生結弦その人です。「どんな価値観の人が見ても美しいと感じられるように」「圧倒的に勝ちたい」といった羽生氏の言葉は、過去の歴史のはるか先へと向かう意志です。高難度のプログラムと完璧な実施。難癖をつけようと思って構えている人にすらぐうの音も出ない美しさを示し、その美しさで心を溶かす…そういった領域を目指すのであると。
ジャンプの回転について言えば、僕の感覚では「4回転」と言ったら「1440度ピッタリ」だけがOKです。多くても少なくても「ズレ」です。もちろんそれはルールとは関係ない僕の「お気持ち」ですので守る必要などないのですが、羽生氏はそれをやれる数少ない理想の選手です。それは内村航平さんの微動だにしない着地のようなもの。「足を一歩動かしたかどうか」の減点ラインではなく、手も身体もピクリともせず、マットに吸い付くように静かに降りる、あの美しさ。
羽生氏にはルールがどうであったとしても理想を追求し、永久不滅の美しさを遺していく選手であってほしい、そう思います。「微動だにしない着地」は未来永劫美しいでしょうが、減点されない範囲でヨロヨロしているのは時代とともに美しさを損なっていくでしょう。世界と技術が進歩するなかで、美しいと認定される範囲はより限定されていくものですから。どれだけ時間が経っても変わらない美しさ、それは「採点基準云々」「90度云々」のラインでの戦いではないはずです。
「推し」がもう少し弱い選手であれば、ジャンパイアとも必死に戦うのかもしれませんが、心配することもないというか、ジャンパイアごときでどうこうできる選手ではないというか、あまり「心配」とか「不安」とかいう感情はわいてこないのが正直なところ。どれほどのジャンパイアであっても、場外ホームランを「アウト!」とはコールできないものです。「ギリ」の場面でしか仕事をできない、所詮はジャンパイアとは隙間産業。そんなものに負ける次元の選手ではないし、たとえ自分だけがジャンパイアに狙われたとしても「圧倒的に勝つ」ことができるはず。そういう高みにいる選手です。
その意味では、まぁ気にせず次に向かうのがよいでしょう。ステップアウトしたことも含めて完璧ではなかったのですから、引きつづき求める完璧へと向かって進んでいくだけです。自分自身の感覚が悪くないなら、気にするほどのことでもありません。五輪で金2回、旧得点でのエターナル世界記録、そして何よりも数々の大会で見せてきた「勝ったな」という圧倒的な演技は、偏向判定などで否定できるものではありません。この選手を傷つけることは、もう誰にでもできないのです。
「見えない敵」と戦うよりも、確かに存在する自分自身と戦うべき。
「本当にきれいなの跳んでやるからな。見とけ世界!」、そんな意気込みで!
「これが本当のOKなんだ」と世界に知らしめる、そんな見本であれ!
羽生結弦氏が優勝したフィギュアスケートオータムクラシックでのこと。羽生氏がフリープログラム「Origin」で跳んだ4回転トゥループなど3つのジャンプに回転不足が指摘されたことで、いろいろな反応がわきおこっています。羽生氏本人としても、そこまで指摘されるような感触はないジャンプだったということもあって、判定に対する不服の声は一層高まろうかという気配さえも。
羽生結弦と一問一答 悔しさ込め「いいジャンプが跳べてナンボ」「(右足に)ありがとう」 https://t.co/uhLg5t8T95
- スポニチアネックス (@sponichiannex) September 14, 2019
まぁ、結論としては「気にしてもしょうがない」だと思います!
人が人を裁くときにはこういうこともつきものです!
回転不足だったのかどうだったのかという点については「わからない」としか言いようがありません。映像はいくつかありますが、最大3人の技術審判…テクニカル・パネルが見ていた映像がどんなものであるかはわかりませんし、技術審判が何をもって判定するかも素人目線ではわかりません。自分が見た映像から、自分なりの感覚で私見を述べるなら確かに厳しいとは思います。同時に、その「厳しさ」に刺される感じのものでもあると思います。
羽生氏のジャンプの美しさの一端として、誰にでも通じる理想形…滑る軌道に沿ってクリーンに離氷し、そこからキッチリと回転しきったうえで、余裕を持ってクリーンに着氷する「正当性」のようなものが挙げられるでしょう。「4回まわる」と言ったときに、空中で4回まわる正しさを備えたジャンプを羽生氏はしている。
それは必ずしも全選手に対して要求されているものではありません。判定としての線引きは、多少足りていなくても90度未満の不足であればOKですよということ。ルールの隙間を突くならば、「跳ぶ前にちょっと多めに回っておいてもいいですよね!」「キッチリ4回まわらなくても3+4分の3回転すればOKなんですよね!」という解釈も可能です。
今回の羽生氏のジャンプに関して言えば、ルールの範囲で「足りている」と認定することは十分に可能でしょう。大会によってはビデオを見返すこともなく緑ランプが点くようなジャンプです。一方で、「羽生結弦のジャンプ」として見たときに最高の1本とは言えないものだったとも思います。
羽生氏にしては珍しく着氷後に軌道に乗っていく様子が中継映像の角度では見受けられます。これも中継の画質では本当に氷に着いたタイミングが見づらかったり、ほかの選手に比して着氷後の動きが大きいというほどでもないので私見でしかないのですが、羽生氏にしては余裕がなかったのかなと思います。今季は回転不足の減点を緩和するかわりに判定自体は厳しくするという話も聞こえてきていますし、アピールのために「あえて狙う」とかはさすがにないにしても裁く側の意識も高まっていたのでしょう。今後もどこまで徹底されるかは不透明ですが、「そういう感じでいくのか」という学びではあったと思います。
↓ISUテクニカル・スペシャリストの岡崎さんも回転不足については「ふーん」くらいの反応で、むしろステップアウトのほうに文字数を割く状態!
