老親の介護と就労の両立を甘く見るとどうなるのか。ファイナンシャルプランナーの黒田尚子さんは「親の介護は親の年金や預貯金で負担するのが基本ですが、子供が持ち出しするケースもある。都内在住の50代(当時)のメーカー管理職の男性は東北地方に住む老親のために10年間も“遠距離介護”。自営業で年金が月計10万円の両親が賄いきれない介護費用を負担しました。その総額は少なくても900万円以上に達し、老後破綻の危機です」という――。
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■「親の老後の面倒は自分が」親孝行な息子・娘を襲う自分の老後崩壊

今や要介護の原因の第1位でもある「認知症」。“なったら怖い病気”のランキングでも、がんや脳卒中、心筋梗塞に次いで挙げる人も多く、とくに女性は不安に感じているようだ。

そして、現役世代の子ども世代にとっても、もしも、親が認知症になった場合にどうなるのか、どうしたら良いか、施設や在宅で介護する場合、どれくらいの費用がかかるのかなど、気になることは多々ある。

子どもとして、「親の老後の面倒は自分がみるべき」と覚悟を決めている親孝行な息子さんや娘さんのお気持ちはお察しするし、立派なことだと思う。

しかし、それによって、自分たちの老後の計画が大きく狂ってしまうとしたらどうだろうか。おそらく、こんなはずではなかったと後悔するのではないか。

今回は、親孝行な子どもの想いが後悔になってしまわないためにも、認知症の親の介護が、子どもの老後に影響を与えてしまった事例を紹介したい。

■認知症の母と身体の不自由な父のダブル介護が始まった!

東北地方に住む両親の介護のため、10年近く実家に通い続けたのは、都内のメーカーに勤務する田中浩一郎さん(仮名・63歳)だ。

介護のきっかけは、母(当時76歳)が趣味の山歩き中に転んで骨折したこと。その時に入院した病院で、認知症を発症していると告げられた。年齢的に仕方がないとは感じたが、リハビリ病院も含めて3カ月ほどの入院中、認知症がかなり進行してしまったのは想定外だった。

一方、同居している父(当時80歳)も、数年前に心臓バイパス手術を受けてから体力が著しく低下した。母とは逆に認知機能はしっかりしているものの、歩行も難しい状態で要介護3の認定を受けている。骨折するまでは母が、父の介護をしていたくらいだから、認知症となった母も一緒に在宅介護というのは難しい。

そこでAさんは、母が入所できる施設探しに奔走し、何とか退院前にグループホームを見つけて入所できた。

ところが、ほっとしたのもつかの間、認知症のためか、母は、他の同居者やスタッフとうまくコミュニケーションが取れない。

結局、1年も経たないうちに退所することになり、費用の安い特別養護老人ホームに入所できるまでの数年間は、老人保健施設や特別養護老人ホームのショートステイを利用しながら、なんとか在宅介護を続けたという。

その当時、50代の働き盛りだった浩一郎さんは、管理職として社内でいくつもプロジェクトを抱える責任ある立場。実家の細々とした用事は幸い近所に住む親せきがやってくれたが、まったくのお任せというわけにもいかない。それに、介護や医療に関する重要な意思決定の場面には、必ず立ち会わなければならなかった。

ひとりっ子の浩一郎さんは、小さい頃から、両親や周囲から「跡取り息子なんだから、親が何かあったらお前がしっかりするんだぞ」と言われて育ったという。多少の反発を覚えることもあったが、自分も人の親になってみれば無責任に放棄するわけにもいかず、仕方がないと腹をくくるしかなかった。

■年金収入の少ない親の介護費用はすべて子ども負担

とはいえ、介護が始まった頃、週末ごとに車で片道5〜6時間をかけて、実家と自宅を往復するのは、精神的にも肉体的にも大変だった。

新幹線を使うことも考えたが、浩一郎さんの実家は主要駅から遠く、限られた滞在期間中に、さまざまな用事を効率的に済ませることを思えば、車を使うしかない。

もちろん、経済的な負担も重くのしかかる。

浩一郎さんの両親は自営業で、老後の収入は国民年金のみ。夫婦2人合わせても10万円くらいしかなく、預貯金は約300万円。2人分のお葬式代をまかなえるくらいだった。

結果、介護関連費用で両親の年金収入で賄えない部分は、浩一郎さんが負担することになった。

実家への帰省にかかる交通費や滞在費はもちろん、両親の在宅介護での介護サービスの費用、施設入所の費用、医療費、地元でお世話になっている親戚への心付けなど、介護保険でカバーされる部分もあるとはいえ、負担額はかさむ一方。とくに、母がグループホームに入所していた間は、月10万円以上かかっていた。

