バラエティ番組「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」(1991〜2001年、日本テレビ系)はどこがすごかったのか。社会学者の太田省一さんは「過激であることがほとんど唯一の大義といった企画ばかりで、90年代のバラエティを象徴する番組だった」という――。(第3回)

※本稿は、太田省一『とんねるずvs村西とおる』(双葉社)の一部を再編集したものです。

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日本テレビ麹町分室(写真=本屋/CC-BY-SA-3.0-migrated-with-disclaimers/Wikimedia Commons) - 写真=Wikimedia Commons

■生ダラが放送していた今では絶対NGの企画

90年代、性に限らない欲望の暴走を全面に打ち出して成功したのが、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ系、1991年放送開始。以下、『生ダラ』)である。

こちらも夜9時台のゴールデンタイム。総監督(総合演出)として、初期には伊藤輝夫(テリー伊藤)も加わっていた。監修に秋元康も名を連ねている。

この番組は、往年の人気歌手・にしきのあきら(現・錦野旦)や元プロ野球選手の定岡正二などをバラエティ番組の人気者にしたことで知られている。

「空に太陽がある限り」などのヒットで知られ『紅白』にも出場したにしきのあきら(この番組から「スター」という愛称が広まった)がどっきりにかけられて全裸姿をさらされるなど散々な目にあったり、読売ジャイアンツの主力投手としてアイドル的人気を誇った定岡正二をポンコツ扱いして「へなちょこサダ」と呼んでみたり、さまざまな有名人がとんねるず一流の悪ふざけの餌食になった。

むろんベースには体育会系の友達感覚のノリがあり、絶妙のさじ加減で大物有名人の意外な一面を引き出す手際にとんねるずのプロデュース力を感じる番組であった。

その一方で、特にテリー伊藤が携わった番組初期は、色々な意味できわどい企画の連発だった。

■秋元康が小学生に歌わせた歌詞の中身

「セクシー小学生ゴングショー」は毎回ボディコンなどギャル風に装った女子小学生が登場し、セクシーさを競い合う。バブル景気の名残がまだ濃かった当時、ジュリアナ東京のお立ち台ギャルのイメージである。

ただ参加者の年齢が年齢なので、いまなら炎上必至だろう。優勝したひとり、宮澤寿梨は、母親が番組を見て応募したという(『日刊ゲンダイDIGITAL』、2018年12月17日付け記事)。

そして優勝者10名を集め、アイドルグループが結成される。グループ名は「ねずみっ子クラブ」。秋元康がプロデューサーということで、「おニャン子クラブ」をもじったもの。「おニャン子=猫」よりも年下なので「ねずみ」というわけである。「おニャン子クラブ」を輩出した『夕やけニャンニャン』には、とんねるずも出演していた縁もある。

デビュー曲は、「ねずみ算がわかりません」(1993年発売)。作詞・秋元康、作曲・後藤次利でおニャン子クラブからの黄金コンビである。

詞の内容は、「その気にさせてごめんなさいもう少しだけ我慢してね」「義務教育だけじゃ教えてはくれない くどかれ方と 恋のねずみ算」「パパやママの頃と 時代が違うのよ 歳の数より 育ち過ぎた スリーサイズ」など、危うく思わせぶりなフレーズが続く。

これをバニーガールのような衣装で小学生が歌ったことを考えれば、こんな曲がよく発売されたという印象だ。

■「先生! 鈴木くんがエッチなんです!」

とはいえ、同じ秋元作詞のおニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」も、アイドルソングとしては珍しく「友達より早くエッチをしたいけど」といった性的なニュアンスの強い歌詞を歌っていた。その意味ではおニャン子クラブの手法の転用でもあり、秋元康の悪ふざけ、自己パロディでもある。

2曲目も「先生! 鈴木くんがエッチなんです!」(1993年発売)と、路線は変わらなかった。デビュー曲と同様こちらもヒットと言うにはほど遠く、結局この曲限りでねずみっ子クラブは解散に至る。

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作詞家・秋元康(写真=厚生労働省/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons) - 写真=Wikimedia Commons

