6月の逃亡犯条例改定案に端を発した香港の大規模デモは、10月23日に立法会で正式に改定案の撤回が決まった後も依然として続いている。デモ隊と警察の衝突も実弾での発砲、マスク禁止条例が緊急発動されるなどエスカレートし、11月に入ってついに死者も出てしまった。香港デモの現状と意味、過去の同様な事態との比較などを、香港の現代史をテーマにした『13・67』(文藝春秋)で2017年「週刊文春ミステリーベスト10」第1位を獲得したミステリー作家・陳浩基さんに聞いた。

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「黒い服を着ていると、いろいろと問題が起こります(笑)」

――6月9日に始まった香港の反政府デモは100日を経過した現在も沈静化の兆しが見えません(インタビューは9月26日に行われた)。デモ発生以降、陳さんの日常生活になにか変化はありますか。


陳浩基さん ©玉田誠

陳 いまのところ、私自身の生活にはたいした変化はありませんが、土曜日と日曜日は外出ができません。街中のいろいろな場所でデモが発生するので、政府が突然地下鉄の駅を閉鎖してしまいます。デモに巻き込まれるかどうかの心配よりも先に、目的地や家に辿り着くことができるかどうかを考えなくてはいけないのです。

 9月に入ってからも、土曜日の夕方6時から誠品書店でイベントが予定されていたのですが、その日は銅鑼灣でデモがあり地下鉄の駅も封鎖されたので、私たち出演者もお客さんも会場に行けないだろうと判断され、イベントは延期になりました。結局、この日は誠品書店も早仕舞いになったそうです。

 あと、黒い服を着ていると、いろいろと問題が起こります(笑)。デモ隊の人たちは黒服を着ているので、うっかり黒服で出かけると警察から無差別に標的にされます。

 これがいまの香港の現状です。実際に自分の身に危険が迫ったり、不自由な思いをしているわけではないのですが、新聞には連日気が滅入るような記事が躍っていますので、気分は落ち着きません。デモが始まってからの日々の変化というのは決して大きいものではないのですが、だんだんと雰囲気が変わっていっているというふうに感じています。

Amazonでの購入品の中身を調べられた

――8月に陳さんがガスマスクを購入したというツイートをご自分のTwitterにアップされて、日本でも陳さんは大丈夫なんだろうかという声が上がりました。いまのところ危ない目に合うようなことはないと思っていいのでしょうか。

陳 私がいま住んでいるあたりは平穏ですが、いつか状況が変わって危険なことが起こるかもしれないという心配はあります。例えば、太古城(タイクーシン)という香港島の北東部にある高級住宅街でデモ隊と警察の衝突があり、友人のこどもが催涙ガスで怪我をしました。今の香港では、どんな場所でも突発的にこういった事態が起こりうるということです。

――この太古城のお友だちの事件をきっかけにガスマスクを購入したとツイートしてましたね。しかも、Amazonで購入したガスマスクが家に届いた時にはパッケージが半分開封されていて、どうやら配送の途中で中身を調べられたようだと。「もしかしたら要監視対象のリストに載せられたかもしれない」と呟いていました。

陳 これも現在の香港の日常生活です。警察にしてみても、あらゆる場所でデモが突発的に起こるので、誰も彼も監視対象に見えてしまうわけです。

――6月のデモには香港の全人口の7分の1に当たる人数が参加したと言われていますね。

陳 もちろん参加しない人も大勢いますが、そういう人の中でもデモの参加者を支持する人が多いと思います。年配の人たちの中にはデモに反対する人もいますが、若い世代はデモを支持していますね。

1967年や2014年と較べて2019年のデモはどう違うか?

――陳さんは『13・67』で香港の現代史を描きました。物語の起点として描かれたのは(時系列が逆転した構成ですので作中では第6話に当たりますが)、1967年の反英暴動です。

陳 1967年は中国で文化大革命が始まった翌年です。文革に触発された香港市民が英国の植民地支配に反対する大規模デモ、左派反英暴動を起こしました。香港警察は暴動の鎮圧に尽力したことで英国の女王エリザベス二世から「ロイヤル(皇家)」の称号を与えられ、皇家香港警察(ロイヤル・ホンコンポリス)が誕生しました。

――現在とは左右正反対の図式だったわけですね。『13・67』は1967年から1997年の香港返還を挟んで、雨傘革命の前年2013年までが描かれています。1967年や2014年と較べて2019年のデモはどう違いますか?

陳 一言で言えば、いまはもっと「ヤバい」です。いまは1967年当時と違ってインターネットの時代です。ネット上では様々な流言蜚語やフェイクニュースが飛び交っていて、なにが真実なのか誰にも本当のことがわからないのです。

 また、2014年の雨傘革命の時は市民対香港政府という構図ではありましたが、政府側が直接的に民衆の意見を聞く機会もあったので、そこには対話が存在しました。現在は市民の側にもはっきりとした組織がなく、みんなネットを見て三々五々集まってくるので政府側としても誰と対話したらいいのかわからないし、市民側も政府側もネット上の不確かな情報に惑わされて疑心暗鬼になってしまい、まったく対話が成立しないんです。

 また、雨傘の時は取締る側の警察の中にも、市民の側に立ってデモを支持するという動きもあったのですが、いまは完全に政府側になってしまって、市民対警察という構図になってしまっています。

事態を難しくしている理由は

――警察が市民と権力との間で板挟みになるという、陳さんが『13・67』で描いた状況がまたしても現実のものとなりました。しかも今回は警察とデモ隊との対立が非常に先鋭化しています。なぜこんなことになってしまったのでしょうか?

