GG佐藤氏

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 まもなくワールドベースボールクラシック(WBC)が開幕する。侍ジャパンの優勝に期待が膨らむが、西武、ロッテで活躍した元プロ野球選手のGG佐藤氏(旧称G.G.佐藤。以下、佐藤氏)は、第二回WBCの前年に開かれた北京五輪(2008年)の代表メンバーだった。そんな佐藤氏、2014年の現役引退以降は、数々の難関資格に挑戦、見事に合格を手にしてきた。

 父が経営している会社で働き、かつ野球解説者としても多忙なスケジュールをこなす中で、どのように勉強に向き合い、難関を突破してきたのか。佐藤氏の試験に対するモチベーションや勉強に対する考え方について語ってもらった。(全3回のうち第1回)※2025年4月29日に配信した記事を再構成したものです。

GG佐藤氏

【写真】“ワクワクした気持ちで挑戦できる資格を取りたいです”と語るGG佐藤氏

ワクワクした気持ちで挑戦する

 佐藤氏は現役を退いた後、父の克彦さんが代表を務める(株)トラバースに入社し、敷地調査に関する業務に携わり、その傍らさまざまな資格を取得してきた。

 2017年に測量士補と2級土木施工管理の資格を取得したのを皮切りに、宅地建物取引士(2018年)、保育士(2019年)といった資格にも挑戦して見事に合格を掴み取った。だが、その後に挑んだ土地家屋調査士の試験では、合格に一歩及ばず……。

「2年間みっちり勉強して試験に臨みましたが、とにかく難しくて。『合格率9%は伊達じゃないな』と思いましたし、本気で勉強して臨んだので、結果を知った時には涙が止まりませんでした」

 挫折の悔しさを明かすのは佐藤氏ご本人である。

 佐藤氏は「キャリアを歩む際に必要となり、ワクワクした気持ちで挑戦できる資格を取るようにしている」と話すが、これまでに合格を手にした資格のジャンルは多彩だ。

 2019年には、「会社の事業内保育に関心を持っていたことや、保育士の資格を持つ元野球選手が周囲におらず、挑戦する面白さを感じたこと」を理由に、保育士の国家試験にも挑戦した。

 試験は教育に関する8科目の筆記試験と、2科目の実技試験によって合否が決められ、合格者は全体のわずか約20%という難関だ。佐藤氏は「これまでに馴染みがなかった知識も多く、勉強は大変だった」と話すが、それでも2年間の通信教育で勉強を続けた。

文武両道とは程遠い GG佐藤の学生時代

 本番の実技試験では「水遊びをしている子供たち」をテーマにした絵画や、教官3人の前で「おむすびころりん」の読み聞かせを披露。

「試験の前に“目の前に子供がいるつもりになって全力で読んでください”と言われまして。少し恥ずかしさはありました(笑)」と当時を振り返るが、それでも佐藤氏は見事に吉報を掴みとった。

 佐藤氏は、野球の強豪校として知られ、進学にも力を入れている桐蔭学園高校を卒業し、その後は法政大学に進んだ。とはいえ、そうした経歴とは対照的に、幼い頃は勉強に対する関心が薄く、あまり成績の良くない野球少年だったという。

「子供の頃に、僕の両親から“勉強しろ”と言われたことは一度もありませんでした。小・中学生の夏休みにはおそらく宿題も出されていましたが、僕は文字通りに“休むこと”を大切にしていて……(苦笑)。2学期が始まった頃にようやく宿題に手を付けて、なんとか9月中に提出するような感じだったと思います」

 勉強とは縁遠い学生だった佐藤氏が、人生で初めて勉強に向き合うことになったのは、高校受験が差し迫った中学3年生秋のことだった。

「僕の中学時代の成績は、3年の途中までは全教科の評定が2.0でした。でも、推薦で高校に進むためには、どうしても3.0以上必要で……。思い切って当時の担任に相談してみることにしたんです。すると先生は、テストに出る箇所を僕に教えてくださって、その箇所を何度も必死に暗記して、最後の試験に臨みました」

情熱を燃やせる目標を持つことが大切

 そして見事に目標をクリアした佐藤氏は、晴れて高校の推薦を勝ち取ることに。

「やると決めたことをやり遂げる力はありましたが、興味のないことは絶対にやらない。そこはこれまでの人生で一貫しています」と、自身の勉強に対するこだわりを振り返った。

 その後は桐蔭学園を経て、法政大学に進学するも、厚い選手層に阻まれてレギュラーポジションは奪えず。だが、それでもプロ野球選手になる夢を諦められなかった佐藤氏は、大学卒業後に海を渡り、アメリカの1Aでプレーを続けた。

「渡米前に3日間だけ学んだ」という英会話では、コミュニケーションもままならず。連日のバスを使った長距離移動や、ファーストフードばかりの食生活を続ける中で、捕手へのコンバートも経験するなど、これまでとは何もかもが異なる日々を過ごした。

