マイナーな1980年代の名車&迷車 39選(前編) スターの陰に隠れてしまった不運なクルマ
記憶から消えたマニアックなモデル
戦争、高騰する燃料価格、そして猛威を振るうインフレ。こうした出来事は多くの現代人を悩ませているが、実は同じような状況は1980年代にもたくさん見られた。
【画像】マニアックな英国スポーツカーブランド、マーコス【マントラと1600GTを詳しく見る】 全16枚
本特集では、この1980年代に登場したクルマの中から、今やすっかり忘れられつつある不運なクルマを紹介し、その名を留めたい。

1980年代のマイナーなクルマを39台紹介したい。
スバル・ブラット(1977年)
聞いたことがないかもしれないが、米国のロナルド・レーガン元大統領はカリフォルニア州の牧場で20年間、このブラットを所有していた。このタフで奇抜な、ランチアにも似た雰囲気を漂わせるクルマは、スバルが1977年から1994年まで米国で販売していたピックアップトラックだ。
米国を中心に10万台が販売されたが、日本には正規導入されていない。後に1.8Lターボを搭載したモデルが人気を博し、スバルの高い信頼性を米国に知らしめた。現在に至るまでの米国市場におけるスバルの成功の礎を築いたクルマである。

スバル・ブラット(1977年)
プリムス・サッポロ(1978年)
サッポロという車名は、ご存知の通り北海道札幌市のことで、1972年の札幌オリンピックに由来するとされている。三菱とクライスラーが提携し、豪華装備と優れた経済性を持つモデルとしてプリムスブランドから発売された。ランバーサポート付きバケットシート、スモークガラス、電動格納式ミラーなど、装備を列挙していたら誌面が足りなくなってしまう。
その上、約17km/lという低燃費と、購入者を満足させる走りを実現していた。こうして7万台程度が売れたにも関わらず、なぜ今では忘れ去られてしまったのだろうか? それは、三菱とクライスラーの関係が変わり、三菱がコンクエスト(日本名:スタリオン)を投入したからだ。

プリムス・サッポロ(1978年)
マイダス・ブロンズ(1978年)
ハロルド・ダーモット氏率いる英国のマイダスは、手軽なスポーツカーメーカーとして世界の頂点を目指せるだけのポテンシャルを秘めていた。しかし、1989年に発生した工場火災により、高い評価を得ながらも1989年に解散してしまった。
1978年に発売されたブロンズは、グラスファイバー製のモノコックボディを採用し、当時の衝突安全テストをクリアした初のモノコック車となった。リチャード・オークス氏による端正なスタイリングとゴードン・マレー氏による空力設計を融合させたゴールド(写真)というモデルも登場し、販売が軌道に乗り始めたところで、火災により金型を焼失してしまう。ブロンズ、ゴールド合わせて500台が生産され、その画期的なデザインは徐々に評価を高めつつある。

マイダス・ブロンズ(1978年)
アルファ・ロメオ・アルファ6(1979年)
アルファ・ロメオは1973年にアルファ6の導入を計画していたが、石油危機により大型で燃費の悪いセダンが富裕層以外の欧州ドライバーには受け入れられなくなったため、計画は頓挫した。その後、オイルショックが落ち着きを見せた1970年代後半まで、アルファ6はお蔵入り状態だった。再設計を経て1979年に発売されたものの、すでに時代遅れの姿になっていた。
キャブレター式の2.5L V6エンジンは真の傑作だったが、その燃費の悪さは1979年当時ですら眉をひそめさせた。1983年にはスタイリングの改良(写真)、ボッシュ製燃料噴射装置、オプションのターボディーゼルが導入されたが、改良は遅すぎた。約1万2千台を生産した後、1987年に引退した。

アルファ・ロメオ・アルファ6(1979年)
ビュイック・センチュリー・ターボクーペ(1979年)
若年層を惹きつけるにはどうしたらいいか、その答えが書かれたビジネス本があれば、ビュイックは隅から隅まで読んだに違いない。インディアナポリス500のペースカーも手掛けるビュイックが満を持して1979年に送り出したセンチュリー(4代目)には、クーペ、セダン、ステーションワゴンが用意されていた。
中でもターボクーペは、最高出力175psの2.8L V6ターボを搭載し、当時のシボレー・コルベットと同程度のトルクを誇った。外観はサーブ900にも似ており、ビュイックは「欧州車風」と謳っていた。しかし、若者を惹きつけるには不十分で、販売開始から2年で2000台も売れず、生産中止となった。

ビュイック・センチュリー・ターボクーペ(1979年)
スティーブンス・サイファー(1980年)
米国の規制でスポーツカーが消滅するのではないかという懸念から、他社がこぞって市場から撤退する中、アンソニー・スティーブンス氏はサイファーを生み出した。軽量コンパクトなこのモデルは、シンプルなシャシー、グラスファイバーボディ、850ccのリライアントエンジンを採用。AUTOCAR英国編集部のスティーブ・クロプリー編集長も試乗で絶賛していた。
しかし、スティーブンス氏はサイファーの量産資金を調達できず、完成したのはわずか7台だった。サイファーが「時流に合った正しいクルマ」であったにもかかわらず、正当な支援を得られなかったのは英国自動車産業の大きな損失である。