当時の浩一郎さんの年収は800万円程度だったが、自分たち家族の生活費や住宅ローン返済、中学生と高校生の2人の子どもの教育費などをまかなえば、余裕はほぼゼロ。

そのため、頭を下げて妻のパート収入を回してもらったり、子どもの学資保険を担保に貸付まで受けたりしたが、それでも足りず、会社の社内融資も利用せざるを得なかったという。

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■「親の介護に後悔ナシ」でも大きな支障が生じた自分たちの老後生活

何とか落ち着いてきたと感じられたのは、両親が揃って同じ特別養護老人ホームに入所できて以降、亡くなる数年前くらいから。特養では、介護サービスや医療費がそれぞれ1割負担、居住費や食費は所得に応じて負担限度額認定を受けて、一人当たり月額約7〜8万円かかる。公的年金で大部分まかなうことができたものの、足りない分の5〜6万円は、浩一郎さんが負担し続けた。

父は2年前、母は去年亡くなったが、浩一郎さんは、介護をやりきった。責任を果たすことができたという思いで胸がいっぱいになったそうである。

「え? 後悔ですか? いやいや、長男として、両親の介護を全うできたことに後悔はありませんよ。でも、親の介護を10年やったことで、自分たちの老後の計画に支障が生じたのは確実です。ああ、そうですね。『こんなはずじゃなかった』とは思ってます(苦笑)。

35歳で結婚したときに30年返済の住宅ローンを組んでマイホームを購入したんですが、60歳の定年でもらった退職一時金で完済できませんでした。両親の介護費用に充てるため子どもの大学進学の時に借りた300万円の教育ローンもあるし、会社の従業員貸付制度を利用して200万円ほど借金しましたしね。そのため、まだまだ仕事は辞められそうにありません。本当は、定年退職したら、仲間と別のことをやろうと思っていたんですけどね」

■10年間の両親の介護で持ち出しした総額は900万円以上

浩一郎さんが続ける。

「それに、今、心配しているのは、妻のほうの親の介護なんです。妻は10歳年下で、まだ50代。自分と同じでひとりっ子です。義父は5年前に他界しましたが、80代の義母は九州の実家で一人暮らしをしています。まだ足腰もしっかりしているし、元気なんですけどね。自分の母親もそうでしたから、油断は禁物。ホント、要介護状態になるときはあっという間でした。

自分の両親のときに、妻には本当に迷惑をかけましたから、義母が要介護状態になれば、やっぱり面倒をみてあげなければと……。ただ、その気持ちはあるんですけど、カラダと気力とお金が続くかどうか。今のうちに呼び寄せておこうかとも考えてみるものの、『田舎暮らししかしたことのないお母さんにはマンション生活はムリ』って妻が言うので、どうしたものかと」

「自分の両親の介護を通じて、後悔しているとすれば、親が認知症になる前、介護が始まる前に、ちゃんとこれからのことを話し合っておけば良かった、準備しておけば良かったということに尽きます。介護費用とかお金のことも含めてね。だから、義母が元気なうちに話をしたいと思っているんですが、コロナ禍が長引いて、2年間、会えずじまいです。

ああ、それから、今度は自分たちの介護や老後のためにお金を貯めておくべきだと痛感しています。子どもには自分と同じような苦労をかけさせたくない。でも、会社に再雇用してもらいましたが、収入が減ったので、なかなか貯められませんね(苦笑)。親の介護費用が後を引いているのもあるし、もともと自分たちがつい使ってしまうのもあるでしょう」

現在、住宅ローンは完済し、子供は独立した。今後の課題は、自分も妻も、より長く働き続けて収入を得ること。そして生活費を切り詰め少しでも老後資金を貯めること。2年後の65歳以降は年金収入があるが、預貯金が雀の涙のため、ゆとりある老後生活を送ることは難しそうだ。また、自分たち夫婦も、いずれ病気や要介護状態になった場合、家計が回るかどうかは未知数だ。浩一郎さんが10年間の両親の介護で持ち出しした総額は少なく見積もっても900万円以上に及ぶ。もし、それが貯金できていれば、資産状況は今とは全然違うものになっていたはずだ。

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■認知症が心配な人が多いが、身近な人と話し合っている人は少ない

さて、前掲の浩一郎さんが後悔していることとして挙げた、「親が認知症を発症あるいは要介護状態になる前に事前に話し合っておけば良かった」という点は、介護経験者であれば多くの人が口にする。

