Octane Japan

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かつてフィリップ・トルシエは、ピッチの上で緻密な戦術を編み上げる指揮者であった。だがいま、彼が向き合うのは芝生ではなく葡萄畑である。来日したトルシエ氏は、自身がフランスで手がけるワイン造りについて、静かな情熱をもって語った。

「サッカーもワインも、本質は同じです」
その言葉は自然に口をついて出たというより、長年の経験から滲み出た実感そのものだった。トルシエ氏にとってワイン造りは単なるセカンドキャリアではない。農家の家庭に育った彼にとって、それは原点への回帰でもある。「土に戻る感覚ですね。親の仕事へのリスペクトもあります」と語る。



彼がワイナリーを構えるのはボルドー、サンテミリオン。小規模ながら、自らの意思を強く反映したワインを生み出している。ブランドには”3-4-3”という数字が刻まれているが、それは監督時代に最も愛したフォーメーションであり、同時にトルシエ氏の哲学の象徴でもある。

「チームを作ることと、ワインを作ることは似ています。素材があり、時間があり、そしてバランスがある」
葡萄の品種、ブレンドの比率、熟成の選択。そのすべては戦術のように組み立てられる。しかし最終的な結果は、天候や自然条件という制御不能な要素に委ねられる。「完璧に準備しても結果は読めない。だからこそ面白い」という言葉には、勝敗が明確な厳しいスポーツと向き合い続けた指導者としての感覚がそのまま重なる。



彼にとってワインは、勝利の祝杯であると同時に、敗戦を受け止める時間の伴走者でもあった。
「勝っても負けても、試合の夜は必ずスタッフと一杯飲む。それが大事なのです」。そのひとときにこそ、人と人との距離が縮まり、次への力が生まれるという。

今回のイベントでは、ワインとマカロン、ショコラとのペアリングも披露された。一見異なる領域のようでいて、トルシエ氏はそこにも明確な共通点を見出す。
「トップレベルの世界では、皆が職人です。素材から始まり、時間をかけ、バランスを取る」
繊細な甘味を引き出す白ワイン、重なり合う味覚の層。それはまるで、ピッチ上で連動する選手たちのようでもある。



印象的だったのは、彼がワインを分析的に語るよりも、むしろ体験として捉えている点だ。
「誰と飲むか、どこで飲むか。それで味は変わる」
さらに彼は続ける。
「一本のワインにはストーリーがある。それを感じてほしい」
土地、気候、人、時間が織りなす物語を味わうこと。それがワインの本質だという。

「まだ10年です。これは冒険の始まりにすぎない」
そう語るトルシエ氏の視線には、かつての監督と同じ緊張感と好奇心が宿っているようにも見えた。「何年のワインが最も気に入っていますか?」という私の問いに対してはさらに饒舌に、「2017年はすごく面白くなっていると思います。ただし私はワインの醍醐味は誰とどんな局面で楽しむか、それは昼なのか、夜なのか。冬なのか、春なのか夏なのか。本当にもうそれ次第に味が変わってくると思っています。一般的にワインが成熟するには 6 〜7年が掛かるので、今ならば2016年あたりのヴィンテージはお勧めします。でも2019年もすごく良かったので、、、。どのワインも本当に時間が経つに連れて想像できなかった結果が出てくることもあります」と言葉が途切れることがない。それほど自身のワイン作りに対する愛が深いということか。

新たなヴィンテージ、新たな挑戦、新たな出会い。彼にとってワイン造りは終わりのない試合であり続ける。ピッチは変わったが、”チームを率いる者”としての本質は変わらない。その哲学は、いまグラスの中で静かに息づいている。

サッカー日本代表監督時代にフィリップ・トルシエ氏の通訳兼アシスタントを務めたフローラン・ダバディ氏同席で、トークは終始とても愉快で明るい雰囲気に包まれていた。

2025年10月末にピエールエルメ青山にて、ヤナセが主催する「EXTRA TIME - フィリップ・トルシエ × ピエール・エルメ・パリ -」にて、ワイン、スイーツ、そしてトークを楽しむ特別な時間を楽しんだ思い出として。



文・写真:堀江史朗(オクタン日本版) Words and Photography: Shiro HORIE (Octane Japan)