「たしかに……。今、振り返るととにかく大変な毎日でしたけど、あの頃は“ゆくゆくはプロ選手として活躍したい”という目標や“燃えたぎる情熱”がありましたから、当時は微塵も苦しさを感じませんでした。ろくに言葉も話せなかったので、サインを出す時には1がストレート、2がカーブ、5がチェンジアップ。ピンチが訪れた時にはマウンドに出向き、投手を励ますくらいしかできませんでしたけど、それでも何とかやれましたし、むしろ日本で捕手を任された時の方が、サインが複雑で大変だった記憶もある。二度と経験したくないような苦しさもたくさん味わいましたけど、目先の辛さよりも、それを難なく乗り越えられるくらいの大きな目標を持つことの方が大切なのかなと僕は感じています」

英語を使って何をしたいのか

 だが、近年では急速に進む国際化の影響を受け、英語教育に対する熱が急速に高まっている。かくいう佐藤氏の二人の子供たちも、英会話教室に通っているそうだ。

 佐藤氏は自身のこれまでの経験や、スウェーデンの教科書に書かれていた一文を交えながら、昨今の語学教育に対する持論を展開する。

「スウェーデンでは、母国語(スウェーデン語)の教科書に“もしあなたが何かやりたいことを見つけたら、達成するためには仲間を作らなければならないだろう。そして、誰かの協力を募り、自分の夢を叶えるためには、自分の思いをしっかり伝える必要がある。だからそのために、しっかり言葉を学ばないといけないんだ”と書いてあるそうなんです。僕はそれを知った時に“なんて素晴らしい教育だ!”と感銘を受けまして」

 そして佐藤氏は、こう続ける。

「確かに、英語を学ぶこと自体は悪くないと思いますが、世界を見渡すと英語を話せる人はたくさんいますし、通訳に任せた方がスムーズに事が運ぶ場面も、現実には多く目にします。それらを踏まえると、何か目的を持って語学の勉強に取り組まないと無駄な時間を過ごすだけで終わってしまうように感じるのです。“英語を使って何をしたいのか”を考える習慣こそ、もっと大切にすべきだと思うんです」

 そのように話す佐藤氏は、国際化が進むご時勢とは対照的に、これまで受け継がれてきた日本伝統文化や言葉に関心を持つようになり、教養を深めているそう。

意識が朦朧としながら

 中でも「残された人生を幸せに過ごすヒントが見つかれば……」という思いで参加した伊勢神宮の修行合宿では、真冬の五十鈴川に入る水行に挑戦し、深い学びがあったという。

「死にそうなくらいの寒さの中で、意識が朦朧としながら水に打たれているときに思い浮かんだのは、家族の顔や『家族には幸せになってほしい』とか『家族のためにこれからも頑張ろう』といった僕自身の思いでした。確かに表向きには辛い思いをしましたけども、極限の環境で自分自身と向き合う経験は、僕の人生の指針や、自分の大切なものを見つける貴重な時間になりました」

 現在の佐藤氏は46歳。孔子が「天命を知る」と表現した50歳まで、あと4年に迫った。

 引退後の11年間を「自分がやるべき何かを探し続けてきた期間だった」と振り返る佐藤氏がこれから目指すのは、「自身が好きなことに挑戦を続けつつ、とことん幸せを追求する人生」だ。

 一見するとやや利己的に見える目標だが、その背景にあるのは、中学生時代にプレーした港東ムースで耳にした野村克也氏の言葉だ。

何のために生きるのか

「僕は野村沙知代さんがオーナーを務める野球チームで、中学時代を過ごしました。ときどき野村(克也)さんも僕らの練習に来てくださって、僕らの前で“金を残して三流、名を残して二流、人を残して一流だ。わしは社会に必要される人材を多く育てることが使命だと思っている”と、お馴染みになった座右の銘を話してくださったんです。当時は意味がわからずに、ただポカンとしながら聞いていましたが、その時の記憶が忘れられなくて……。ずっとその言葉の意味を考えながら、これまでの人生を過ごしてきたんですよ」

 そして、佐藤氏が「誰かに何かを与えられる人物になるにはどうすれば良いか?」を考え抜いた末に導き出した答えが、「自分自身が幸せに過ごし続けること」だったという。

「他者に良い影響を及ぼし、秘めた可能性を信じ抜くためには、まずは自分自身が光り輝いていなければいけないなと思っていて。その一番の近道は、僕自身が幸せを感じながら挑戦を続けていくことなのかなと気付かされました。最近は『自分の果たすべき使命』とか『何のために生きるのか』といった哲学的なことに興味があるので、それらを追求して学びを深められたらなと思っているんです」

 プロ野球4球団を率い、歴代5位の通算1565勝を記録した名将の教えは、野村氏がこの世を去って5年が過ぎようとしている今も、“教え子”の人生とともに生き続けている。

 第2回【痛恨の落球「GG佐藤」の傷を癒した恩師「ノムさん」の深すぎる言葉…「エラーがあってよかったな」と思えるようになるまで】では、GG佐藤氏が、北京五輪でのエラーを、前向きに捉えるきっかけとなった野村克也氏の言葉などについて語っている。

ライター・白鳥純一
 
取材協力 株式会社I for C

デイリー新潮編集部