シニアジョブの中島康恵社長(提供写真)

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【ビジネスの発想を学べ!】

「空き家活用」社長 1500万円借金から起業までの紆余曲折

 シニアジョブ 中島康恵社長 (前編)

 人生100年時代といわれ、何歳になっても働ける環境は、国も労働者も求めている。しかし、シニアの就職環境は決して良くないのが現実だ。法律上〈年齢の壁〉は撤廃されたが“のみ込みが悪そう”“プライドが高そう”など、目に見えない壁がまだまだ存在するからだ。

 そのため、シニア人材サービス事業は手間や時間などのコストがかかり、割に合わないといわれる。その中で創業以来成約数が右肩上がり、売り上げも前年比最高300%を記録するなど、驚異的な成長を遂げている企業がある。その名も「シニアジョブ」。

 社長の中島康恵さんは“弱冠”29歳。シニア専門の人材サービス業を始めたのは5年前の25歳の時だ。それも、最初は巣鴨や三軒茶屋で片っ端からヒマそうな老人に声をかけたというのだから、奇抜というか無鉄砲だ。大学出たての“若者”が、なぜシニアの就活をビジネスにしようと思ったのか――。

■巣鴨や三軒茶屋で片っ端から老人に声をかける

 茨城県ひたちなか市生まれ。学生時代までサッカー一筋に打ち込んだ。小6から中3まで柏レイソルのユースに所属。高校時代は地元の水戸商業サッカー部で攻守の要であるMF(ミッドフィールダー)として活躍。3年時にはインターハイにも出場した。そしてサッカー推薦で強豪の国士舘大学に入学。サッカーのエリート街道を進んでいるように見えたが……。

「こんなにかなわないかと。周りがうますぎて、自分は絶対にプロになれないと悟りました」  人生初めての挫折。大学1年の夏に自主退部した。小さい頃からの〈プロサッカー選手になる〉という夢はもろくも崩れ去った。残りの大学生活はまさに抜け殻。就職活動はしたものの、全く気が乗らない。

「ずっと夢を追いかけてきたので、それがないと全然燃えないんです。じゃあ次はどんな夢を追いかけるか? 思いついたのが会社を立ち上げることでした」

 当時は大学生起業がブーム。〈就職するより起業したほうが格好いい〉という雰囲気がキャンパス内にあったという。しかし、会社をつくるには金がかかる。当然ただの大学生に金を貸してくれる銀行などない。友人からも資金を集めたが微々たるもの。あとは「エンゼル」(出資してくれる個人投資家)を見つけるほかない。そこで中島さんが考えたのが、名付けて「就職活動便乗作戦」だ。

「大学生がお金持ちの社長と会えるのは就活の場だけ。最終面接まで行って、直接出資をお願いすれば、なんとかなるかもと考えたんです」

資金集めも超奇抜

 アイデアは面白いが、「はい、いいですよ」と初めて会った大学生に金を出してくれるほど世の社長は甘くない。なんとか最終面接にたどり着いても、「実は起業しようと思って……」と切り出した瞬間、「出ていって」と門前払いを食らうことも多々。3〜4社は面白がって話を聞いてくれたが、「いま思えばまったく甘い、僕でも出資しようと思わないプラン」だったため、成約には至らなかった。

 しかしついに“運命のエンゼル”が現れる。16社目に受けたIT企業の社長だ。仲間の別の会社社長と合わせて希望額の2000万円を出資してもらうことに成功したのだ。

「その頃には、事業プランは一切話さず“2000万円出してくれたら2億円にして返します。必ず成功します!”と熱意だけをぶつけるようにしていました。だって22歳の大学生に、まともな事業計画やビジネススキルを期待するわけがないですから」

 捨て身の作戦が功を奏し、会社の設立資金を手に入れた。「自分より頭のいいやつを巻き込もう」と、東大や慶応、早稲田など名門大学のキャンパスに忍び込み、これぞという学生に声をかけていった。その人選基準が面白い。

「メガネをかけている人に片っ端から話しかけました。なんか頭が良さそうじゃないですか」

 結局、東大生1人、立教大生2人のスカウティングに成功。いよいよ“社長”として、第2の夢に向かって船出したのだが……。 =後編につづく

(取材・文=いからしひろき)

▽中島康恵(なかじま・やすよし)1991年、茨城県生まれ。国士舘大学在学中の2014年8月にシニアジョブの前身となるIT会社を設立。15年から50歳以上のシニア専門の人材サービス事業を開始。売り上げ前年比最高300%の成長を続けるなど注目を集めている。