こだま:小さい頃から一緒にいてそれが当たり前の身からすると、周囲からの偏見にびっくりされたでしょうね。

椎木:世間は「何もできない」「かわいそう」というバイアスで障がい者のことを決めつけがちですが、実際に見る彼らの姿はそうしたイメージと全然違います。俊さんは一人で電車移動もできるし、就労支援のカフェで立派に働いている。ビールやレモンサワーが大好きで酔っ払ってご機嫌になることもあるし、彼女がいてデートもしていますよ。

こだま:世間が勝手に「障がいのある人が一生懸命にがんばっている」という“感動の材料”にしてしまうこともありますよね。実際は、ただ自分の好きなものに夢中になって、当たり前の日常を過ごしているだけなのにな、と思います。

椎木:結局、障がい者への無知や偏見が生まれてしまうのは、彼らとのタッチポイント(接点)が少ないからだと思うんです。俊さん自身も、特別支援学級というある種限定的な環境から社会に出て、就労支援のカフェなどでさまざまな人と接するようになったことで、コミュニケーション能力が格段に向上したのを感じます。

こだま:障がいのある人が街にいることがもっと当たり前になってほしいですね。家に閉じ込められたり隠されたりせず、みんなと同じように生活を楽しんでいる姿を多くの人に知ってもらうことが一番大切だと思いました。

◆スローガン化する「多様性」への違和感

――『けんちゃん』を読むと、「健常者」と「障がい者」、「ふつう」と「特別」の境界線はどこにあるのだろう、と考えさせられます。

椎木:何をもって「ふつう」や「健常者」と言っているのか、すごく謎ですよね。犯罪や戦争を起こしているのは圧倒的に健常者のほうが多いのに、障がいがあるというだけで「怖い」と決めつけられてしまう。障がいがない方が「幸せ」だと無意識に思われていることにも疑問を感じます。みんなそれぞれの幸せの形を見つけて生きているのにって。

こだま:私も周囲に比べてうまくできないことが多くて、かつては「ふつうのみんなと同じようになりたい」という強迫観念のような気持ちが強かったんです。でも、特別支援学校の寄宿舎で働いてみて、生徒たちがのびのびと楽しく生きている姿を見ていたら、「ふつう」って何だろう、「ふつう」なんてないんじゃないか、と悩むのがばからしくなりました。

椎木:一方で、ビジネスや教育の現場で「多様性」という言葉がよく使われることには、欺瞞も感じます。就労支援の現場では、ダウン症の子が採用されても人目につかないバックヤードでの作業にばかり回されて、お客さんと接点を持たせないようにすることも。もらえるお給料も、独り立ちさせる気がないと思うような極めて低い金額だったりして、親の支援があることが前提のスキーム(仕組み)になってしまっているなと思います。

こだま:それでは、本当の意味で社会に出る楽しさや仕事のやりがいにつながらないですよね。

◆誰かに頼りながらでも「自由」でいられることこそ「自立」

――『けんちゃん』では「自立」も一つのテーマになっています。お二人にとって「自立」とは何ですか?

こだま:かつて実家で暮らしていた頃は、「自分の力で稼いでいないから自立できていない」と落ち込んで萎縮して生きていた時期がありました。でも、けんちゃんをはじめとする寄宿舎の生徒たちと出会った経験を経て、働いていなくてもその中に楽しさを見つけて生きればよかったのだ、と今なら思えるようになりました。

椎木:私が自立しているかというと、夫や子どもをはじめとする家族に甘えたり支えてもらったりしながら生きているので、自立できているとはまったく思いません。いわゆる「健常者」であっても、必ず誰かから支援を受けたり依存したりして生きている。そう考えると、自立しているかどうかって、自分の人生が自由だと思えるかどうかのほうが大事なのではないかと思います。誰かに頼りながらでも、自由を感じて生きられているのなら、それはじゅうぶん「自立」しているんじゃないでしょうか。