それだけ、実際には、話し合っていないケースがほとんどだということだ。

SOMPOホールディングスが全国の40〜70代を対象に実施した「認知症に関する意識調査」(2021年9月17日)によると、「自分が認知症になることが不安」(62.1%)、「家族が認知症になることが不安」(57.5%)など、自身や家族が認知症になることに不安を抱いている人がいずれも6割と多くなっている。

その一方で、認知症について身近な人と話をした人のうち、最も多いのが「配偶者と話をした」(33.1%)で、「親と話をした」(18.9%)、「自分の子供と話をした」(12.6%)など、それ以外の家族が少ないことがわかる。

不安ではあるが、健康な時に話し合ってはいないのが大多数ということだ。

しかし、浩一郎さんの事例のように、親の介護や病気が子どもの人生や老後に大きな影響を与えることを知っていれば、ちゃんと話し合っておくべきだということがわかっていただけると思う。

■自分たちの老後資金を貯める「最後の貯め時」が親の介護で消える

次の図表は、親の介護と子どもの就労の両立を時系列で表したものである。

図表作成=黒田尚子FPオフィス

現時点では、子どもは45歳、親は70歳と元気だが、親が80歳から要介護状態になった場合、子どもが55歳から介護がスタートすることになる。

生命保険文化センターの「2021年度生命保険に関する全国実態調査」によると、介護期間の平均は61.1カ月(約5年1カ月)となっているが、厚生労働省「2020年簡易生命表」によると、80歳時点の平均余命は男性9.42年、女性12.28年。前掲の事例のように、約10年間、介護期間が長引く可能性もある。

仮に、子どもが55歳の時に10年間介護することになった場合、この期間は、本来であれば、子育てもひと段落して(大学卒業・独立)、教育資金はあまりかけずにすむ。今度は自分たちの老後資金を貯める「最後の貯め時」となるはずだ。

それが、親の介護で思うように老後資金が貯められず、老後の計画が変わってしまう。親の介護費用がなくても、60歳定年後の収入が激減し、65歳の公的年金受給まで、家計収支が悪化する家庭が多いことを考えると、50代後半から60代の家計管理というのは非常に重要である。

親の介護費用は、親自身の公的年金などの収入や資産でまかなうのが前提だ。しかし、浩一郎さんのように子どもが持ち出しをするケースも少なくない。

■「自分の身を削って親の介護捻出」は転落リスク大

ニッセイ基礎研究所が2019年7月に実施した「認知症介護家族の不安と負担感に関する調査」によると、要介護者の介護費用の負担者について、全体では「要介護者が全額負担」が62.8%と最も多い6割を占めるが、「あなたが一部を負担(折半を含む)」(22.2%)、「あなたが全額または大半を負担」(12.2%)など、認知症の家族介護者等が負担するケースが3割以上ある。

そして、介護費用を一部でも負担している人の介護費用の負担額は、一時費用として23万2500円、月々の介護費用として3万4500円。

さらに、これに加えて、前掲の事例のように、これらの介護費用以外にも家族介護者は、交通費や通信費、ごみの処理費用などさまざまな費用負担がかかる。その費用は、全体では1万1900円となっているが、認知症の日常生活自立度別では「II−a」の場合、3万6800円など、介護の場所や自立度、個々の状況などで大きくばらつきが見られ。個人差が大きい。

そして、肝心なのは、家族介護者がこの費用をどうやってまかなっているかだ。

同調査では、これらの家族介護者が拠出する介護資金の出所について、全体では「月々の生活費の中から」が74.1%で最も多いが、負担の程度別でみると、全額または大半を負担している人の場合、「自分たちの老後資金や介護資金として蓄えてきたもの」が32.5%と有意に高い。

前掲の事例は、決してひとごとではなく、同調査では、要介護者である親自身が介護費用を準備できていないのであれば、子ども自身の老後資金や介護資金の蓄えを取り崩す必要に迫られる可能性が高いことを示唆している。

もし、そうなった場合、極めて大事なのは、「自分たちの老後や家計が成り立つのか」という見通しを立てておくことだ。やみくもに親の介護にお金を突っ込むと転落の憂き目にあい、自分の家族にも迷惑をかけてしまうことになるのだ。

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黒田 尚子(くろだ・なおこ)
ファイナンシャルプランナー
CFP1級FP技能士。日本総合研究所に勤務後、1998年にFPとして独立。著書に『親の介護は9割逃げよ「親の老後」の悩みを解決する50代からのお金のはなし』など多数。
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(ファイナンシャルプランナー 黒田 尚子)