竹内結子さん(2005年撮影)/(C)日刊ゲンダイ

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 女優、竹内結子さん(享年40)の突然の訃報に、多くのタレントや芸能関係者から悲しみや戸惑いの声が上がっている。

竹内結子さん急死の謎 家庭と仕事の両立に金銭的な重圧も

 竹内さんは、26日の夜は家族で食卓を囲み、特に変わった様子はなく、夕食後は先に2階の寝室に向かった。その数時間後の27日午前2時ごろ、変わり果てた姿が夫で俳優の中林大樹(35)により発見された。

「あまりに突然の出来事に、残念ですとしか言いようがありません」と語るのは、作家でアイドル評論家の中森明夫氏だ。中森氏は96年、デビュー直後、16歳の竹内結子さんをいち早くインタビューしていた。

「当時地下鉄に乗っていたら、中吊り広告にひときわ目を引く短髪の美少女が載っていたんです。『大蔵省 関東財務局』の国有地販売の広告でした。目を凝らして見ても名前はどこにも入っていない。そこで大蔵省に電話して、彼女の名前を聞き出した。ウザがられましたけど」

 中森氏は当時、芸能誌「近代映画」で「中森アイドル応援隊」という連載を持っていた。

「スターダストに所属している新人ということがわかり、取材することになりました。担当マネジャーは“さすが中森さん、彼女は活動を始めたばかりで、これが芸能界に入って初めての取材ですよ”と驚いてましたね」

 竹内さんは、高校入学前の春休みに東京・原宿でスカウトされて、デビューしたばかりだった。

「清潔感があって、瞳の奥に強い意志を感じさせる子でした。会った瞬間にこの子はいいなと思いましたね。山口智子さんや豊川悦司さんが好きで、ドラマやCMに頑張っていきたいと、しっかりした口調で答えてくれました。“竹内結子という名前を多くの方に知ってもらえる存在になりたい”とも話していましたね」

 その後、竹内さんは、映画「イノセントワールド」でヒロインを務めるなど、女優として着実にステップアップしていった。

「20歳くらいの時に再会したのですが、初取材のことを覚えてくださっていて“当時はうれしくて、何冊も雑誌を買いましたよ”なんて話してくれましたね」

ゼロ年代に最も輝いた女優のひとり

 2000年代に入ると、彼女はさらに活躍の場を広げ、ドラマ「ランチの女王」(02年)で“月9”に初主演。さらに映画「黄泉がえり」(03年)などの話題作に数多く出演した。

「ゼロ年代に最も活躍した若手女優のひとりと言えるでしょう。さらにその後も年齢を重ね、役の幅も広がり、ますます脂が乗っていた。たくさんの可能性を秘めていた彼女のキャリアがここで突然、終わってしまったことは、本当に残念です。芸能界にとっても大きな損失だと思います。心よりご冥福をお祈りします」

 16歳の少女が語っていた「名前を覚えてもらいたい」という夢はしっかりと現実になっていたのだが……。悲しみの声は尽きることがない。

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