田中碧、ミズノ『モレリア』契約時のマル秘エピソードを中村憲剛が明かす!「あとは君が決めるんだよ」

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日本だけでなく、世界中のフットボーラーたちに愛されているミズノの名スパイク『モレリア』。

ブラジル代表のカレカが1986年6月1日、このスパイクを履いて初めてワールドカップの舞台に立ったことから、ミズノは6月1日を「モレリアの日」と制定している。

そんな6月1日に、今年は「モレリアの日 中村憲剛氏 Mr.MORELIA トークイベント」が都内で開催された。

『モレリア』の生みの親であるミズノの安井敏恭氏とともに様々なトークが繰り広げ、モレリアファンの参加者たちを楽しませた中村氏。

イベント後の囲みでは、川崎フロンターレ時代のあるエピソードについても語ってくれた。

川崎フロンターレのアカデミーで育ち、トップチームで活躍。昨年は日本代表としてカタールワールドカップに出場した田中碧についてだ。

Jリーグのベストヤングプレーヤー賞を受賞した2019シーズンまで、チームのサプライヤーであるPumaのスパイクを履いていた田中(写真)。しかし、2020年のプレシーズンが始まると、田中はなんとミズノの『モレリア』を履いていたのである。

川崎で田中の師匠的存在であり、『モレリア』をこよなく愛する中村氏に今回、当時何かしらの“やり取り”があったのかぶつけてみたところ、以下のような答えが返ってきた。

「たしかに、もう時効ですからね。昔の話ですから。

(当時)かなり話はしましたね。相談もされました。(その中で)僕から薦めるにあたっては『悪い理由は何もない。あとは碧、君が決めるんだよ』と伝えました。

何が良いかはいっぱい言いましたし、実際に僕が履いていたり、大島僚太が履いている姿を彼は見ていたので、どういうスパイクかは見ればわかるよね?って。

あとは、自分に本当に必要かどうか、自分で決めなさいという話はしました。

それで、彼は(モレリアを)選んで、そのあとクゥーと(上がって)行ったので、そういうことかなと思います(笑)」

ちなみに、田中碧とミズノが実際にブランドアンバサダー契約を発表したのは、『モレリア』を履き始めてからしばらく経った2020年の8月。

中村氏が「時効」という表現を使ったのはそのあたりからだと思われる。

『モレリア』を履くようになった田中は、クラブだけでなく日本代表でも活躍。ワールドカップの舞台でゴールまで決めてみせた。

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現在はドイツのフォルトゥナ・デュッセルドルフでプレーする24歳の田中碧。彼はもちろんのこと、その足もとを支えるミズノの『モレリア』にも引き続き注目していきたい。