大谷翔平を封じた男がDeNAへ 長嶋、江川、松井を苦しめた“キラー”たちの記憶
DeNAが“大谷翔平キラー”を補強した。
後半戦での巻き返しを狙うチームが獲得したのは、ドミニカ共和国出身の右腕、オスバルド・ビドである。2023年から2025年にかけて大谷翔平と6打席対戦し、5打数無安打、3三振に封じた投手だ。【久保田龍雄/ライター】
【写真】阪神相手に1点差で敗れた「横浜DeNAベイスターズ」の選手たち
長嶋に「顔を見るのも嫌」と言わしめた男
最速156キロの速球と多彩な変化球を武器とし、メジャーでは通算69試合に登板して11勝を記録している。野球の世界では、特定のスターを封じることで強烈な印象を残す選手がいる。日本球界でも、過去に「○○キラー」と呼ばれた男たちは少なくない。

通算打率.305の巨人・長嶋茂雄を181打数35安打、8本塁打、26打点、打率.193に抑え、“長嶋キラー”と呼ばれた投手がいる。大洋のエース・平松政次である。
プロ2年目の1968年は、長嶋に8打数3安打、2本塁打と打ち込まれた。ところが翌1969年から魔球“カミソリシュート”を投げはじめると、両者の立場は一変する。
平松のシュートは、曲がる寸前までストレートに見える。右打者にとっては泣きどころであり、球界を代表する大打者とて例外ではなかった。
1970年は42打数8安打、2本塁打、打率.190。6度目の首位打者を獲得した翌1971年も、33打数7安打、1本塁打、打率.212に抑えられている。
1973年に控えの三塁手・富田勝が巨人へ移籍してくると、長嶋は大洋戦で平松先発とわかると「お前出てくれ」と頼んだという話も伝わっている。
実際、1974年7月9日の大洋戦では、長嶋は平松を回避する形でスタメン落ち。6回に柳田俊郎の左犠飛で1点差に追い上げ、なおも1死一、二塁の一打同点機に代打で登場したが、左飛に打ち取られている。
晩年の長嶋は、平松と対戦するとき、バットを長く持って構えながら、シュートが曲がる直前の0コンマ数秒のタイミングで短くずらす打法で対抗した。「巨人の四番打者が最初からバットを短く持つわけにいかない」という理由からだった。
ちなみに、この“バットずらし”の秘技を前出の柳田が習得しようと試みたが、「何度練習してもできなかった」という。長嶋ならではの“執念の結晶”と言えるだろう。
子供の頃から長嶋に憧れていた平松は「いつか長嶋さんがユニホームを脱いだ時に『平松は凄かった』ってイメージを持ってもらいたかった。苦しんだピッチャーほど覚えてもらえるんで、絶対、打たせられないと思いました」(えのきどいちろう著『本当は死ぬまで野球選手でいたかった』ベースボール・マガジン社)と闘志を燃やし、対戦時は他の打者の2倍集中力を高めたという。
それだけに、長嶋が漏らした「平松の顔を見るのも嫌だった」という言葉には、内心複雑な思いもあったようだ。
江川キラー
大学時代から“江川卓キラー”と呼ばれた選手がいる。中日・豊田誠佑である。
明治大3年だった1977年春、法政大1回戦に2番レフトで出場した豊田は、1学年上の江川から二塁打2本を含む4打数4安打を記録した。
1勝1敗で迎えた3回戦でも二塁打を含む4打数3安打と打ちまくり、江川を「どこへ投げても打たれました」と脱帽させた。明大3年春だけで江川から8打数7安打。“江川キラー”の異名は、この活躍によって決定的になった。
“昭和の怪物”から大学通算14打数8安打を記録した豊田は、中日入団後もキラーぶりを見せる。1981年6月2日の巨人戦では、チームが3安打に抑えられる中、豊田だけが二塁打2本を放った。
真骨頂とも言うべき一打が飛び出したのは、1982年9月28日の巨人戦だった。
8回を終わって2対6。近藤貞雄監督も「勝利の可能性は1、2パーセント」とあきらめかけた9回裏、先頭の代打で登場した豊田は、開幕後11打数1安打に抑えられていた江川からシーズン2本目となる左前安打を放ち、反撃の狼煙を上げる。
直後、中日は無死満塁から大島康徳の犠飛、宇野勝、中尾孝義の連続タイムリーで一気に6対6に追いつく。延長10回には大島のタイムリーでサヨナラ勝ち。2位ながら優勝マジック「12」が点灯し、奇跡の逆転Vへ突き進んだ。
球史に残る大逆転劇のきっかけを作った豊田は「なぜ打てるのかわからない。いい投手だと思う。でも、なぜか僕はタイミングが合うんです。ただ、他の打者を見てると高めのボール球を振って追い込まれている」と語っている。
プロでの通算成績は46打数11安打、2本塁打、打率.239。数字だけを見れば、それほど一方的にカモにしたわけではない。それでも、江川キラーは今でも豊田の代名詞になっている。
松井を13打数無安打に
“ゴジラキラー”の名をほしいままにしたのが、阪神・遠山奨志である。
松井秀喜が「顔も見たくない」とボヤくほど手こずった変則の左サイドは、実はイチロー対策の産物でもあった。
ロッテ時代の1994年、彗星のように現れた20歳の“安打製造機”に投手陣がことごとく打たれた。そこで「アイツだけは打ち取ってくれ」という八木沢荘六コーチの要望に応えるべく、遠山はフォームをサイドに変えた。すると、同年はイチローを4打数無安打に封じることに成功した。
それから5年後の1999年、今度はセ・リーグ屈指の強打者・松井を相手に、変則サイドが威力を発揮する。
同年は松井を13打数無安打に封じ込んだ。圧巻だったのは、6月13日の巨人戦である。
7回2死三塁のピンチで、前打者の石井浩郎を敬遠したあと、あえて松井との勝負を選んだ。そして「松井? 別に意識しなかったですよ」の大胆発言どおり、得意のシュートで空振り三振に仕留めた。
一方の松井は、この試合で4回に先制ソロを放ち、試合も4対1で勝利した。それでも「前の打者が敬遠されたのは記憶にない。(三振で)本塁打も吹っ飛んだ」と、まるで敗者のようなコメントを残している。
その後、松井は翌2000年6月18日、遠山との通算22打席目でバックスクリーンに初本塁打を記録し、「今日はいい酒が飲めそうです」と満面の笑みをたたえた。
キラーと呼ばれる選手にも、標的にされるスターにも、それぞれの意地がある。
特定の相手を徹底的に封じる投手。苦手を克服しようと工夫を重ねる打者。互いを強く意識しながら、全身全霊でぶつかり合うからこそ、名勝負は記憶に残る。
ビドが日本球界でどんな投球を見せるのかは、まだわからない。ただ、“大谷翔平キラー”という肩書きがあるだけで、見る側の想像はふくらむ。新たな「キラー伝説」がNPBで生まれるのか。後半戦のDeNAに、ひとつ楽しみな見どころが加わった。
久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘! 激突! 東都大学野球』(ビジネス社)
デイリー新潮編集部
