【プレイバック’16】橋が落ち、熊本城も崩落…わずか28時間で二度の「震度7」が襲った熊本地震

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「ゴリッ」という音とともに大きな揺れが

10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックをいまふたたびふり返る【プレイバック・フライデー】。今回は10年前の’16年5月6日号『M7.3熊本地震は「次の恐怖の始まりなのか」』を取り上げる。

‘16年4月14日午後9時26分、熊本県熊本地方でM6.5、同県益城町で震度7を記録する大きな地震が発生。翌15日夕方の時点で死者9名、停電1万2300戸、断水8万500戸という大きな被害となった。しかし、そのわずか28時間後にさらに大きな被害を出すことになった「本震」が熊本を襲ったのだ──(《》内の記述は過去記事より引用、肩書は当時のもの)。


現地で「本震」を体験した本誌記者は記事で地震発生時の様子を次のように伝えた。

《4月16日午前1時25分、熊本市内のホテルで寝ていた本誌記者は、突き上げられるような強い衝撃で目を覚ました。次の瞬間、「ゴリッ」という音とともに大きな揺れが襲ってきた。テーブルに置いていた缶コーヒーや棚の上の30インチほどのテレビなどが次々と落ちてきた。

揺れがおさまり、非常階段でロビーまで下りると、天井から水が噴き出していた。建物の貯水タンクが破裂したようで、ロビーのとなりの食堂からは滝のような水音が響いていた》

一夜が明けた熊本市内は、商店街のいたるところで看板が落ち、あちこちにガレキが散乱。熊本城では重要文化財に指定されていた2つの櫓が土台の石垣ごと崩落し、日本一と名高いソープ『ブルーシャトー』は建物こそ崩壊を免れたものの、店内の鏡など多くの備品が破損した。

本誌記者は熊本市中心部から車で30分ほどの上益城(かみましき)郡益城町を取材すべく移動する。町は14日の地震ですでに大きな被害を受けており、二度目の地震により被害はさらに拡大、目を覆いたくなる惨状を呈していた。

《多くの家屋の1階部分がツブれ、信号機は傾き、一部の道路は数m陥没した。死者は20名。建物2000棟が損壊した。益城町からさらに車で40分ほどの南阿蘇村に向かう道も、あちこちがヒビ割れていた。村では多くの建物が土砂崩れに呑まれ、阿蘇大橋が崩落、村の中心部につながる道路が寸断されて、多くの被災者が孤立している。自宅の様子を見に戻ってきていた男性に話を聞いた。

「私は大丈夫だったんですが、家で寝ていた母が棚に押しツブされてケガをしてしまった。病院が停電で機能しておらず、痛み止めをもらえただけで入院はできなかったんです。避難所も満員で入れませんでした。母はまだアバラが3本折れたままですが、一緒に車の中で生活しています」》

熊本県では14日以降、震度1以上の地震が1週間で700回超に達し、19日夕方にも震度5強の地震が発生した。人々は終わりの見えない地震に不安を募らせるばかりだったのだ。

“活断層の不穏な活動”がもたらす不安

地震による被害は死者278人(直接死50人、災害関連死228人)、8667棟の住宅が全壊し、18万3882人が避難した。震災直後の避難所の混乱などから、死者の8割が災害関連死であった点が注目され、車中泊避難者のケアが課題となった。

16日の本震の発生後、地震が多発した地域は熊本市周辺から阿蘇地方へ、さらに大分県中部にまで150kmにおよんで帯状に拡大。気象庁は14日からの一連の地震活動を『平成28年熊本地震』と名づけた。地震活動は徐々に沈静化していったものの、1年後の’17年4月までに震度1以上の余震が約4000回も発生した。これは内陸型の地震としては新潟県中越地震の999回を大きく超えている。

同じ地点で震度7が2回、しかも最初の地震より2回目のほうが規模が大きい例は観測史上初めてであり、九州で震度7が観測されるのも初めてという特異な地震だった。

地震から10年が経ち、被災地の復興も進んだ。地震被害の象徴的な存在だった熊本城は’21年に天守閣と長塀が復旧。一時期は12万人まで落ち込んだ来園者も、地震前のレベル目前の142万人まで回復している。ただ、櫓や石垣の復旧はまだ終わっておらず、とくに石垣については10万個以上の石を積み直す必要があり、まだまだ長い月日を要するようだ。完全復旧は’52年度の予定だという。

熊本地震は熊本市南西に伸びる日奈久(ひなぐ)断層帯と布田川断層帯のずれによって発生したとみられる。地殻変動に詳しいある学者は、この地震によって、奈良県香芝市から愛媛県伊予市沖まで連なる中央構造線断層帯の活動に連動する可能性を指摘した。実際、1596年9月1日に、中央構造線断層帯の西に連なる大分県でM7.0の「慶長豊後地震」が発生。その4日後に、断層帯の東に連なる近畿地方でM7.5の「慶長伏見地震」が起きている。

さらに別の地震学者は、南海トラフ地震の前兆として、内陸の活断層の古傷にストレスがかかり、いくつかの活断層が地震を起こすだろうと以前から予測していた。その活断層が、熊本地震の原因となった日奈久断層帯であり、「中央構造線断層帯の紀伊半島の中央から西の和歌山市までのエリア」「奈良盆地の東縁断層帯」だった。その説を裏付けるかのように、’16年4月1日には中央構造線東端の和歌山県で最大震度4を記録する地震が発生していた。

熊本地震と南海トラフ地震に直接のかかわりはないとされる。しかし、先の地震学者が言った通り、活断層を原因とする地震の発生は、南海トラフ地震が近い証だともいわれている。前述の慶長豊後地震の発生から9年後に南海トラフを震源とする大地震「慶長地震」が起きた。

熊本地震から10年が経っても、次の大地震が明日にでも来る可能性があることを忘れてはならない。