陳 事態を難しくしているのは、今回の騒動においてはっきりとした問題点、あるいはその答えというものが見えていないということがあると思います。

 そもそも逃亡犯条例改正のきっかけになったのは、香港人の学生カップルが台湾旅行中に男性が女性を殺害し、香港に戻った後で逮捕されたという事件です。殺人は台湾で行われたため香港の刑法では殺人罪で訴追することはできず、また香港と台湾の間には犯人を引き渡す条約がなかったため、犯人は女性のキャッシュカードでお金をおろした窃盗罪で香港で訴追され、殺人については罪を問われませんでした。

 これを受けて中国政府が香港政府に条例改正を働きかけたわけですが、香港の市民にしてみると自分たちとは関係のない一犯罪者が犯した罪で、自分たちの人権が侵害される恐れのある条例改正が降りかかってきた。さらにいつの間にか、自分たちの生活を脅かすような警察の暴力に晒されるはめになってしまった。そのことに対する怒りが大きいのです。

あらゆる情報の真偽が定かでない

――たしかに、逃亡犯条例改正案は廃案となったのに、市民側は「逃亡犯条例改正案の撤回」のほか「警察の暴力に関する独立調査委員会の設置」や「普通選挙の実現」などの「五大要求」を掲げて、デモは一向に収束する気配がありませんね。

陳 最近ネット上で、警察が殺人を犯し、それを自殺に見せかけたという情報が流れました。それも本当かどうかわかりません。あらゆる情報の真偽が定かでない。雨傘革命の時と違うのは、警察の暴力の激化とネットを介した流言蜚語がもたらす混乱ではないかと思います。

 雨傘の時はデモに主催団体があって、例えば参加者の人数などについても、どれだけ正確な数字かは別として主催者側からアナウンスがありました。いまはSNSを介して「何時にどこどこへ集合」という情報だけが流れて、終われば三々五々解散。誰も人数をカウントしていないので正しい数字は誰にもわからないのです。

デモの中心人物が見当たらない

――ネットを利用した組織が見えないデモというのは、デモを仕掛ける側の戦略的な手段なんでしょうか? なまじはっきりした組織があると、取締る側もその中心人物を捕まえればデモを抑えられますよね。

陳 それは実際のところ、中心人物がいるのかいないのかわからないので、戦略かどうかもはっきりしません(笑)。香港政府としても、中心人物がいたら捕まえたいけれど、見当たらないので手の打ちようがないというのが実際のところだと思います。

 私は集団心理を利用した犯罪を描いた日本映画「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」を思い出しました(笑)。

――文善さんも『逆向誘拐』の中で、誘拐の身代金の引渡しトリックにネットを使った集団心理操作を用いていましたね。(文善氏は2013年に『逆向誘拐』で第3回島田荘司推理小説賞を受賞)

文善 じつは『逆向誘拐』は去年、香港で映画になったのですが、最近になって現在の香港の状況を予見した作品だとSNSで評判になって、上映される機会が増えているんです。

――文善さんは1997年の香港返還を機にご家族でカナダへ移住されました。国外で暮らす香港人の立場から、今回の事態をどう見ていますか。

文善 カナダへ移民した香港人も多くはデモを支持しています。香港同様、年配の人に中には反対する人もいますが、若い世代ほどデモ支持派は多いと思います。

 じつは先日、トロントで香港のデモを応援するイベントを開催しようという動きがあったのですが、中国系の人たちが反対してイベントは実現しませんでした。カナダには中国から来ている人たちもたくさんいるんです。

今後の推移、そして結末は

陳 いま警察は強大な権力と強力な武器を持っていますが、それでも人数という面では市民の方が圧倒的に多いわけです。これまで警察はだいたい1400人の市民を逮捕したと言われていますが、ネットでは「政府は香港には2000人の暴力的な市民がいて、その2000人を逮捕すればデモは収まると思っている」という説が流れています。これもあくまで噂で、「2000人」という数の根拠も不明です。

――謎の「2000人説」ですね。政府サイドか市民側か、いったいどういう人がこういう情報を流しているんでしょう。

陳 そういえば先日、文春オンラインに立法会議員の田北辰氏のインタビューが載っていましたね。

 田氏は中立的親中派といった立場の人で、「G2000」というユニクロのようなアパレルブランドの創業者でもあります。私がいま着ている服もG2000で買いました(笑)。

 田氏も警察の人員の少なさに言及していました。また、デモに参加している人たちの中に、「数百から1000人の極端に暴力的な人々がいる」とも。

――最初のデモからすでに100日以上が経過していますが、いまだに着地点が見えません。これから先、事態はどのように推移し、どのような結末を迎えるとお考えですか。

陳 先行きを予測するのは本当に難しいですね。ただ、11月24日に区議会議員選挙があり、来年には立法院総選挙があります。この二つの選挙でどのような結果が出るかが、今後の香港の行方を左右することになると思います。私も注視したいと思っています。

(2019年9月26日 台湾台北市にて)

(陳 浩基)