「なんで俺の酒が飲めねーんだよ!」と札束を投げつけブチ切れる客が…36歳の元セクシー女優経営者がとった行動とは? から続く

 フィリピンで高級ラウンジをはじめ、多数の事業を手掛ける小澤マリアさん。事業開始の際は日本で貯めたお金をすべて事業に注ぎ込み、貯金0の状態から再スタートを切ったが、2、3年で事業は軌道にのったという。

【画像】 2005年にデビュー、2010年に引退…インタビューに応じるいまの小澤マリアさんを写真で見る

 遠い異国の地で、成功した要因の一つは、“小澤マリア”という名前がすでにフィリピンに知れ渡っていたことだと語る小澤さん。しかし、文字通り裸一貫からその地位を築くまでには様々な苦労があったという。彼女はなぜセクシー女優という道を選び、どのような思いで仕事をしてきたのだろうか――。

◆◆◆


 

――そもそも、セクシー女優になろうと思ったのは、何かきっかけがあったんでしょうか?

小澤マリア(以下、小澤) デビューのきっかけは、キャバクラで働いていた時に、AVの仕事と掛け持ちでやってるお姉さん方がたくさんいて、いろいろと話を聞いていたんです。当時はデビューしたら、撮影でグアムやらハワイやらが当たり前みたいな感じで、当時18歳だった私は“夢ありすぎだろ”って思ったんですよね。

 あと、モデルとかやって人気がなくなって徐々に脱がされるくらいなら、最初にバッと脱いで、一回有名になってから仕事していったほうが絶対に楽だなと思ったんですよ。

――18歳でその考えにいたった理由は何ですか?

小澤 私は極度のさみしがり屋なので、1人になりたくないっていうのがすごいあったんです。常に誰かしらと何かをやっていたい、注目されたいって。それをどうやって継続していくかって考えたら、AVに出て人気になるのが手っ取り早いなって。

 それに当時は飯島愛さんとかが“神”みたいな存在で、彼女が出ているテレビとか私もすごく観ていましたし、蒼井そらちゃんとかも中国で成功していたので、自分ももしかしたらできるかもみたいな思いがあったんですよね。

「向こうのイベントって、終わった後に必ずボスたちとの会食があって…」

――とはいえ、AVの世界で人気になるのもかなり難しいことだと思います。

小澤 そうなんですよね。そこは18歳だったので、何もわかっていなかったと思います。ただ、ラッキーだったんですが、当時はハーフの女優さんって全然いなかったんですよ。それがよかったんじゃない?って当時のマネージャーさんとか事務所の社長さんに言われました。あと、英語がしゃべれたのも大きかったと思います。中国とか台湾のイベントが優先的に回ってきていたんで。

 お酒が強いのも役立ちましたね。向こうのイベントって、終わった後に必ずイベントを主催したクラブのボスたちとの会食があって、みんなベロンベロンになるまで飲むんですよ。そこで、白酒っていうアルコール度数が80度くらいある酒を“乾杯”“乾杯”って一気飲みしていくんです。

 一緒にいったマネージャーとかは“もう無理”ってなってたんですが、私は極度の負けず嫌いなんで、気合いで飲み干し続けたんです。途中から、お酒がチョコレートの味みたいになってきましたが……(笑)。

 でも、“女でそんなに飲めるのはいないよ”ってボスたちにすごい気に入ってもらえて、定期的にイベントに呼んでくれるようになったんです。

「これで一晩どう?」と300万円くらいの札束がドン!と…

――AVのお仕事にイベントと大忙しだったと思いますが、お給料の方もかなりあったのでは?

小澤 MAXの月収は300万くらいあったと思います。一回、インドネシアの富豪に、300万円くらいの札束ドンってつまれて、“これで一晩どう?”って言われたこともありましたけど、さすがにそれは怖かったので、丁重にお断りしました。

デビュー後、雑誌のグラビアで速攻で親バレし…

――セクシー女優を続けていくモチベーションはなにかあったんですか?

小澤 最初は、家族を見返してやりたいって気持ちでしたね。デビューが決まってフライデーさんにグラビアが載ったんですが、それが速攻で親にバレて、本当に“二度と家の敷居をまたぐな”って感じになって。

 元々、母親とは反りが合わなくて、喧嘩ばっかりしてたんですが、AVデビューは最後のダメ押しで、縁を切られました。今となれば親の気持ちもわかりますよ。娘がいきなりAVデビューするなんて、普通大反対するだろって思います。でも、当時は母親への反抗心からか、“絶対有名になって見返してやる!”って。その一心でしたね。

「あんなやつと友達だったなんて恥ずかしい」

――セクシー女優という仕事を快く思ってくれる人ばかりではないですよね。

小澤 AVの仕事って陰口をめちゃくちゃ言われるんですよ。デビュー前から付き合いがある仲いい友達とかに、“恥ずかしい。あんなやつと友達だったなんて”とか言われたこともあります。“なんだよそれ”ってメンタルにきました。

 でも、その人のせいで私が落ち込んでも、私は何も得しないんですよ。だから、もうそういうやつら全員見返してやるってプラスの気持ちに変えてましたね。

――よほど意志を強くもっておかないと、途中で折れてしまいそうです。

小澤 私は周りの意見は聞かないようにしてるんです。もちろん、周囲のアドバイスを参考にすることもありますが、意見を聞けば聞くほど、いろんな考えが生まれてきちゃうので、自分が“これ!”と思ったら、周りになんと言われようが、自分を信じて突き進むしかないんですよ。そういう気持ちの強さを維持していくのは、ナチュラルにうまかったかもしれないですね。

『特命係長』出演で「感動しましたね」

――小澤さんは、デビューした年にAVメーカーの最優秀新人賞を受賞されました。そこで気持ちの変化とかはありましたか?

小澤 ありましたね。あと、『特命係長 只野仁』に出させてもらっていたんですけど、自分の姿をテレビで見たときは、私の名前が世の中に出たんだなって感動しました。その頃から、“見返してやる”っていう気持ちが、“もっといろんな人に知ってもらいたい”“もっと有名になりたい”っていう気持ちに変わったと思います。

 あと、みんながみんな離れていったわけではなかったんですよね。応援してくれる友達もいましたし、その人たちをがっかりさせたくないなって思いも強かったです。

 その時の思いが今のモチベーションにもなっていて、フィリピンでの事業も成功させることができたので、やっぱり、周りになんて言われようと自分が信じた道を突き進んでよかったなと思います。

写真=文藝春秋/佐藤亘

「今、海外で経営者やってるんだよ」36歳元セクシー女優が“絶縁”状態の母に数年ぶりの電話…返ってきた“震える言葉” へ続く

(味道苑)