「こんなはずじゃなかった…」55歳・年収1,400万円を捨てて独立した元会社員、わずか8ヵ月で廃業に追い込まれた「まさかの誤算」
長年勤めた会社を離れ、自身のスキルや人脈を武器に「独立起業」の道を歩む。しかし組織の看板があるのと、ないのとでは大違い。想定外の事態に直面するケースは少なくありません。年収1,200万円の安定した地位を捨てて理想のスタートを切った男性のケースから、ベテラン会社員の独立開業のシビアな現実をみていきます。
順風満帆だった会社員生活と、独立への誘い
「まさか、あの言葉をそのまま信じてしまうなんて。自分の甘さを呪うしかありません」
都内の喫茶店で木村和也さん(56歳・仮名)は、自身の選択を後悔していました。1年前までは上場企業の管理職で、年収は1,400万円ほど。現在は10ヵ月で個人事業の廃業を余儀なくされ、求職中の身です。
木村さんが独立を意識し始めたのは、50代に入ってからのことでした。組織のなかでの天井がみえ、どこか閉塞感を覚えていたころ、自身の力で事業を行いたいという思いが強くなっていきました。そんな木村さんの背中を押したのが、取引先の前担当者であり、数年前に独立してITベンチャーを経営していたA氏からの言葉でした。
「木村さんが独立するなら、うちの年間プロジェクトを丸ごと業務委託で発注しますよ。『一緒にやろうよ』と何度も声をかけてもらい、具体的な金額まで提示されていました」
そこで55歳になった木村さんは退職届を提出。退職金1,800万円と自己資金を合わせ、ITコンサルティング事務所を開業しました。気心の知れたA氏の会社から大口案件があるという確信が、木村さんの判断を鈍らせていました。
狂い始めた歯車と、突然の経営環境の変化
しかし、開業直後から予定が狂い始めます。正式な契約を結ぶ段階になって、A氏から「発注元の親会社との調整に少し時間がかかっている。来月には締結できるから、先に準備を進めてほしい」と連絡が入ったのです。
木村さんはA氏との長年の信頼関係を重視し、契約書を交わさないまま先行して実務を開始しました。
異変が起きたのは開業から4ヵ月が経過した頃でした。A氏との連絡が滞るようになり、ようやく繋がった電話で予想外の事実を告げられます。
「A氏の会社が主要クライアントから急な契約打ち切りに遭い、経営危機に陥っていました。私の案件どころではなくなり、発注自体が白紙になったのです」
木村さんの手元に残されたのは、契約書のない口約束の案件と、先行投資で減少した手元資金だけでした。
「会社の看板」を失った個人事業主の冷酷な現実
日本政策金融公庫総合研究所『2025年度起業と起業意識に関する調査』によると、起業家が事業を行ううえで問題だと感じていることのトップは「売り上げを安定的に確保しづらい」(42.5%)。特定の知人からの大口案件のみに依存し、契約書を交わさずに見切り発車で実務を始めたことは、起業における最大のリスクを無防備に引き受ける行為でした。また同調査において、起業に関心がありつつも踏み切れない人が懸念する「失敗したときのリスク」の上位には、「事業に投下した資金を失うこと」(74.8%)と「安定した収入を失うこと」(66.0%)が挙げられています。
木村さんは、年収1,200万円という安定収入を自ら手放したうえ、退職金などの自己資金も先行投資で失い、まさに多くの人が恐れる「起業の二大リスク」を最悪の形で現実のものとしてしまいました。なお、同調査では起業時にあったらよい支援策として、最も多い53.6%の人が「税務・法律関連の相談制度の充実」を求めています。
もし木村さんが事前に法律の専門家へ相談し、契約書のない口約束による先行着手の危うさを客観的に指摘されていれば、独立への判断やその後の結果は大きく違っていたかもしれません。
木村さんはその後、新規開拓に奔走しました。しかし、前職の肩書を失った個人事業主に対する現実は厳しいものでした。知名度のない個人事務所に、高額なコンサルティング案件を依頼する企業は簡単には見つかりません。
クラウドソーシングサイトで見つけた低単価の案件をこなす日々が続きましたが、月収は10万円に満たず、赤字が続きます。
「前職時代の『人脈』は、会社の看板があったからこそ成り立っていた。個人としての営業力を甘く見積もりすぎていたのです」
好転の兆しがみえないなか、このまま地道に続けていくか、それとも廃業して、再就職を目指すか……木村さんは後者を選択。独立から、わずか10ヵ月でした。
また、再就職を目指すものの、一度組織を離れて独立に失敗したシニア層に対しては、組織適応力に懸念があるとみなされるからか、そのハードルは高くなるのが現実です。
「現役時代の月収の半分でもいいし、契約社員からでもいい。今からでもやり直す覚悟です」
