R・マドリーの大エースだったラウール(右)。酒井氏(左)に気さくに声を掛けてくれたという。

写真拡大

『ワールドサッカーダイジェスト』では、日本人で初めてR・マドリーのスポーツマネジメントMBAコースに合格し、卒業後にクラブのフロントスタッフに採用された酒井浩之氏に、欧州サッカーにまつわるこぼれ話やウラ話を語ってもらう連載を掲載中だ。その第2回はマドリーで関わった人々について、貴重なエピソードを伺った。その一部をウェブ版として紹介する。
 
――◇◇――◇◇――◇◇――◇◇――
 
 私が通っていたマドリーの大学院の校長を務めていたのが、クラブのレジェンドであるエミリオ・ブトラゲーニョです。
 
 とにかく紳士的な人です。クラブのアンバサダーも務めていて、マイクの前に立つ機会も多いのですが、余計なことはいっさい言わない。だから敵を作らない。
 
 マドリーのスタッフになってから、クラブオフィスで顔を合わせると、「元気でやってるか?」「しっかり頼むぞ」とよく声を掛けてくれました。短い言葉でも、あのオーラで言われると、こっちは背筋が伸びましたよね(笑)。
 MBAコースでは、約2週間のニューヨーク研修がありました。スタジアムなどの施設を見たり、ニューヨーク・レッドブルズと共同でカンファレンスを開いたりするんです。そこで出会ったのが、ラウールです。当時はラ・リーガの大使としてニューヨークに住んでいました。
 
 彼は500人ほどが集まるカンファレンスに登壇する予定だったのですが、その直前に日本人がいると知って呼び出され、そこで初めて対面しました。
 
 何でも、ラウールには強烈に記憶に刻まれているゴールが2つあって、ひとつがプロになって初めての得点(1995年11月のアトレティコ・マドリー戦)、もうひとつが98年のトヨタカップ(ヴァスコ戦)で決めた決勝点なんだそうです。絶妙のトラップからディフェンダーを次々にかわして決めた、あのゴールです。その時の話をされたので、「実は僕もゴール裏で観戦していました」と伝えました。
 
 カンファレンスの講演が終わると、出席者から、「サッカー人生でもっとも印象に残っているゴールは?」という質問が出ました。
 
 するとラウールは、一番前に座っている僕にウインクして、「今日はその国からもアミーゴが来ている。実は日本で決めたゴールなんだ」と言ってくれたんです。
 
 その後しばらくして、ラウールはアンバサダーのひとりとして、クラブに復帰しました。ニューヨークでの一件も覚えていてくれて、顔を合わせると声を掛けてくれました。エミリオと同じく気さくな人です。
 
 僕がマドリーを退職する日の夕方、ラウールがわざわざデスクまで来て、コーヒーに誘ってくれたんです。そこで掛けられた言葉は、いまでも忘れられません。
 
「ヒロ、結果がすべてだぞ。現役の頃、シュートミスをしたのにたまたま相手や身体のどこかに当たって入ったゴールがいくつもあった。それでも、1点は1点だ。何年かしたら、どんなゴールだったかなんて誰も覚えていない。ラウール=1得点という記録が残るだけだ。とにかく結果が大切なんだ。大変だと思うけど、頑張れよ。何かあったら連絡してこい」
 
 あのスーパースターからそう言われたら、「頑張ります!」と答えるしかないですよね。
 
●取材・構成:江國森(ワールドサッカーダイジェスト編集部)

※『ワールドサッカーダイジェスト』10月4日号より転載

酒井浩之のプロフィール
広告代理店やスポーツブランドでの勤務を経て、2015年3月にレアル・マドリーのスポーツマネジメントMBAコースに日本人として初めて合格。卒業後、同クラブの職員に採用され、マーケティングを担当する。17年7月に退団し、現在は日本を拠点にスポーツビジネスを展開中。1979年愛知県生まれの神奈川県育ち。