反町隆史

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7月クールにフジで放送

 反町隆史主演のドラマ「GTO」が、2026年7月期のカンテレ・フジテレビ系「月10」枠で、28年ぶりに連続ドラマとして復活することになった。1998年に放送された同作は、藤沢とおるの同名漫画を原作に、元暴走族の型破りな高校教師・鬼塚英吉が、学校や生徒たちの抱える問題に真正面からぶつかっていく学園ドラマである。【ラリー遠田/お笑い評論家】

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 1998年版は全12話の平均世帯視聴率が28.5%、最終回は35.7%を記録し、平成を代表する人気ドラマの1つだ。2024年にはスペシャルドラマ「GTOリバイバル」として一夜限りの復活を果たし、個人視聴率6.0%、コア視聴率5.4%という好成績を残した。その反響を受ける形で、今回は連続ドラマとして本格的に再始動することになる。

反町隆史

GTO」がかつて熱狂的に支持された最大の理由は、当時の反町隆史という俳優の存在感と、鬼塚英吉というキャラクターが奇跡的なほど一致していたからだ。90年代後半の反町隆史は、単に若者に人気の二枚目俳優だっただけではない。

 長身で精悍なルックス、低く荒っぽい声、どこか不良性を漂わせるたたずまいを持ちながら、同時に妙な清潔感もあった。乱暴だが下品ではない。ぶっきらぼうだが冷たくはない。世間のルールにおとなしく従うタイプではないが、人としての筋は通す。そういう反町のスター性が、そのまま鬼塚英吉という人物に流れ込んでいた。

 当時の「GTO」は、教師ドラマでありながら、教育論のドラマではなかった。鬼塚は、正しい教育理念を語る教師ではない。むしろ、学校制度の中では明らかに不適格な人物である。

 言葉遣いは乱暴で、行動は無茶苦茶で、社会人としての常識にも欠けている。しかし、彼には大人として決定的に重要なものがあった。それは、生徒を見捨てないということだ。

 相手が問題児でも、家庭に事情を抱えていても、教師を試すような態度を取っても、鬼塚はそこから逃げなかった。きれいな言葉で包み込むのではなく、自分の体を投げ出して相手の前に立った。そこに、当時の視聴者は強烈なカタルシスを感じた。

 バブル崩壊後の90年代後半の社会には閉塞感が漂っていた。学校現場ではいじめ、不登校、学級崩壊、管理教育への反発などが語られ、「援助交際」などの若者をめぐる問題が繰り返しメディアで取り上げられていた。

制度の外側から来た救済者

 鬼塚英吉は、制度が壊れかけている時代に現れた、制度の外側から来た救済者だった。彼は一般的な意味での優秀な教師ではない。むしろ、学校という場所に本来いてはいけない存在である。だからこそ、学校の内側にいる大人たちが見落としていたものを見抜くことができた。

 ルールを守ることよりも、その場で傷ついている人間を助けることを優先する。そこに「こんな先生がいてくれたら」という幻想が宿った。現実には危うい存在であっても、ドラマの中では、その危うさこそが魅力になった。

 現代に「GTO」が蘇る意義はそこにある。今の社会は、90年代よりもはるかに相互監視的な圧力が強い。誰かが一歩踏み外せば、すぐに批判され、炎上し、過去まで掘り返される。もちろん、それによって守られる人もいる。かつて見過ごされてきた暴力や差別が可視化されたことには意味がある。

 一方で、誰かに本気でかかわることのリスクは高くなった。間違えるかもしれない。誤解されるかもしれない。責任を問われるかもしれない。そう考えるうちに、大人たちは若者に深く踏み込まなくなっている。

 その時代に鬼塚英吉はどう振る舞うのか。ここが今回のドラマの最大の見どころである。かつてのように単純に無茶をすればいいわけではない。現代の鬼塚には、自分の古さや危うさを引き受けた上で、それでも1人の人間として生徒に対峙しようとする覚悟が求められる。

 昔の「GTO」は、管理社会への反抗のドラマだった。現代の「GTO」は、傷つけないことを恐れるあまり、誰にも深く踏み込めなくなった社会への問いかけになり得る。

 その意味で、今回の復活は、単なる人気ドラマの安易な再利用ではない。「昭和・平成的な熱血教師」を令和にどのように蘇らせるのか、というテレビドラマ全体にとっての重要な試みになる。

 熱が失われた社会が本当に幸福かと言えば、必ずしもそうとは言い切れない。距離を取ること、傷つけないこと、コンプライアンスを守ることは大切である。だが、それだけでは救えない孤独もある。「GTO」は、その領域に踏み込むことができる数少ない作品になる可能性がある。

 反町の演じる鬼塚英吉が支持されたのは、彼が完璧な教師だったからではない。むしろ、完璧からほど遠い人間だったからである。荒っぽく、危うく、間違いも多い。だが、人を見捨てない。その不器用な「教育」が視聴者の心をつかんだ。

 28年ぶりの連続ドラマ復活が注目されるのは、かつての人気作が帰ってくるからだけではない。あの時代に生まれた「不完全だが本気で人にかかわろうとする大人」という幻想が、今の時代にもう一度必要とされているからなのだ。

ラリー遠田(らりー・とおだ)
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)など著書多数。

デイリー新潮編集部