スティーブンス・サイファー(1980年)
シボレー・シテーションX-11(1980年)
X-11はシボレーにとって、高性能のサブブランド的な存在だった。特に希少車を目指すつもりはなかったが、154万台売れた標準のサイテーションに対し、X-11はわずか2万台しか売れなかった。X-11は高性能モデルで、2.8L V6エンジンを搭載し、ボンネットの盛り上がりでスポーティさをアピールしていた。実際、X-11は1982年と1984年のレースでシボレーを優勝に導いた。

シボレー・シテーションX-11(1980年)
ダッジ・ミラーダ(1980年)
1980年代の「シック」を体現するクルマと言えば、V8エンジンを前提に設計され、ホワイトウォールタイヤを装着したミラーダだ。快適な高速クルーザーとして理想的だったが、スポーティな側面も追求された。これが最大の課題となった。スポーティを謳うクルマとしては性能と運転感覚がいまいちで、顧客を失望させてしまったのだ。販売台数は3年間でわずか5万2000台。競合車と比較すれば微々たる数字で、生産は中止された。それでも、洗練されたアメリカン・モータリングの教訓として記憶に値する。

ダッジ・ミラーダ(1980年)
AMCイーグル・カムバック(1981年)
ニッチな分野では、とても奇妙な創造物が生まれる。英国のリライアント・ロビン、ドイツのメルセデス・ベンツR 63、そして米国のAMCイーグル・カムバックだ。現代のクロスオーバー車の先駆けとも言えるモデルで、四輪駆動システムを搭載した画期的なコンパクトカーである。
四輪駆動と後輪駆動を切り替えることができるのだが、そのためには停車する必要があり、初めてクルマを購入する人や仕事で使う人にとっては、とても不便なものだった。発売初年度は3万4000台とまずまずの勢いを見せたが、売上はわずか1年で低迷。どのニッチ分野にも言えることだが、その価値は消えて初めてわかるものだ。

AMCイーグル・カムバック(1981年)
ジープCJ-8(1981年)
ジープCJ-8は、CJ-7のホイールベースを10インチ延長したモデルである。CJ-7の伝説的なオフロード性能はそのままに、このセグメントではまだ珍しかったレジャー志向のモデルとして登場した。しかし、CJ-8の後継車はなかなか登場せず、2004年のTJシリーズ・ラングラーのアンリミテッド・バージョンまで待たねばならない。ジープのピックアップトラックは、2019年のグラディエーターで再び復活を遂げた。

ジープCJ-8(1981年)
フォードEXP(1982年)
廃止寸前のフォードEXPを救ったのは、エンジニアたちだった。EXPは、エスコートに代わるスポーティなモデルとして1982年に登場。フロントグリルが欠けたような奇抜なデザインが特徴で、22万5000台が販売されたものの、一番のファンは顧客ではなく社内にいた。
初代EXPの生産が終了する頃、フォードの工場で従業員たちがエスコートの部品を流用した改造車を作り、上司の承認を得た。その結果生まれた2代目EXPは、初代よりも平凡なデザインになってしまったが、エスコートシリーズの中で生き続けたのである。

フォードEXP(1982年)
リンカーン・コンチネンタル・ターボディーゼル(1983年)
コンチネンタルはリンカーンを代表するモデルの1つだが、その長い歴史の中で、欧州テイストのディーゼルエンジン搭載車はほとんど忘れ去られている。メルセデス・ベンツが米国に輸入したディーゼル車は、リンカーンを大いに困らせていた。非正規輸入車も1980年代初頭に急増。キャデラックも流行に乗ったが、大成功には至らなかった。
リンカーンは、顧客が求めるディーゼルエンジンを提供することが、販売を維持する最善策だと判断した。1984年モデルでは、コンチネンタルには140psの4.9L V8と、BMW製で115psにチューニングされた2.4L直列6気筒ターボディーゼルが用意された。後者は524tdに搭載されたものと同じユニットだった。リンカーンはディーゼル仕様に1235ドル(現在の価値で約3100ドル=約48万円相当)を上乗せしたが、結果的に顧客はメルセデス・ベンツに流れてしまった。ディーゼルは1985年以降、カタログから姿を消した。

