R・マドリーの大エースだったラウール(右)。酒井氏(左)に気さくに声を掛けてくれたという。

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『ワールドサッカーダイジェスト』では、日本人で初めてR・マドリーのスポーツマネジメントMBAコースに合格し、卒業後にクラブのフロントスタッフに採用された酒井浩之氏に、欧州サッカーにまつわるこぼれ話やウラ話を語ってもらう連載を掲載中だ。その第2回はマドリーで関わった人々について、貴重なエピソードを伺った。その一部をウェブ版として紹介する。
 
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 私が通っていたマドリーの大学院の校長を務めていたのが、クラブのレジェンドであるエミリオ・ブトラゲーニョです。
 
 とにかく紳士的な人です。クラブのアンバサダーも務めていて、マイクの前に立つ機会も多いのですが、余計なことはいっさい言わない。だから敵を作らない。
 
 マドリーのスタッフになってから、クラブオフィスで顔を合わせると、「元気でやってるか?」「しっかり頼むぞ」とよく声を掛けてくれました。短い言葉でも、あのオーラで言われると、こっちは背筋が伸びましたよね(笑)。
 MBAコースでは、約2週間のニューヨーク研修がありました。スタジアムなどの施設を見たり、ニューヨーク・レッドブルズと共同でカンファレンスを開いたりするんです。そこで出会ったのが、ラウールです。当時はラ・リーガの大使としてニューヨークに住んでいました。
 
 彼は500人ほどが集まるカンファレンスに登壇する予定だったのですが、その直前に日本人がいると知って呼び出され、そこで初めて対面しました。
 
 何でも、ラウールには強烈に記憶に刻まれているゴールが2つあって、ひとつがプロになって初めての得点(1995年11月のアトレティコ・マドリー戦)、もうひとつが98年のトヨタカップ(ヴァスコ戦)で決めた決勝点なんだそうです。絶妙のトラップからディフェンダーを次々にかわして決めた、あのゴールです。その時の話をされたので、「実は僕もゴール裏で観戦していました」と伝えました。
 
 カンファレンスの講演が終わると、出席者から、「サッカー人生でもっとも印象に残っているゴールは?」という質問が出ました。
 
 するとラウールは、一番前に座っている僕にウインクして、「今日はその国からもアミーゴが来ている。実は日本で決めたゴールなんだ」と言ってくれたんです。
 
 その後しばらくして、ラウールはアンバサダーのひとりとして、クラブに復帰しました。ニューヨークでの一件も覚えていてくれて、顔を合わせると声を掛けてくれました。エミリオと同じく気さくな人です。