【村井 真子】「俺のほうが詳しい」…若手上司を完全無視、制御不能に陥った「役職定年」モンスター化の実態
労務相談やハラスメント対応を主力業務として扱っている社労士の私が、企業の皆様から受けるご相談は年々多様化しています。高年齢者雇用安定法により65歳までは雇用が義務化され、さらなる定年延長や定年廃止の動きも高まり、役職定年制度によって元上司が部下となり、元部下が上司になるというケースも少なくありません。
今回は、役職定年を迎えたベテラン社員と年下の上司との間で起きたトラブルについて取りあげます。(なお、ご相談事例は個人の特定を防ぐため、複数のエピソードを組み合わせて再構成したものです)
「叩き上げの部下」「効率を図るの上司」
相談を受けたのは、自動車関連部品の製造を行うT社の取締役、Aさんからです。T社は数年前に定年を65歳に引き上げましたが、その際に55歳での役職定年制度を導入しました。社員の多くは役職定年を迎えたあとも会社に残り、通常業務のほかに後進の育成を行っています。
このような状況にあるT社のAさんからの相談は、ベテラン社員Cさん(男性・50代)に関するものでした。
Cさんは長年、生産技術部門を率いてきた、いわば“現場の象徴”といえる存在でした。これまで難易度の高い不具合の対応や工程改善を数多く手がけてきた経験から、社内の信頼も厚く、役職定年を迎えたあとは生産技術部に残り、「技術アドバイザー」という立場で若手の支援にあたることになりました。
そんなCさんの上司になったのは、品質保証部から異動したBさん(40代・男性)です。Cさんにとって直近の部下ではないものの、かつてはCさんのもとで、新人時代を過ごした経験がありました。
「当初は、『BにCを付けるのはやりにくいのではないか』という意見も出ました。ただ、うちの規模では、業務がまったく異なる部署から異動させることは難しいですし、『直属の部下ではないから、いいのではないか』という話も出ました。なによりも、BがCを慕っていて『生産の現場を離れていて久しい。Cさんがいてくれるなら心強い』と話していて、問題ないと思ったんです」
Bさんはデータ分析や工程管理を強みに、組織全体の効率化を重視するタイプの管理職です。Aさんの言葉を借りれば、「現場叩き上げのCと、ロジック重視のB。タイプはまったく違うが、どちらも優秀」とのことで、相互補完的な関係を作れるのではないかと期待してました。
その期待通りに当初は業務が順調に回っていました。しかし、ある工程改善プロジェクトをきっかけに、ふたりの関係も部署の空気も急に変わってしまったのです。
きっかけは、納品先からのクレームでした。
T社では、納品する製品に一定割合の不良品があることを見越して、 あらかじめ多めに生産することで納期と品質を担保する運用を行っていましたが、取引先から「不良発生を前提とした生産は無駄が大きい」「歩留まり改善を前提とした工程設計に見直してほしい」という指摘が入ったのです。
これを受けて、Bさんは不良率そのものを引き下げることを目的とした、新たな検査工程の導入を決定しました。会議の場でその方針が共有されたとき、 それまで黙っていたCさんが静かに口を開きました。
「その方法では現場は回らない。机上では成立しても、実際には無理がある」
その場は意見交換として収まりましたが、 問題はそのあとでした。Cさんは、Bさんの指示に従わず、
・新しい手順書を無視する
・指示された検証データを提出しない
・別ルートで現場に指示を出す
といった方法で従来の対応を続けたのです。さらに、若手社員の前でこう発言する場面もありました。
「私はこのラインを何年も見てきた。現場を知らないやり方では通用しない」
その言葉に、影響を受けた現場は混乱し、「どちらの指示に従えばいいのか分からない」と戸惑う若手社員も現れて、しだいに現場の統制が揺らぐようになりました。
これに苦慮したBさんは、Cさんと個別に面談を行いました。しかし、Bさんが新しい検査工程のメリットや必要性をいくら説明しても、Cさんの態度は変わりません。しびれを切らしたBさんは「意見は尊重するが、最終的な判断は自分がする」と見解を伝えても、「判断するのはいいが、間違った方向に進めるわけにはいかない」と頑なに拒み続けます。
ふたりの面談は、表面上は敬意のあるやり取りではありましたが、これを境にBさんは実質的にCさんへの指揮命令権を行使できない状況に陥ってしまいました。また、CさんのBさんへの態度が部内にも伝播してしまい、Bさんは精神的に孤立しながら新しい検査工程の導入をすすめることになってしまったのです。
「役職定年」トラブルのグレーゾーン
このようなご相談は、近年特に増えている印象です。その背景にあるのは高年齢者雇用の進展です。
厚生労働省の調査などを見ても、企業における高年齢者雇用は着実に進んでいます。令和7年の政府による調査では、65歳までの高年齢者雇用確保措置を実施済みの企業は99.9%、70 歳までの高年齢者就業確保措置を実施済みの企業は34.8%に達しています。加えて定年制を廃止している企業も3.9%と、65歳まで働き続けることは、もはや一般的と言えます。(【参照】令和7年「高年齢者雇用状況等報告」の集計結果を公表します /厚生労働省)
こういった状況のなかで、多くの企業が取っている手段が役職定年制度です。役職定年制度とは、一定年齢で管理職の役職を外し、若手へのポストの開放や組織の新陳代謝などを図る目的で行われるもので、大企業を中心に広く普及しています。
一方で、制度の導入自体は進んでいるものの、制度運用に伴う人間関係や組織統制の問題については、十分に整理されているとは言い難いのが実情です。T社の事例も、まさにその典型でした。
この役職定年についてまず整理しておきたいのは、制度そのものは違法ではないという点です。役職の任免は、企業の人事権の一環として認められており、一定年齢で管理職を外す制度も、一般に許容されています。
役職定年は、いわゆる「定年」とは異なり、雇用契約そのものが終了となるのではなく、役職のみを外す制度です。そのため、役職を外れる労働者本人の処遇の変更が問題となりがちです。たとえば、これまで支給されていた役職手当の減額や廃止、職務内容の変更などは当事者にとって不利益になることが多いため、問題になりやすい論点です。
労働契約法では、下記のふたつの要件が満たされる場合に限り、個別の同意がなくても変更後の条件が適用されます。
・就業規則の変更を労働者に周知すること
・その変更が合理的であること
その「合理性」の判断は、「労働者が受ける不利益の程度や変更の必要性」、「変更される内容の相当性」、「労使交渉の状況」などを総合的に考慮して判断されます。つまり、役職定年制度は「制度としては許容」されるが、「運用しだいで違法」となり得るという位置であり、グレーゾーンが非常に多いのです。
…つづく『モンスター化した「役職定年者」が若手上司に猛反発…現場崩壊の危機に会社が下した「意外な決断」』では、トラブルに関する会社側の対応策について解説します。