リンカーン・コンチネンタル・ターボディーゼル(1983年)
いすゞ・インパルス(1983年)
キュートでありながらスレンダー。パワフルでありながら繊細。どちらも、今のいすゞから連想される言葉ではない。しかし、海外で展開されたいすゞ・インパルス(日本名:ピアッツァ)の広告には、月に照らされた暗い背景に「It screams when you step on it(踏むと咆哮する)」というキャッチフレーズが添えられ、異様な雰囲気を漂わせていた。
実際、ジョルジェット・ジウジアーロ氏がスタイリングを手がけ、ロータスが開発したサスペンションを搭載するなど、時代の先端を行くクルマであった。しかし、そのルックスと繊細なキャラクターは、さすがに時代を先取りしすぎたのだろう。グローバル販売は成功とは言えず。1991年にデビューした2代目は、似て非なるものとなった。

いすゞ・インパルス(1983年)
マーコス・マンチュラ(1983年)
マーコスのクルマはどれも珍しいが、そのほとんどは少数ながら熱狂的なファンを獲得している。しかし、マンチュラとその派生モデルであるマンタラ、マンタレイはあまりにも見過ごされがちだ。これは残念なことである。なぜなら、ローバーV8エンジンを搭載することで、当時のTVRに匹敵するエキサイティングな走りを実現していたからだ。
完成車またはキット形式で販売され、ボディ、シャシー、ドライブトレインのすべてが非常に良く作られていたにもかかわらず、一部の消費者にとってキットカーのネガティブなイメージを完全に払拭することはできなかった。マンチュラは289台生産され、今でもマニアの間で売買されることがある。その性能と運転の楽しさを考慮すれば高い評価を受けるに値する。

マーコス・マンチュラ(1983年)
ジマー・クイックシルバー(1984年)
ポール・ジマー氏は1978年、高級車製造を目的にジマー・モーターカーズ・コーポレーションを設立した。最初のモデルはネオクラシックなゴールデン・スピリットだが、1984年にはポンティアック・フィエロをベースとするクイックシルバーが登場した。中古のフィエロのシャシーを16インチ延長し、その上にグラスファイバー製ボディシェルを固定。インテリアはレザーとウッドで高級感を演出した。生産は1988年まで続いた。

ジマー・クイックシルバー(1984年)
UMMアルター(1984年)
ポルトガルのUMMが開発したアルターは、1984年と1986年に2つのバージョンが発売された。機能優先の設計を体現し、可能な限り広い車内空間を確保した。しかし、アルターIIの神髄は耐久性の高さにあり、1989年のパリ・ダカール・ラリーを完走した実績もある。UMMはアルテルIIの民間向けモデルも販売した(明るいビーチ向けデカールを施したモデルもある)が、ラーダ・ニーヴァと比べても質素すぎたため、大半は政府機関に納入された。1992年にヨハネ・パウロ2世がポルトガルを訪問した際には、1台が教皇専用車(ポープモービル)に改造されたほどだ。

UMMアルター(1984年)
ポンティアック・サンバード(1984年)
サンバードの歴史は、まさに適応の繰り返しだ。初代モデルは平凡で、販売も振るわなかった。しかし、サンバードGTが登場すると状況は一変した。ターボチャージャーを搭載し、GTの名にふさわしいスポーティなスタイリングを備えていた。コンバーチブルが追加されると、初年度の販売台数は倍以上に跳ね上がった。最終モデルには3.0L V6エンジンも搭載された。
だが、ベストセラーは165psの2.0L直列4気筒で、3年間変更もなく販売が続けられた。これはポンティアックの改良の法則において異例の年数だ。

ポンティアック・サンバード(1984年)
クライスラー・レーザー(1984年)
1980年代はお好きだろうか? そうでないなら、納得のいくモデルをここで紹介しよう。クライスラー・レーザーはレトロな紫色の夕焼けをモチーフにカラーリングされ、デジタルメーターとエアベントは奇抜な台形デザインだった。未来感満載のクルマである。競合車種も視野に入れていた。0-100km/h加速タイムはポルシェ944や日産300ZXターボに匹敵し、しかも燃費は約15km/lを達成。さらに特筆すべきは、ターボ圧力を調整できるよう、ターボブーストゲージを装備していた点で、15万人のオーナーが熱狂した。

クライスラー・レーザー(1984年)
ダッジ・オムニGLH(1984年)
車名に含まれる「GLH」は、このモデルのメカニズムや歴史を指すものではない。単に「地獄のように速い(Goes Like Hell)」という意味だ。キャロル・シェルビー氏が開発を監督したのだから、これは驚くべきことではない。驚くべきは、販売台数がわずか1万3000台に留まったことだ。
特にターボモデルの性能は現代の基準で見ても驚異的で、0-100km/h加速7.5秒と、先代のフォルクスワーゲン・ゴルフGTIよりわずか1秒遅いだけだ。しかも、さらに速いモデルが登場している。オムニGLHSは現代車と同等の加速性能を誇り、「地獄のように速い、シェルビー(Goes Like Hell, Shelby)」の名称にふさわしいものだ。

ダッジ・オムニGLH(1984年)
(翻訳者注:この記事は「後編」に続きます。)
