テレビ信州

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シリーズ信州の桜物語。
この春、閉校した長野県大町市の小学校の桜。100年近く愛されてきた桜がつないだ“再会”の物語です。

北アルプスのふもと、大町市の旧大町西小学校。
グラウンドや校舎の周りを彩るソメイヨシノは、その数100本以上。
正門から続く桜のトンネルは、これまで多くの子どもたちを出迎えてきました。

池田町から(卒業生)
「ここの並木を歩いて入るのが、とっても楽しみで、懐かしくて」
大町市から
「きれいだった」

学校の再編に伴い、今年3月、153年余りの歴史に幕を下ろした旧大町西小学校。
学校の桜は昭和6年(1931年)に、地元の青年団によって植えられました。
それから95年。小学校のシンボルとして地域に愛されてきた桜。かつては、桜のもとで市民運動会も行われていました。児童と地元住民が一緒になって楽しむ「お花見昼食会」も恒例行事でした。

その桜を30年前から大切に手入れしてきたのが、歴代のPTA会長などでつくる「桜の木を守る会」です。

桜の木を守る会 北沢一人会長
「やめられないよね。これ(閉校)で終わりということにはいかないので、守っていきたいね、という話にはなっています。いろんな方が桜並木に思い出があるとおっしゃっていて、大事にしているので」

市の補助金やクラウドファンディングを活用しながら、消毒や植樹などを行い、桜を守ってきました。

4月9日。いつもより早く、花が咲き始めました。

桜を守る会メンバー
「思い出しながらやっています」

「守る会」が準備しているのは、ピンクや青の光。8年目を迎えたライトアップイベントの準備です。

桜を守る会メンバー(卒業生)
「みんな好きなんですよね、この学校が」

桜のトンネルも…。校庭の桜も…。夜の学校は幻想的な雰囲気に包まれました。ライトアップの初日には、卒業生も大勢やってきました。

中学1年生(卒業生)
「(桜は)ザ・西小みたいな感じ。中学校の桜もいいけど、1年から通っていた西小の桜がいいかなって」

旧大町西小に通っていた小学6年生
「きれいでいい桜です」

卒業生
「閉校になって人がいなくなって寂しいと思ったが、こうやって人が来る機会ができて、すごくいいなって思います」

静かな校庭で満開を迎えた桜。閉校した校庭は、市民の憩いの場に。

3人組(卒業生)
「大町で一番きれいかなと思って。こんなにきれいだから、このままずっと見ていたい」

桜が散るころ。ここに集まる人たちがいました。
桜がつないだ再会のとき―。
集まったのは、半世紀近く前の同じ時代に教壇に立っていた教職員たちです。

今井久美子さん(70)元教員
「もう45年も働いてきましたけど、こんなに美しい学校はないんですよね、桜並木がね。初任校だったということもありますし、出発点です」

再会を呼びかけたのは、この地で教員生活をスタートさせた立科町の今井久美子さん。
きっかけは、桜の記憶とともに蘇った、ある歌でした。

『ぼくらの桜並木』
(歌詞)ぼくらの通う学校は~桜並木をくぐります~春はピンクの屋根~夏はみどりのトンネルさ~

「ぼくらの桜並木」は、昭和54年(1979年)ごろ、当時教員として勤務していた勝埜由江さんが、子どもたちと作った歌とみられ、その頃、学校で歌われていました。歌詞には、四季折々の桜の情景が描かれています。

今井さん
「みなさん、やっぱり覚えていましたか?」

閉校を前に、今井さんはこの歌の存在を思い出し、当時の教職員たちと一緒に歌いたいと考えました。

今井久美子さん(70)
「なぐり書きの言葉(歌詞)が家の整理をしていたら見つかって、何度も歌っているうちに、どんどん先まで進めて歌えるようになってきたので」

歌を作った勝埜さんはすでに亡くなり、楽譜も手元にありませんでした。今井さんは知り合いの作曲家に頼み、記憶の中のメロディーを楽譜に起こして、復活させました。

この日集まったのは、当時の教職員15人。思い出話にも花が咲きます。

松本市から(元教員・82)
「朝の会のようなときに、私も子どもと歌った。懐かしくて、歌を通じて当時を思い出して、楽しいひと時になった」

松川村から(元教職員・卒業生・81)
「メロディーを聞くと、やはり頭に残っているので。私たちの子どものころは2400人もいたんですよ、この学校」

多くの人の思い出の中に刻まれている桜並木。

子どもたちの姿はなくなっても、静かに咲き誇る学校の桜は、来年の春も、その先も、思い出とともに愛され続けます。