ただ、その少し前に宮沢りえのヘアヌード写真集『Santa Fe』(1991年発売)が150万部以上を売り上げる大ベストセラーとなり、90年代後半には小生意気で大人びているのをセールスポイントにした野村佑香、前田愛、栗山千明、吉野紗香ら10代前半の少女の「チャイドル」ブームがあった。

セクシー要素を伴うアイドルの低年齢化が進んでいたわけで、やり過ぎと感じられるところはあったにせよ、ねずみっ子クラブが必ずしも完全な異端だったわけではない。

また別の意味できわどく、現在から見ると驚きを禁じ得ない企画が「麻原彰晃の青春人生相談」である。

■なぜ麻原彰晃はテレビに愛されたのか

改めていうまでもなく、麻原彰晃はオウム真理教の教祖だった人物。1995年に起こった地下鉄サリン事件など一連のテロ事件の首謀者として逮捕され、死刑判決を受けたことはまだ記憶に新しい。

しかしながら、国家転覆も目論んだとされるオウム真理教の実態が明るみになる以前は、麻原彰晃は新興宗教の教祖でありながらポップなイメージをまとっていた。

修行によって「空中浮揚」ができるという話もまことしやかに伝わり、超能力者的なイメージもそこに一役買っていた。さらに麻原は真理党という政党を結成して衆議院選挙に出馬。そのときの選挙運動では、脱力感あふれるオリジナル曲を流しながら信者たちが選挙カーのうえで独特のダンスを踊るパフォーマンスで耳目を集めた。

その結果、麻原はメディアが注目する人物となっていく。90年代前半、雑誌では有名知識人や人気芸能人と対談。さらに『朝まで生テレビ!』などテレビ番組にも出演した。この時点では、いかがわしさはあっても危険人物というまでの認識は世間にない。むしろ正体不明な部分がバラエティ番組の格好のネタになった。

『生ダラ』の「麻原彰晃の青春人生相談」もそうした流れの一環である。

コーナーの内容は、人生相談とは名ばかりで、長髪の麻原に「シャンプーは何を使っているのか」などの、アイドルにするようなどうでもいい質問をぶつけて反応を楽しもうとするもの。いかに怪しげな人物でも、それをいじって面白がるのが正解という感覚が90年代には浸透し、それを『生ダラ』は体現していた。

写真=共同通信社
オウム真理教の集会で講演する松本智津夫死刑囚=1990年10月、東京・代々木公園 - 写真=共同通信社

■過激であることが唯一の大義

同じく『生ダラ』に出演していたのが織田無道である。

太田省一『とんねるずvs村西とおる』(双葉社)

織田の本業は僧侶。だが霊能力の持ち主であることを自称し、そのほうでのテレビ出演が多かった。『生ダラ』出演も「心霊写真ゴングショー」というコーナー。視聴者から心霊写真(と思われるもの)を募集し、織田が優勝を選ぶ。

超常現象はテレビでポピュラーな題材のひとつ。数々の霊能者が各時代で話題を集めてきた。織田の場合は、高級外車を乗り回し、僧侶のイメージを裏切る豪快で型破りな言動も合わさって人気を博した。禁欲の真逆を行く破戒僧ぶりが斬新だったのである。麻原ほどではないにせよ、そこには常に胡散臭いような部分があり、番組でもよくとんねるずらからいじられていた。

高橋がなりのAV、そしてとんねるずの『生ダラ』。双方の共通点はなにかと考えたとき、90年代に通底するものも浮かび上がってくる。

それは、特定の思想信条やモラル云々にかかわりなく、とにかく枠からはみ出していそうなものに敏感に反応する傾向である。それを基盤に、当時のAVやテレビなどエンタメのかなりの部分は成立していた。そこでは過激であることがほとんど唯一の大義であり、ただ無秩序であることが志向されるのである。そしてそのようなコンテンツが往々にしてヒットした。

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太田 省一(おおた・しょういち)
社会学者
1960年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本、お笑い、アイドルなど、メディアと社会・文化の関係をテーマに執筆活動を展開。著書に『社会は笑う』『ニッポン男性アイドル史』(以上、青弓社ライブラリー)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩選書)、『SMAPと平成ニッポン』(光文社新書)、『芸人最強社会ニッポン』(朝日新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)、『21世紀 テレ東番組 ベスト100』(星海社新書)などがある。
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(社会学者 太田 省一)