【岡崎真の目】羽生、着氷時かかとに重心乗りすぎ もったいなかった冒頭4回転 https://t.co/GZe1u5zUIx
- スポニチ記者ツイート スポーツ (@sponichisports) September 15, 2019
刺されると「わかったのは収穫」というまとめ!
それよりも直せるミスを直しましょうという話!
判定に正確さであったり、説明を求めたいという気持ちはいろいろなスポーツで出てくる話です。競技によっては「チャレンジ」という形で、異議申し立てをすることもあり、判定が訂正されることもあります。そういった仕組みを作っていくことはよいことだと思いますし、見る側もやる側も納得感が高まる仕組みだろうと思います。理想的には機械で判定できればよいですし、そうでなくてもより高精細な映像をみんなで共有し、納得できる仕組みはほしい。技術審判が見ている映像をスローで流し、離氷・着氷にラインでも引けばより納得感は増すでしょう。
とは言え、すぐにはできないこともあるわけで、「誰かの目」に依る部分が残るのは仕方ないこと。プロ野球でも毎日のように「今の投球はストライクだ」「いーやボールだ」という話が出ますし、映像を見返すと「クソボールやないけ…」と思う投球にストライクコールされたり、「またお前か…」というおなじみのクソ審判がおなじみのクソ判定をしていることもあります。この審判はとにかく外角に甘いとか、スイングに厳しいとかの傾向もあります。どれだけクソをクソと言い重ねても何故か是正されないことへの苛立ちは「ジャンパイア」(※巨人に勝たせるための偏向審判)などの蔑称も生み出しました。
オータムクラシックのレフェリー・技術審判の「アメリカ、アメリカ、メキシコ、カナダ」という顔ぶれや、演技審判7人のうち日本のジャッジ以外がおしなべて低いPCSを掲示しているあたりに、「北米による羽生氏潰しだな!」と勘繰る人も出るでしょうし、実際に過去にはそうした採点が明るみに出たのもフィギュアスケートの歴史の一部ではあります。そういう歴史を紐解いて、不安になる向きはあるでしょう。「ジャンパイア」かもしれない、と。
しかし、そうした歴史を持つフィギュアスケートにおいて、誰も難癖をつけることができない技術と美しさで歴史を作ってきたのが羽生結弦その人です。「どんな価値観の人が見ても美しいと感じられるように」「圧倒的に勝ちたい」といった羽生氏の言葉は、過去の歴史のはるか先へと向かう意志です。高難度のプログラムと完璧な実施。難癖をつけようと思って構えている人にすらぐうの音も出ない美しさを示し、その美しさで心を溶かす…そういった領域を目指すのであると。
ジャンプの回転について言えば、僕の感覚では「4回転」と言ったら「1440度ピッタリ」だけがOKです。多くても少なくても「ズレ」です。もちろんそれはルールとは関係ない僕の「お気持ち」ですので守る必要などないのですが、羽生氏はそれをやれる数少ない理想の選手です。それは内村航平さんの微動だにしない着地のようなもの。「足を一歩動かしたかどうか」の減点ラインではなく、手も身体もピクリともせず、マットに吸い付くように静かに降りる、あの美しさ。
羽生氏にはルールがどうであったとしても理想を追求し、永久不滅の美しさを遺していく選手であってほしい、そう思います。「微動だにしない着地」は未来永劫美しいでしょうが、減点されない範囲でヨロヨロしているのは時代とともに美しさを損なっていくでしょう。世界と技術が進歩するなかで、美しいと認定される範囲はより限定されていくものですから。どれだけ時間が経っても変わらない美しさ、それは「採点基準云々」「90度云々」のラインでの戦いではないはずです。
「推し」がもう少し弱い選手であれば、ジャンパイアとも必死に戦うのかもしれませんが、心配することもないというか、ジャンパイアごときでどうこうできる選手ではないというか、あまり「心配」とか「不安」とかいう感情はわいてこないのが正直なところ。どれほどのジャンパイアであっても、場外ホームランを「アウト!」とはコールできないものです。「ギリ」の場面でしか仕事をできない、所詮はジャンパイアとは隙間産業。そんなものに負ける次元の選手ではないし、たとえ自分だけがジャンパイアに狙われたとしても「圧倒的に勝つ」ことができるはず。そういう高みにいる選手です。
その意味では、まぁ気にせず次に向かうのがよいでしょう。ステップアウトしたことも含めて完璧ではなかったのですから、引きつづき求める完璧へと向かって進んでいくだけです。自分自身の感覚が悪くないなら、気にするほどのことでもありません。五輪で金2回、旧得点でのエターナル世界記録、そして何よりも数々の大会で見せてきた「勝ったな」という圧倒的な演技は、偏向判定などで否定できるものではありません。この選手を傷つけることは、もう誰にでもできないのです。
「見えない敵」と戦うよりも、確かに存在する自分自身と戦うべき。
誰かに勝つことであれば、もう2回もやりました。敵はそこじゃない。
自分を超えれば、そのボールは場外まで飛んでいって、誰も叩き落とすことはできなくなります。
「本当にきれいなの跳んでやるからな。見とけ世界!」、そんな意気込みで!
「これが本当のOKなんだ」と世界に知らしめる、そんな見本であれ!
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